第32話 疑心と純心

「トラバルト」


血を吐き、意識がボーッとする中、彼女の声が聞こえた。


(すまぬ、ヨル。

不甲斐ない私を許してくれ。)


トラバルトに寄り添い、その様子は表情こそ大きく変化はしてないが、それでも必死さがありありと伝わってくる。


「トラバルト…。

斬りたく、ないのね?」


その問いかけにトラバルトは、僅かに微笑むと目を閉じてしまった。


(…そう。)


彼女はトラバルトを抱えて、少し離れた所に下ろした。

まだ死んではいない。


決着は迅速に。



「ねぇ、あなた。

名前はあるの?」


なお一層燃え盛る饕餮にヨルムンガンドは尋ねた。


「私ノ名ハ饕餮、全テヲ貪ル者ダ。」


「そう、饕餮。

あなたはどうして全てを貪りたいの?」


「憎イカラダ」


「何故、憎いの?」


「…男ノ方モソレヲ聞キタガッタナ。

何故ソンナ事ヲ知リタガル。

ドウセ死ヌノダ、知ッタ所デドウスル。」


「トラバルトも私も、納得のいかない戦いはしない。

さっき彼は、あなたと戦うのを躊躇ってた。

納得いかない理由を、あなたに見たのよ。

だから私も、それを知らないと納得出来ないし、あなたに貪られる事もしない。」


「…主人ヲ殺サレタ。

私ガ昔タダノ犬ダッタ時、私ヲ愛シテクレタ主人ガ二人イタガ、ドチラモ人間ニ殺サレタ。

一人目ハ戦ノ火種ガ街ニマデ及ビ魔族ノ兵士ニ斬ラレタ。

二人目ハ、私ヲ食ベヨウトシタ野盗ニ逆ライ殺サレタ。

マダ幼イ少女ダッタノニダ…。

慎マシク生キル事モ許サレズ、弱者ハイツモ奪ワレル恐怖ニ怯エネバナラヌ。

私ハモウ疲レタンダヨ。

全ヲ滅ボセバ、モハヤ誰モ恐怖スル事ハナクナル。

モウ主人ヲ失ウ世界ハイラナイ。


コレガ私ノ理由ダ。

ダガ理解ナドハ求メテイナイ。」



「饕餮。

私はあなたみたいに、誰かを失った事はないから、あなたの悲しみは、分からない。

けど、トラバルトがあなたと戦いたくなかった理由はわかった。

だから私もあなたとは戦わない。」


「ナニ?」


「納得出来ない戦いは、しない。」


「ナラバ世界ガ滅ブノヲ指ヲクワエテミテイルカ。」


「それも違うわ。

私とトラバルト、2人でいればあなたより強い。

あなたより強い私達は、誰にも殺されないわ。」


「何ガ言イタイ。」


「私達が、あなたの主人になる。」


「………何ヲ言ッテイル?」


「私達が、あなたの主人になる。」


「誰モ繰リ返セトハ言ッテイナイ。

何故ソノヨウナ結果ニ至ッタノカヲ聞イテイルノダ。」


「ああ、ごめんね。」


過ちに気付き、ハッとする彼女に饕餮は真意探るべく警戒したが一向に意図を掴めない。


「私達はあなたと戦いたくない。

あなたは主人を失う事と、失ってしまう世界が嫌なのでしょう?

私達は強いから失われる事はないわ。

それに私達は今旅をしているの。

あなたが弱い人達が奪われる世の中が嫌いなように、私達も嫌い。

だからその弱い人達を少しでも多く助ける旅をしているのよ。

今回だってそう。

街を襲うあなたから弱い人達を守る為に戦ってた。

けどあなたが望むものと、私達の望むものはきっと近い所にある。

一緒にいる事が寧ろ自然に思えるわ。」


「…。」


饕餮は言葉が出なかった。


その発想の突飛さ故か。


恐らく話すのが得意ではないであろう彼女が、必死に紡いだ言葉の気迫故か。


自分の主人になると裏付けのある強さを持った者からの申し出に何かを感じたからか。


何を言えばいい?

どう攻撃?したらいい?

油断させて殺す気かもしれない。

だが男の剣が急激に鈍ったのは確かだ。


グルグルと思考がまとまらず、足も動かない。


(私ハドウシタトイウノダ。)


ヨルムンガンドは打算が苦手だ。


基本的に思った事を思った通りに行う事しか出来ない。


動けずにいる饕餮に近づき、その首にそっと腕を回し囁いた。


「それにね、私、犬好きなの。」




ドクンと饕餮の心臓が大きく脈打った。





ヨルムンガンドの望む最短の決着。


その心が怪物の心にそっと重なったのだった。

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