第2話 正義のミカタ

 美夜子と出会ったのは、まだ小学校に上がる前だった。

 由良が通う小さな幼稚園に、途中入園してきた女の子。やわらかそうな髪をツインテールにしていて、園児の制帽が浮いていたのをよく覚えている。新品の園児服から伸びる細い手足、抜けるように白い肌を見ても育ちの良いお嬢様なことがわかった。大きな瞳は少し色が薄い。

 屋外で追いかけっこばかりして真っ黒に日焼けしていた由良とは、もはや同じ人種とは思えない程に綺麗で。幼児でありながらも道場で竹刀を振りまわしていた自分と違って、華奢だった。

 女優張りに美人な若い母親に連れられて登園してくる様子は、どこぞのセレブと言った風情としか思えず。見惚れる園児や父兄も多かったものだ。

 しかし、その儚げな見た目に反して、美夜子は大層勝ち気だった。見ようによっては生意気に見える彼女に対して、次第に風当たりが強くなった。

 砂場を陣取って他の園児を排除したりする小さなガキ大将に対しても、理路整然と立ち向かった。玩具を独占する子に強く反発したり、間違っていると思えば大人にさえ歯向かう。

 そういう所は成長しても変わらない。小学校に上がっても美夜子はいつもそうだった。

 そして、由良はそんな美夜子が大好きだったのだ。綺麗で可愛らしくて気丈な彼女の事がとても気に入っていて、出来る範囲でいつも彼女を庇った。美夜子が教室で孤立したりいじめの標的になりかけた時も、由良は必ず傍に居て守っていた。

 美夜子の展開する理論は難しくてわからないことも多かったけれど、彼女が正しいということだけはいつも確信していた。

 年頃にもなれば容姿に恵まれた彼女は嫉妬の対象で、また男子にも言い寄られることが多かったけれど、やはりトラブルが絶えなかった。美夜子と違い異性に言い寄られることも嫉妬されることも無い由良にとって親友はいつでも正義であり、誰がなんと言おうとも守るべき人であることに変わりは無かったのである。





 目覚めたのは、こめかみに触れた冷たい金属の感触のせいだったと思う。

後頭部に鈍く重い痛みが居座り、ひどく苦しい。ようやく瞼をあげる、その動作だけで溜息が漏れた。

 息がかかるほど近くに、他人の顔があった。何かの香りが一瞬眉を寄せさせる。どこか香ばしいような、それでいて人工的な香水のような匂い。うつぶせのまま顔をそっと上げたとき、相手もわずかに身をひいた。

「……つうっ…」

 目を開けないほどのひどい頭痛と、眩しい明かりが再び顔を俯かせる。

「気づいたのか?」

 低い声だった。耳元に近い辺りで息遣いと共に聞こえる。

「動くな。死にたくなければな。」

「え…」

 由良はようやく自分がどんな状態にあるのかを認識した。

 右腕の下で微かに息づいているのは多分、柔らかで嗅ぎなれた香りのする髪の感触で美夜子だとわかる。眠っているかのように安らかな呼吸音だ。

 自分の身体がひどく重く感じるのは疲労のせいだろうか?そして左のこめかみに感じる冷たい金属は時折動くが相変わらずぴったりと自分の肌に吸い付いている。投げ出すように広げた足の感覚は薄く、ぼんやり麻痺しているみたいだった。

 再び目眩と頭痛をこらえて顔を上げ、目を開くと、心臓が跳ね上がりそうなほど間近に他人の顔があった。

「真実くん…!」

 由良は思わず先週まで付き合っていた少年の名前を呼んだ。目眩も頭痛も忘れてしまうほどの衝撃だった。

 その顔を見て彼を連想するほどに似ているのに、次の瞬間には別人であることがわかった。それは、呼ばれた名前に相手が一瞬だけ目を見開いたからではない。

 取り違えてしまいそうな程よく似てはいるが、由良が知っている真実より髪が長いし、やや大人びている気がした。兄だと言われれば信じただろう。切れ長の瞳、濡れたように艶を放つ髪、女子である自分より白い肌。よく切れる冷たい刃物のような雰囲気は驚くほどそっくりだ。

「誰だお前は?どこから入ってきた?」

 見覚えのある顔が低い、感情のこもらない声で言い放つ。

「誰…?え…ちょっと待って、まだ頭がよく働かない…」

 痰が絡んだような乾いた声で由良は応じた。そのままゆっくりと上体を起き上がらせようと動いた途端、

「動くなと言ったはずだ。」

 左のこめかみにあたった金属がぐいと強く押し付けられた。目の前の秀麗な顔は無表情のまま詰問を開始する。後頭部の鈍痛も目眩も頭痛も全て忘れ、冷や汗が出てくるのを感じた。痛いほど押し付けられたそれは銃口だったのだ。

「何者だ?」

 声が震えるのをかろうじて押さえて答えた。右腕の下には、美夜子がいるのだ。弱気になっては守れない。

 「何者…って、言われてもただの女子高生だし…」

 嘘だろう、銃なんて、偽物、レプリカじゃないか、などと色々頭の中で言葉が渦巻くが、確認されるのに自分を差し出すのは御免だ。

 別れた男子にそっくりな彼は、振り返った。彼の後方にもう一人立っていることに由良は初めて気づく。この隙にようやく周囲を見回すことができる。

 仰向けで由良の右腕の下に横たわっているいるのは間違いなく美夜子だった。上体がわずかに上下し、呼吸しているのがわかって安堵する。辺りはだだっ広くいやに殺風景で埃っぽかった。壁や床が長い年月で変色・風化して乾いている。部屋の大きさはちょうど由良と美夜子が通う学校の教室くらいだ。大きな窓からさんさんと光が射して由良の瞳を射た。

 銃口を突き付けた男がこちらを向かないうちに由良はすばやく体を起こして男の右手を叩く。そのまま美夜子を抱き上げるようにして立ち上がり、駆け出そうとした。

「動くな!今度は本当に撃つ!」

 別の声だった。真実に似た男の後方にいた男だった。その言葉に思わず足を止めた由良が振り返ったとき、相手の顔を確認する間もなく顔を殴られた。

 手加減しなかったのだろう、由良は美夜子を抱えたまま殴り飛ばされ、壁にぶつかって再び昏倒する。

 そのショックで今度は美夜子が正気づく。大きな瞳を開くと、自分の友人が自分を抱えたまま気を失っていることに気付き、目を見開いて失神している身体に取り縋った。

「…由良!どうしたの!?」

 後頭部からの出血と、殴られて口腔を切ったのか唇から血がにじんでいるのを見て驚愕した。

「あんたに怪我はないようだな?」

「こっちに今度は聞くとしようか」

 予想もしなかった二人の男の声がひどく冷たく聞こえて色白の少女は全身をこわばらせた。

 知っている顔なのに、知人ではない。

 美夜子の知っている人物、クラスメートだった木内悟と同じ顔なのに別人だ。もう一人も見覚えのある顔なのに、知人とは違う事がわかる。

「…あ、あたしには、何をしてもいいから…由良には、これ以上何もしないで!」

 全身を震わせながら、気絶した親友を庇って大きな声で怒鳴った。


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