第3話 邂逅


 わずかにかすれた声が聞こえていた。優し気なわりには、どうやら何事かについて文句を言っているようだった。

 美夜子が再び目を開いたとき、今度は由良の腕の中ではなく、ベッドの上だった。古いが、清潔そうな白い天井が目に飛び込んでくる。

 そして耳には、

「女の子にこんな乱暴するなんて。流河りゅうがも、しゅうも信じられないよ。」

 おっとりとしているが悪態を付く声。

「反抗しなきゃ乱暴する気はなかったんだ。」

 文句を言う掠れ声に応じているが、のんびりした太い声。

「まさか頭に銃口を押し付けられて抵抗されるとは夢にも思わなかったのでな。」

 感情のこもらない低い返答。

 全て男の声だった。

 顔だけを動かして、声のする方を見ると3人の青年がそこにいた。デスクに腰だけをかけている細身の男と、カップを片手に壁にもたれている男は見覚えがある。椅子に腰掛けている青年は、金髪だった。

「お、気が付いたみたいだぞ。」

 壁の方からこちらの視線に気づいたのか、二人に声をかける。残りの二人も振り返った。

 これは、ある意味かなり目の保養かも知れない。そう思える自分の心の余裕が我ながら凄いなと思った。呑気にそんなことを思いながらそれぞれの顔に見入ってしまう。

 椅子から立ち上がり、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる金髪の青年は明らかに日本人ではない容貌だ。高く通った鼻筋に、薄い瞳と肌の色。背も高い。そのくせ何処か、違和感がないのは、その滑らかな日本語のせいだろうか。彼は、クリーム色のセーターと青いジーンズの上に黒いサロンエプロンをかけている。

 声をかけた男は見覚えがあった。クラスメートの木内悟にそっくりだった。でも別人なのはわかる。同級生にしてはどことなく落ち着きがありすぎるのだ。彫りの深い、はっきりした顔立ち。茶色の上着と黒いスラックスを身につけて立っている姿が、その顔立ちから連想させる悟とは違う雰囲気を漂わせていた。流河と呼ばれたのはこっちの青年だろう。

 そしてこちらを見つめながらデスクに腰をかけたままの細身の青年の方が秀だろうか。親友の髪を切らせた、近隣の男子校の生徒によく似ていた。美夜子も何度か会った事がある。悟の時と同様に、少々老けた印象があるし、髪が長い。彼は細身がいっそう強調されるような黒いタートルネックセーターと黒いスリムジーンズに身を包み、その細い身体を押し隠していた。

「ごめんね、怖い思いをさせたでしょう。僕はセイラって言うんだ。よろしくね。」

 流れるように滑らかな日本語を話すその青年は、にっこりと笑って語りかけてきた。その笑顔には確かに他人を安堵させる優しさがある。       

 慌てて起き上がった美夜子が、口を開くより早く彼は続けた。

「悪いけど、君が失神してる間に調べさせてもらった。高野美夜子さん。1年6組。自然科学部所属。生徒会にも所属してるね。君の友達の由良ちゃんは、今別室で手当してるからね、安心して。」

 言われてすぐに、荷物を探られたのだろうとわかる。

 美夜子の学生鞄が、ベッドのすぐわきに立てかけてあったからだ。

「は、はい。あの、一体…」

 わけもわからず室内を見回した。自分が寝ていたベッドに、広い窓からは風が少しばかり入っているのかブラインドが揺れている。ベッドは一台のみで、彼らのいる所に備え付けらしい戸棚や、椅子が見えた。広さは5メートル四方くらいか。やはり年季の入った天井や壁は、色がくすんでいる。

 美夜子がきちんと着たままの制服に、汚れや乱れはない。

「お腹空いていないかい?何か作るよ。君は体に異常無いから何でも食べていい。リクエストある?」

 長身を屈めて笑う美貌に見とれながら、座ったままベッドの中で身じろぎする。いきなりそんなことを言われても、と困りながら、今まで何が起こったのかを少しずつ思い出していく。

 脳震盪を起こして気を失った友人の腕から、美夜子を引き剥がして無理矢理立ち上がらせたのは、あの一番長身の流河と言う青年だ。

 あの時の衝撃を思い出す。見知らぬ人なのに、何故こんなにも級友に似てるのだろうか。親戚か、あるいは他人の空似なのか。

 壁に背を付けたまま倒れている由良の傍らに片膝を付き、血の滲んだ顔を再び平手打ちしたのが秀と呼ばれた男だった。止めに入ろうとして腕を振り払ったとき今度は当て身を食らったのだろう、腹部に息が止まりそうな衝撃を感じて意識が遠のいていった。

 不思議な事にあの時の衝撃を覚えているが、現在少しもお腹は痛まない。余程うまく打ったのだろうか。そんなことが可能なのだろうか。

 そして、この部屋のどこにも親友の姿が無い事に気が付いた。

「由良は…!何処にいるの。由良は、あんな怪我をしてるのに、あの人が殴って、由良は…」

 蒼白になった美夜子が、まっすぐ黒ずくめの青年を指さして非難する。

 するとセイラが振り返り、ふたたび文句を言うためか秀の方へ寄っていく。

「秀。君は、あっちの女の子も痛めつけたりしたの?」

 面倒くさそうに、秀が顔を上げる。

「痛めつけてない。あの娘が見てるところでは。」

 青年は物憂げに答えた。物憂げと言うよりも、感情が無いのかもしれない。

 美夜子が逆上したように立ち上がった。止める間もないくらい素早く、ベッドを飛び降りてつかみかかっていく。

「あれ以上に乱暴したのね!?許せない!あの子が何をしたって言うのよ!」

 大きな目が潤んでいる。真実によく似たこの青年に痛めつけられた由良はどんな思いをしたことだろう。そう思うだけで胸が苦しくなるほど悔しかった。

「そう、怒るなよ。あんたが気絶した後もちゃんとここまで運んできて手当したんだぜ。俺らは戦闘訓練を受けてるから、相手が突然行動すると反射的に攻撃してしまう。特にあの時は警戒していたから仕方ないんだ。その後頬を叩いていたのも、正気づかせるためだったし、治療もしている。確かにそっちの彼女は怪我をしているけど、あれは秀がやったんじゃない。」

 果敢にも噛み付いてくる少女を冷たい目で見つめている秀をかばって、流河が救いの手を差し伸べる。

 その時、大きなガラスを破るような音が聞こえた。反射的に音の方角へ顔を向ける3人の男は、一瞬、顔を見合わせる。

「まさか…」

 美夜子が、困惑したような声で呟いたあと。

 一番最初にに駆け出したのは秀と呼ばれた青年だった。

 何が起こったのかわからないまま、彼の後姿を見送る。

「俺らも行ってみよう。美夜子ちゃん、だったな。あんたはここで大人しくしててくれ。危害をくわえないことは保障する。セイラ、監視を頼む。」

「了解。」

 背の高い青年が、先に飛び出した青年を追いかけていった。

 金髪の青年は美夜子に優しく微笑みかけ、

「大丈夫だよ。心配しないで。」

と、穏やかに語り掛けた。

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