そして、髪を切る日

ちわみろく

第1話 カードゲームで遊ぼう


 その日、放課後の教室に残っていたのは、4人だった。

 早々と教室を去った他の生徒達は、長い放課後を勉強や遊びその他に使いたいがため、いつまでも教室で油を売っていられなかった。

 高校生はそんなに暇ではないのだ。

 勿論、残った四人もさっさと帰宅して勉学に勤しむべきだったのは学生の本分として言うまでもないことだが。

 6組の木内悟きうちさとるは、背の高い男子バレー部のアタッカーだ。派手な容姿と体格で非常に目立つ。明るくて大らかな性格のせいか男子にも女子にも人気があるため、彼の周りにはいつも人がたくさん集まっていた。スポーツ刈りに近いくらい短く切った髪に指を突っ込んで頭をガリガリ掻くのがクセらしく、今も片手が頭に乗せられている。

 テスト休みでクラブ活動が休止中の今日、授業の終わった教室で珍しく弟の千沙ちさと二人きりでトランプを切っていた。

 そこへ生徒会室から戻って来た高野美夜子たかのみよこが親友の庄司由良しょうじゆらを連れて、

「何してるの?」

と声をかけたのだった。美夜子は生徒会の会計を担当しているのだ。

「お、いっしょにやるかい?」

 机に腰を下ろしていた千沙が教室の入り口を振り返りトランプ遊びに誘う。千沙は悟の10ヶ月年下の弟で兄と同級生だ。兄弟でありながら同学年という珍しい兄弟は、余り似ていないことでも有名だった。小柄でメガネをかけている地味な容姿の千沙は、複数の文化部に顔を出しているが、運動部には所属しておらず、美夜子と同じ自然科学部にその姿を見つけることが多い。因みに、自然科学部の部室はこの教室の真上だ。

「何すんの。ポーカー?ババヌキ?神経衰弱?大貧民?」

 千沙の傍へ駆け寄って机の上に並べられたカードを見下ろした由良が尋ねた。千沙が彼女の目の前で再びカードを机から集めて兄へ手渡す。

 木内兄弟は目が疲れるからと言って携帯電話のゲームはやらない。

 携帯電話のたぐいを持たない珍しい女子高生である由良と、一時期飽きるほどその手のゲームにはまった事のある美夜子には、トランプというアナクロな遊具がやけに懐かしく新鮮に思えた。

「何か賭けようか。」

 大きな手でカードを操る悟がにやにや笑ってそう言った。

「ギャンブルは駄目なんじゃん?」

 生真面目なことを言う千沙に、

「小銭程度の金額な賭けてもいいわよ。」

自分のロッカーから鞄を持ち出してきた美夜子は華奢な指で丸を作る。

「うーん、私お腹空いたから肉まん食べたいな。おやつ代賭けよう。」

「あんたを食わせたらお小遣いなくなっちゃうわよ。飲み物だけにしましょ。」

 鞄から小さなポーチを取り出した彼女は、やわらかそうなふわふわの髪に軽くブラシを入れていた。美夜子はいつも身嗜みを整えることに余念が無い。遠い生徒会室から走って戻って来たので髪が乱れてしまったのだ。小柄で愛らしい容姿を持つ彼女は、女子力が高く、常に身奇麗にしている。

「ちっ」

「そこ、なんで舌打ちすんのっ」

 手にしていたブラシで舌打ちの聞こえた方向を指した。

「あ、聞こえました?」

 聞こえるようにやったくせに、悟が悪びれもせず舌を出す。

「庄司は、頭いつ切ったの?先週までは長かったよな。」

 悟がついに好奇心を抑えきれずに尋ねる。

「…頭は切ってないんだけど。」

 笑いを堪えているような声で由良が応じると、くすっと笑った美夜子が悟の背中を軽く叩く。

「あ、髪の毛。髪の毛の方。」

 慌てて訂正する。

「そーだよな。バッサリいったよな。なんか心境の変化?…ひょっとしてデビューしちゃうの?」

 茶化す千沙が持っていたカードを隠す。

「デビューって何にデビューすんの。前から切ろうと思ってたんだけど、中々お金と暇が…。」

 庄司由良は漆黒の長く真っ直ぐな髪を腰まで伸ばしていた。邪魔にならないよう無造作に後ろで一つに束ねていたのだが、今は男のように短く髪を刈り、ちょうど、目の前に座る千沙くらいの長さの髪形になっている。

「ああ、部活で忙しいもんな庄司は。先輩を押しのけて大将張ってんだろ。」

 弟のカードを覗き込んでいた悟が、今度は目線を美夜子の方へ移しながら呟く。

「押しのけてって…人聞きの悪い。」

 持っているカードを手の中に全部隠した由良が、決まり悪そうに言った。

「そうよ。由良が実力で勝ち取っただけよ。スポーツなら強い人が勝つのは当たり前じゃない。」

 ぐっと小さな胸を張った美夜子が、自分の事ではないのに、自分の事のように自慢げに言う。

 美夜子の親友は剣道部の実力者だった。一年生でありながら二年、三年を負かしてしまうほど強く個人では全国レベルの強さを誇る。

 由良は幼い頃から道場へ通っていた。小さな頃から背が高く、また体力にも自信のあった彼女は小学生時代も、中学時代も同年代では地元で無敵と言っていいほどの実力者だった。

「そっか。…でも、朝は見慣れなくって変な感じだったけど、慣れてくると中々いいんでない?」

「自分でも慣れなくって、首の辺りを触るのがクセになっちゃいそう。随分切ってなかったからなー。」

「あらカッコイイじゃない。あたしは今のほうが好きよ、似合ってるわ。」

「本当?嬉しー。美夜子におごっちゃおうかな。」

 お世辞なのか新しい髪形を褒めてくれる美夜子が、由良の隣りに張り付いた。

「アタシも今の方が似合ってると思うワヨ。ステキ。」

「悟くん、気持ち悪いからその裏声やめて。」

「でっけぇ図体でそんな声だしたら皆引くだろーが。」

 すぐにおどける兄を厳しく注意する弟が、すっと兄の手から一枚のカードを引き抜いた。

「やった!千沙の負けだぜ!」

「ああ~、やられちった。しょうがないな、高野と庄司は何飲む?」

 机にババを押し付けて立ち上がった千沙が、ポケットの小銭をチャラチャラ言わせた。



 木内悟・千沙兄弟が連れ立って帰っていくと、二人の後姿を見送っていた親友に声をかけた。

「私達も帰ろうよ、美夜子。遅くなっちゃう。」

「由良、本当に昨日その髪を切ったの?」

 振り返った親友は、急に深刻な表情になって詰め寄って来る。

「うん。急に軽くなった感じがして何だかバランスがおかしいよ。」

 うなじの辺りの髪をしきりに気にしながら由良が答える。机の上に腰掛け、イスの上に脚を乗せていた。由良は行儀が悪い。さんざん今まで美夜子に注意をされてきているが直らない。ブラウスの第一ボタンとネクタイを緩くはずしながら親友の方に向き直る。

「…そんなこと、先週は一言も言ってなかったのに。この頃おかしいよ、由良は。部活辞めたのだって突然で、あたしに何も相談してくれなかったじゃない。」

 可愛らしいピンクの唇を尖らせて非難がましく訴えた。それから指で、机から降りるよう指図する。

 木内兄弟の前では由良はまだ剣道部に在籍していることにしておいた。彼らに色々聞かれるのが面倒くさかったからだ。美夜子も今日になって初めて知ったのだった。剣道部の顧問が職員室で自分に声をかけてこなければ、今も知らないままだったろう。

「それは、単に言うタイミングを逃しちゃっただけなんだよ。髪の毛も、昨日急に思いついてこうしただけだから。」

 舌を出して、机から降りた。注意されたときは言うことを聞くのだが、また忘れてやってしまう。また叱られる。美夜子は親友の行儀作法にも口喧しく注意を促すが、いっこうに改善されなかった。

 由良は自分の荷物をとって美夜子のそばへ歩み寄った。心配する必要はない、と笑ってみせる。

 だが美夜子はそれでは納得できないようだ。

 西日が窓から入って教室の中がオレンジ色の光で満ちてくる。二人の姿がぼんやりと橙色に染まっていた。

 二人は10年近い付き合いになる。就学前にに知り合い、性格は正反対でありながら、どういうわけか気が合った。お互いに自分の知らない部分はあっても相手の知らない部分はないと言うくらい、なんでも話し合ってきた。

 だから、こんなことは初めてだった。

 それに、由良は嘘が下手だ。どんなに済ました顔をしていても大概ばれてしまう。

「本当にそうなの?ね、どうして?どうして話してくれないの?」

 目の前に立つ長身の影を見上げて、つい詰問口調になってしまう。

 必死の面もちで迫られて由良も言葉に詰まる。

 癖になってしまっているのか、再び手をうなじにやりながら小さく呟いた。

「…美夜子、私ね。」

「ん?」

真実まさみくんと別れたんだ。昨日…。」

 低く、囁くように告げた彼女は俯いている。

「昨日真実くんと別れたんだ。だから当てつけにこうしたんだよ。かっこ悪いよね、ふられて髪の毛切るなんて、古臭いし。」

「…嘘!どうして!?」

 当事者よりも顔色を変えて美夜子が叫んだ。

「でもなんかすっきりしちゃった。気持ちも、頭もね。帰ろうよ。遅くなっちゃう。」

 真実とは由良がはじめて付き合った近所の男子校の生徒であった。昨年の大会ではじめて出会い、数ヶ月前から交際が始まったのだった。

 荒井真実あらいまさみは近隣の男子校の元剣道部員で、後輩の応援に来ていた。圧倒的な強さで個人戦を勝ち進む由良と、その勇姿に付き従う美夜子に目をとめたらしい。

 細身で綺麗な顔の少年だった。刃物のように整った美貌で、悟の様なハンサムとは少し違う。そして、表情の読みにくい冷静そうな印象を受けたが、女の子にもてる割には噂一つ無い硬派だった。

 その彼と由良が付き合うようになったいきさつも、美夜子は細かく聞いていない。彼女は恥ずかしがって話してくれなかったので、いつか白状させてやろうと狙っていたのだ。幼い頃から剣道一筋で色恋沙汰などとは無縁だった由良を、一体どうやって口説き落としたのか絶対に聞かなくては気が済まない、と思っていたのに。

 いつの間にか別れまでも経験していたと知って驚きを隠せない。

 子供っぽいと思っていた親友の意外な行動力が、不思議で仕方が無かった。あらいざらい白状してもらおうと手ぐすね引いて機会を待っていたのである。 

 由良がついさっき注意されたことも忘れて、再び机に腰掛けようとした瞬間、机が動いた。美夜子は目の前の机に座ろうとする親友にまたも注意を与えようと口を開きかけた瞬間、めまいに襲われた。

「美夜子?どうしたの?」

 そのまま意識を失った親友に慌てて駆け寄ったとき、室内の全てのものが大きく揺れはじめた。

「な、何?地震?」

 辺りを見回したとき、天井から蛍光灯が落下し由良の後頭部に気絶するほどのダメージを与えた。

 美夜子の身体を抱えたまま、由良は床の上に倒れ伏し、その上に天井が覆い被さった。


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