第8話 食べたかったな
突然の爆音。
地震みたいに周囲のものが揺れ動く。立っていた由良と美夜子はバランスを崩し床へ跪き、腰掛けていた刀麻も机にしがみつくように姿勢を変える。
何故か身震いが出た。地震かと思うと、由良も美夜子もなんとなく背筋が寒くなる。
甲高い美夜子の悲鳴が部屋中に響き渡った。その悲鳴に耳を押さえながら由良が彼女を背後から抱きしめて、すぐに騒音を吐く唇を手で覆う。一分もしないうちに揺れがおさまると、いつのまにか机の下に隠れていた青年医師がのっそりと顔を出し、
「大丈夫?二人とも。」
引きつった笑顔を浮かべて安否を確かめた。
彼に親指をたてて見せると、安堵した表情で青年がすっくと立ちあがる。床に伏せたままの二人に手を差し伸べようと歩み寄った時に、荒々しくドアが開いた。その音に室内の三人がびくっと身体を震わせる。
流河と秀が駆け込んで来て怒鳴るように言い放った。
「ここが見つかったらしい!刀麻急いで引き上げるんだ!」
この人でも声を荒げることがあるのかと、思わず不謹慎にも感心してしまった。
「必要なものがあるか?」
本当に慌てているんだろうかと問いたくなるくらいゆったりした長男の声に、
「じゃ、医療カバンとあれを。」
平然と二人の少女を「あれ」扱いして指差した三男が、机の引き出しから重そうな医療カバンを引っ張り出す。流河がそれを引っ手繰るように取り上げて小脇に抱えた。
何が起きたのか把握していない二人は、呆然と三人の青年のやり取りを見ていたが、何かを問おうとする前に、三人の青年に部屋を引きずり出された。
由良は左手を、美夜子は右手をそれぞれ兄弟に引っ張られて全力疾走で階段を駆け上る。
「ちょっとぉ!どういうこと!?」
それでも走りながら声をかけると、痛いほどに強く握られた腕が少し緩んで、
「お前が多分尾けられたんだな。つまりは俺が尾行されたようなもんだ。」
上がる呼吸を整えながら、切れそうな横顔が答えた。
「え!?なに!?」
低すぎるくぐもった声でよくわからない。
「お前が逮捕された連中がココを突き止めて攻撃してきたのさ。」
「だって、あの人たちは一応警察なんでしょ!?私は間違いでタイホされたんじゃないの!?」
屋上へでると、すでに乗り物が用意されていた。由良を迎えに来たあの単車と、見た事も無い形の自動車がすでにアイドリング状態で乗客を待っている。夜逃げというには随分と用意周到だ。昼間だし。
「え…!?由良逮捕されてたの!?」
声にならない声で、ようよう驚きの声を上げる美夜子の反応に、
「バレちった。」
小声で言って、由良は舌を出した。
その反応に、親友が何かを言おうとする寸前、セイラが声をかけながら屋上へ走りあがってきた。そのままブルーシルバーの自動車の方へ小さな荷物と共に吸い込まれる。
二人の少女は曇った空の下で置き去りにされて、次の行動の指示を大人しく待っていたが、ヘルメットを腕に二つぶら下げた黒ずくめの男と、茶色の上着姿の男が重そうな荷物を持ってこちらへ歩いてくるのを見て、思わず顔を見合わせた。
「どういうことよ由良…?」
上目遣いで睨む親友ににじり寄られ、由良は思わず逃げ腰になる。
「私にも…。」
逮捕の件と今のこの状態になんらかの関わりがあるらしいことはわかる。しかし説明を求められる困るとしか言いようが無かった。
さらに追及の手を強めようとする美夜子から救うように、流河がそばによって来て声をかける。
「よし、あんたは乗った事があるんだから秀と一緒でいいだろう。美夜子ちゃんはこっちだ。」
と、由良に指図して黒いヘルメットを渡す。
いやだとも言えず、顔を引き攣らせながら秀を見ると相変わらずの無表情で黙って単車の点検をしていた。
初対面で彼に殴られたことを思い出す。容赦のない一撃を思い出すと微かな怒りと共に微かな恐怖も甦る。それでも、彼は迎えに来てくれたわけだし、服を貸してくれたりしたのだ。彼は悪い人ではない、そう無理にでも自分を納得させた。ため息をついて、由良はそちらへ足を向ける。
由良が不承不承弟の元へ寄っていったのを見ると、今度は流河がさっきまで引いていた美夜子の手を再び引っ張ってシルバーレッドの車の中へと促す。
「あん、由良と一緒がいいのに!」
駄々をこねる美夜子を、困ったように見つめて流河は呟いた。
「…。あんた一体いくつだ。」
「うるさいわね。乗ればいいんでしょ乗れば。」
かわいらしい口を尖らせつつ指示に従う。素早くドアをしめて、彼は運転席へ腰を下ろした。助手席に座るセイラと、後部座席の刀麻、その隣りの美夜子へ確認するように目を走らせると、
「行くぞ秀。」
低い声で呟いた。どこから応答してるのか、すぐに返答が返ってくる。
「行き先は?」
「マドンナを拾ってこなくちゃなるまい。町で中継してセイラの店からもう一台車を調達していこう。」
「わかった。先にでてくれ、流河。」
「了解。」
屋上から車が上昇する。
屋上に所狭しと並んだ温室がどんどん小さくなっていく。灰色の空と、黄土色の大地。淀んだ空気の向こうに小さな街や、さらにその向こうにぼんやりとした輪郭だけを見せる山々があった。
この建物からはじめて外部へ足を踏み出した美夜子は、目を皿のようにして窓の外の光景に見入る。
そして、さっきまで居た建物を囲むようにして、たくさんの車が集まっていくのがあまりに小さく見えて、あの中を逃げてきたのだということに妙に現実感を感じられなかった。
美夜子は、三人の兄弟での長兄にあたるという流河に話はきいてはいたが、実際に外の世界を見たのはこれがはじめてであった。
これが、自分と親友がこれから生きていかなくちゃ行けない世界らしい。なんというか味気ない、殺風景な光景だ。
砂漠に点々と見かける都市と小さな街。これが車や単車を空へと導いた世界なのだろうか。あまりにも寂しすぎる。
愛らしい美夜子の横顔が翳った。
少なくとも自分らの知るあの高校生活では無くなってしまった。それは理解せざるを得ないではないか。
流河の話に寄れば、美夜子達の説明する世代は古いそうだ。あらゆる技術・学問水準そのものが、美夜子の知っているものと一世代くらい違うのだと言う。
その中で唯一異常な程遅れている、あるいは停滞・消滅してしまった学問は、植物学なのだそうだ。
「日本の国土には今自然の緑というものがないのさ。」
運転席からそう告げられて初めて美夜子は、自分が無意識に視界の中の緑を探している事に気が付いた。青々と茂る緑の姿を、彼女は我知らず探していたのだ。それを悟ったかのような流河の声に、思わず振り返る。
「俺はあんたと由良ちゃんは過去の世界からの遺物みたいに思えるよ…どうだい、あたってるんじゃないか?」
自動操縦に切り換えているのか、流河は異世界の住人を見るような目で美夜子を見つめていた。
傍らに座る刀麻は居眠りをしているらしく、目を閉じて無反応を示し、助手席のセイラはわずかな微笑を口元に湛えて正面を見つめていた。
「その答えは、あたし達が欲しいのよ…」
思いつめた声で、美夜子は再び窓へ目を向けながら答える。
悪い夢なら、とうの昔に覚めているはずだとわかっていたから。
夕方に親友と二人きりでたたずんだ教室へ、もはや戻れないらしい。
何もかもがわからないままである。ただ起こる出来事に流されるだけであった。 他にどうしようもない。どんなに困惑していようと混乱しようとも。幸い、何故かそれほど混乱はしていないのが不思議なのだが。
恐らくは、知っている顔が傍に居る事や、異世界に居るような違和感が少ないためだ。確かに空を飛ぶ車や単車の存在には驚いたが、他にはこれと言って現実味のないものが無い。武器を見せられたことには確かに狼狽したけれど、それは意味が違う。
流河が操縦する車の後方を殆ど距離を離さず追ってくる黒い単車の上で、身動ぎもせずがちがちに固まっている親友が見える。あんな親友を初めて見た。人との距離の取り方がわからなくて困っている由良なんて、久しく見たことが無かったのだ。
割とどんな場所でも、どんな人とも図々しく、あるいは堂々としていられる由良にしては珍しい。彼女はいつだってあるがままで正直なのに。
そんな親友の心配をよそに、由良はヘルメットの中で小さく呟いていた。
「ロールキャベツ、食べたかったな…。」
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