第15話 翼と名前
オステインへ早足で向かう2人だったが、流石に陽が傾いてきており、少し肌寒さを感じるようになっていた。
「ヨルムンガンド殿、そろそろ日も暮れますゆえ、今日の野営出来るところを探しましょう。
夕飯に出来るものも探さなく…。」
話の途中でトラバルトはヨルムンガンドの表情に違和感を覚えた。
いや、相変わらずの無表情ではあるのだが。
「ヨルムンガンド殿、いかがなされたか?」
するとヨルムンガンドはいつもよりも一際小さい声で言った。
「殿、いらない。」
小さな声ではあったが負の遺産で聴力の増しているトラバルトには十分聞き取れた。
「これは失礼致した、中々癖が抜けぬ故…。」
ここまで言ってトラバルトは困ってしまった。
彼は出自こそ平民であるが軍の生活は長く、思春期の頃から規律の厳しい環境にその身を置いていた。
しかもかなりの早さで出世していった為、対等な友情や恋愛に対して非常に疎かった。
(「ヨルムンガンド」、いや、流石に呼び捨てはいかがなものか。
シンプルに“さん”にするべきか?
フランクに“ちゃん”?…いや、私が無理だ。)
トラバルトが唸っているとヨルムンガンドは僅かに息を吐いた。
「ヨル、父は私をそう呼ぶわ」
見兼ねて助け舟を出されたトラバルトは情けなくなり、彼にしては珍しい凹み方をした。
そして、非常にぎこちなく名前を呼んで見た。
「ヨ、ヨル……どの」
表情は変わらないが睨まれたのは分かった。
「ヨ、ヨル……。」
表情は変わらないが喜んでくれたのは分かった。
(なるほど、互いの距離を詰める方法はこういうものもあるという事だな。)
彼女からしたら単に他人行儀が続くのが嫌だっただけかも知れないが、真面目なトラバルトは前向きな解釈をした。
「トラバルト」
「はっ。」
彼女はトラバルトの名前を呼んで見たのだが、彼は自分を呼び捨てで呼ぶ者は王と貴族達しかおらず反射的にかしこまってしまった。
「…。」
ヨルムンガンドが少しなじるような目で見てくるのが苦しかった。
(いかんな、私はもう王国軍人でも将軍でもないのだ。
慣れていかねばならぬ。)
「よっ、ヨルど、あ…いや、ヨル…。
今はこの様だがいずれ必ず慣れてみせる。
少し待っていてくれ。」
ヨルムンガンドは元より、恐らく彼の両親意外は彼のこんな必死な様を見た人間はいないだろうと言えるほど彼は今懸命に戦っていた。
その様は普段の冷静で落ち着いた振る舞いを常とする彼からは及びもつかず、人間としての側面をふんだんに出していた。
そんな彼を見て、自分の中に沸き起こった感情を表現することは彼女には出来ないが、ほんのわずか上がった口角を見ればとてもいいものであることは間違い無い。
「トラバルト、乗せてあげる」
そして発せられた言葉の意味するところをトラバルトは分かりかねていた。
「すみません、乗せるとは一体?」
「急いでるんでしょ?私が連れて行ってあげる。」
そう言うとヨルムンガンドは腰をかがめ翼を広げた、どうぞと言わんばかりに。
「い、いや流石に不味いのでは…」
貴族院のわがままとはまた違った混乱がトラバルトを再三襲う。
「なんで?前トラバルトは私をおぶってくれた。
次は私の番。」
「しかし、身長差も体重差もありますし…」
折れないトラバルトに対しヨルムンガンドは立ち上がり言った。
「じゃあ私の肩に両手を置いてみて」
それならばまだ色々マシかと思い、トラバルトは了承しヨルムンガンドの両肩に手を置いた。
「しっかりつかまってて」
そう言うと彼女の翼は大きく羽ばたき、トラバルトごと、宙へと飛び出した。
強力な重力と初めて経験する浮遊感、数々の未知にトラバルトは興奮していた。
(これが飛ぶという事なのか。
素晴らしい眺めだ。
それに私の負担をものともせずに、何という力か。)
するとヨルムンガンドはオステインに対して前傾姿勢を取りその体は地面に対して平行になった。
近くを飛ぶ鳥を置いてきぼりにする程の速さで飛ぶヨルムンガンドと、相変わらず肩に捕まるトラバルト。
2人はあの時以来の互いの鼓動を聞いていた。
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