第4話 《審判》の運命は動き出す

 フェリシアが今のフェリシアになってから、数年。

 九歳だった身体は立派に成長し、フェリシアはゲーム中と同じ年齢にまで無事に成長した。

 肩甲骨くらいまでの長さしかなかった髪は腰の辺りまで伸び、薄氷色の瞳は幼い頃よりもどこか冷たさを増した。フェリシアが『フェリシア』になる前に過ごしていた世界の言葉を使うのなら、高校生くらいの年齢にまで成長したその姿はゲーム中に出ていた『フェリシア』とほぼ同じだった。

 そんなフェリシアの視線の先には、隅々まで清掃の行き届いた美しい校舎がそびえ立っている。入り口には頑丈そうな門があり、侵入者撃退用と思われる魔法道具まで設置されていた。

 ――トゥール・ドゥ・マギア学園。アルカナ・ラヴァーズの世界に存在する、巨大な魔法学校。アルカナ・ラヴァーズの主な舞台であり、『フェリシア』の運命が狂う場所である学園が、フェリシアの目の前に存在していた。

(ゲームをしているときも広そうだと思ってたけど……本当に、すごく大きい学校)

 馬車の窓からぼんやりと校舎を見つつ、フェリシアは心の中で小さく呟いた。

 フェリシアがトゥール・ドゥ・マギア学園にやってくる――それが意味することはただ一つ、いよいよアルカナ・ラヴァーズのシナリオと同じ時間軸に入ったということだ。

 アルカナ・ラヴァーズのシナリオを正史とすると、今から起きるのはフェリシアの登場イベントだ。

 他のキャラクターたちと同じように、トゥール・ドゥ・マギア学園に入学したはいいものの、『フェリシア』は家の都合で少し遅れて学園にやってくる。そのときに主人公と出会うが、『フェリシア』は主人公を一瞥するだけで何も言わず、シャロンのほうへと歩いていく。シャロン以外の人物に対して、ほとんど関心がないことをプレイヤーに示すイベントでもあった。

 だが、フェリシアはゲームの『フェリシア』とは異なる。主人公であるルクレーシャとは、たびたび手紙のやりとりをしているため親交がある。今ではお互いに良い友人と認めあっている仲だ。

(だから、正史と全く同じになることはない……と思うけど)

 本格的にゲームのシナリオが開始されるからだろう。学園が近づいてくるにつれて、だんだん緊張してくる。

 それを解きほぐすために深呼吸をし、フェリシアは自分の頬を軽く叩いた。

「大丈夫、大丈夫」

 小さな声で繰り返し、自分に言い聞かせるのと、馬車が門の前で停止するのはほぼ一緒だった。

「フェリシア様、到着しました」

「ありがとう。それじゃあ、行ってくるわ」

 持ってきた鞄を抱え、馬車から降りる。

 すぐに振り返り、ブレーデフェルト領からここまで送り届けてくれた御者へ声をかければ、御者は少し寂しそうに笑いつつも頭を下げた。

 軽やかな蹄の音と重い車輪の音を立てながら、馬車はどんどん遠ざかっていく。

 やがて、完全に馬車の姿が見えなくなると、フェリシアは改めて目の前にそびえ立つトゥール・ドゥ・マギア学園を見上げた。

(……大丈夫。シャロンとはあれから友達関係を維持できてるし、ルクレーシャとも仲良くできてる。よほどのことがなければ、何事もなく学園生活を終えられるはず)

 大丈夫、大丈夫――もう一度深呼吸をしながら自分へ言い聞かせる。

 小さな掛け声を出して気合を入れると、門番へ声をかけ、学園の敷地内に足を踏み入れた。





 ブーツの底が土を踏む音が耳を楽しませる。一定のリズムで奏でられる音は、緊張するフェリシアの心を少しずつ解きほぐしてくれた。

 懸念事項はあるが、ここはかつてフェリシアが繰り返し遊んだゲームの舞台だ。全くわくわくしないかと言われたら、嘘になる。

「フェア様!」

 突如、静かだった空気が震える。

 足を止め、声が聞こえたほうへ目を向けた。フェリシアが立っている場所から少し歩いた先に、校舎への入り口がある。ちょうどその前に、見覚えがある少女が立っていた。

 春の色を溶かし込んだストロベリーブロンド。希望に満ちた若葉の瞳。身にまとうのは、白を基調としたトゥール・ドゥ・マギア学園の制服であるケープ付きのワンピース。

 ゲームのパッケージにも描かれている姿のルクレーシャが、そこに立っていた。

「レーシャ様」

 久々に見る友人の姿に、フェリシアの表情が緩む。はじめて会った日から手紙のやり取りを続け、時折お互いの家まで遊びに行ったりはしていたが、ここ最近はお互いに忙しくて会える機会が減っていた。最後に見たときと変わらない、元気そうな姿に内心ほっとした。

 ルクレーシャも嬉しそうに表情を緩め、こちらへ駆け寄ってくる。

「お久しぶりです、フェア様! お手紙でトゥール・ドゥ・マギア学園に入学されると聞いていたのに、昨日はお姿をお見かけしなかったので……何かあったのかと心配しておりましたが……よかったです。お元気そうで」

「昨日は少々家のほうが立て込んでおりまして。お久しぶりです、レーシャ様。レーシャ様こそ、お元気そうで安心しました」

 この言葉は嘘ではない。入学前日、フェリシアの家は少々ごたついていた。幸い、それほど日数はかからずに落ち着かせることができたが、その影響で学園に姿を見せる日が遅れてしまった。

 あのときはフェリシアも本当に慌てたし、バロンに至っては無表情のまま怒りのオーラをまとっていたので本当に怖かった。

「これからお世話になる先生方へ挨拶を……と思っていたのですが。レーシャ様、先生方のいらっしゃる場所はわかりますか?」

「それならわかりますよ。案内しましょうか?」

「ええ、お願いしても――」



「おや、フェリシア。到着したんですね」



 全て言い切る前に、幼い頃から何度も聞いた声がフェリシアの鼓膜を震わせる。

 思わずびしりと固まったのち、ゆっくりとした動きでそちらに目を向ける。

 つい数分前までルクレーシャが立っていた校舎の入り口の前に、見覚えしかない姿――成長したシャロンの姿があった。

「無事に到着したようで何よりです。お家のほうは落ち着きましたか?」

「……はい、無事に落ち着いたのでここに来ました。お久しぶりです、シャロン様」

 表情が引きつりそうになるのを必死で取り繕い、フェリシアは微笑をシャロンへ向ける。

 フェリシア。ルクレーシャ。そして、シャロン。フェリシアが学園へはじめて姿を現した日に揃った面々は、ゲーム中の『フェリシア』が初登場するときのシーンに登場していたメンバーだ。

 ルクレーシャと同じように、この学園の制服に身を包んだ彼は優雅な足取りでフェリシアとルクレーシャへと近づいてくる。

「ええ、お久しぶりです。フェリシア。……こちらの方は?」

「私の友人の一人です。先生方の居場所をご存知だったようなので、案内をお願いしようかと思っていました」

「あ……は、はじめまして。ルクレーシャ・ブルームフィールドです」

 シャロンの瞳がフェリシアのすぐ傍にいたルクレーシャへと向けられる。

 ルクレーシャは少々ぽかんとしていたが、簡単に紹介されたのがきっかけとなり、はっと我に返った。

 少々慌てたようになりつつも、ルクレーシャは胸に手を当てて自分の名前を名乗る。

 対するシャロンは、どこか感情の薄い目で彼女の様子を眺めたのちにフェリシアもよく知っている穏やかな笑顔を浮かべた。

「ブルームフィールド様ですね。はじめまして。僕はフェリシアの親友、シャロン・リズレイと申します。以後お見知り置きを」

「……シャロン様。レーシャ様に張り合わないでいただけますか」

 じとりとした目で、すぐ傍にいるシャロンを見る。近かったはずの身長は、いつしか抜かされてしまっていた。

 フェリシアの視線に気付いたらしい、シャロンはフェリシアへ目を向けると少しだけ不満げに表情を歪めた。

「だって、あなたと先に仲良くなったのは僕のほうですよ。それなのに、愛称で呼び合うなんて。フェリシア、僕は寂しいです」

「だからって張り合ったり、マウントを取ろうとしたりしないでください。面倒な男のやることですよ、それは」

「冷たいですね、泣いてしまいますよ僕は」

「シャロン様がこんなことで泣くなんて、全く想像できませんが」

 不満げに唇を尖らせ、シャロンは次から次へ不満げな言葉を口にする。

 彼と親しく接するようになって長く経つが、こんなに子供っぽい仕草をする姿ははじめて見た。もちろん、ゲーム中でもこのような姿は見たことがない。

 深く溜息をつき、フェリシアは次々にシャロンへ言葉を返していく。

「……ふふ」

 ふいに、小さな笑い声が聞こえて子供のような言い合いを中断する。

 見ると、フェリシアとシャロンの顔を交互に見ていたルクレーシャが口元に手を当ててくすくすと笑っていた。

「レーシャ様?」

「ああ、いえ……ごめんなさい。その、本当に仲が良いんだなぁって思いまして。お二人とも」

 瞬きを数回して、フェリシアとシャロンは顔を見合わせる。

 シャロンもルクレーシャがこのような反応を見せるとは予想していなかったのか、ぽかんとした顔をしていた。

「リズレイ様、あなたがフェア様と親しくしていらっしゃるのはよくわかりました。別に、あなたからフェア様を取ろうと思っているわけではありませんので……私とも仲良くしていただけませんか?」

 そういって、ルクレーシャはシャロンへと手を差し出す。

 ぽかんとした顔をしてたシャロンだったが、小さく吹き出し、差し出された手を握り返した。

「ええ、もちろん。……張り合うような真似をして申し訳ありませんでした」

「いえいえ。お気になさらずに。私も、似たような立場に立ったらきっと寂しくなってしまったと思いますから」

 握手を交わすシャロンとルクレーシャの間には、戸惑いやギスギスとした空気はなく、柔らかなものだった。

 どちらからともなく手を離し、ルクレーシャは改めてフェリシアを見た。

「では、そろそろ先生方のところまでご案内いたします。リズレイ様もご一緒にどうですか?」

「それなら、せっかくですし僕も同行させてください。フェリシアに学園のことを教えたいと思っていたので」

「……で、では、よろしくお願いします。シャロン様、レーシャ様」

 内心、小さく安堵の溜息をついてフェリシアは歩き出した。





 ルクレーシャとシャロンに案内されながら、実際に自分の足で歩いた校舎は本当に広かった。ブレーデフェルトの屋敷もなかなかに広かったが、あれは慣れ親しんだ自分の家。まだ慣れない環境である校舎では、気をつけないと迷ってしまいそうだった。

 ゲームではマップという存在があったのでなんとかなったが、今はもうそういうわけにはいかない。できるだけ早くに大体の校舎の地図を頭に入れなくては、後々困ることだろう。

(シャロンは『迷ったら僕が助けますよ』なんて言ってたけど……できるだけ、シャロンの手は借りたくないなぁ)

 借りるのなら、ルクレーシャの手がいい。

 心の片隅でそんなことを考えながら、フェリシアは小さく溜息をついた。

「お疲れですか? ミス・ブレーデフェルト」

 声をかけられ、フェリシアは慌てて顔をあげた。

 いけない。自分が今いる場所は職員室だ。明らかに疲れていますという態度を取るべきではない。

 どこか心配そうに声をかけてきた教師へ首を横に振ってみせ、フェリシアは申し訳なさそうに頭を下げた。

「すみません。少々慣れない環境ゆえに疲れてしまったようです」

「気にしないで。特にあなたは、昨日まで忙しかったのでしょう? 無理をしてはいけませんよ」

 そういって、目の前の女性教師はフェリシアの頭を優しく撫でる。

「……お気遣いありがとうございます、先生」

 叱責の一つや二つくらい飛んでくると思ったが、そういう気配はない。

 この人が優しい人で本当によかった――今度は心の中で安堵の溜息をつき、フェリシアは頭をあげる。

「さて……まずはトゥール・ドゥ・マギア学園へようこそ。ミス・ブレーデフェルト。あなたの入学を私たちは心の底から歓迎します」

 その言葉とともに、女性教師はフェリシアへ片手を差し出した。

 反射的にフェリシアは背筋をしゃんと伸ばし、差し出された彼女の手に自分の手を重ね、優しく握った。

「ありがとうございます、先生。入学当日に姿を見せられず、本当に申し訳ありませんでした」

「いえいえ。お家の事情であれば仕方ありませんのでお気になさらず。……ところで、ミス・ブレーデフェルト。あなたは運命のカードをお持ちですか?」

「はい。父から忘れずに持っていくようにいわれていたので、持ってきています」

「少々見せていただいても?」

 一つ頷き、フェリシアは鞄から本のような形になった箱を取り出した。

 フェリシアが今フェリシアになる前から持っていたものだ。今よりも幼い頃にバロンから手渡され、大切に保管してきた。

 表紙になっている部分を微かに開けて、中に一枚のカード――フェリシアの運命を示すカードが入っているのを念の為に確認してから、女性教師へと箱を差し出した。

「こちらに入っています」

「あら、これは丁寧に……ありがとうございます。ミス・ブレーデフェルト」

 どうやら、女性教師はここまで丁寧に保管しているとは思っていなかったらしい。一瞬目を丸くして、けれどすぐにまた笑顔を浮かべてフェリシアから箱を受け取った。

 箱から取り出されたカードは、アンティーク調のデザインをしたタロットカードだ。フェリシアが生まれたときに教会から渡された、運命を示す《審判》のカード。

 何やら頷きながらカードを観察したのち、女性教師はそっと箱の中へカードを戻した。

「あなたは《審判》のカードをいただいたのですね。……ミス・ブレーデフェルト」

「はい」

 真剣な声で名前を呼ばれ、返事をする。

 女性教師は真剣な声で――けれど、顔には穏やかな笑顔を浮かべたまま、言葉を続けた。

「あなたの行く道は、無限の可能性に満ちています。途中でくじけてしまいそうなことが起きても復活の道をすぐに選ぶことができますし、あなたの行動一つから大きなことへ発展することもあるでしょう。あなたにはさまざまなことを改善し、覚醒させ、良い結果へと導く力が宿っています」

 女性教師が紡ぐ言葉は、まるでタロットの占い結果のようだった。

 運命のカードを持った他の生徒たちもこのような言葉を聞いたのだろうか――内心、ぽかんとしつつもフェリシアは彼女の声に耳を傾ける。

「しかし、どうか気をつけてください。一度道を誤れば、あなたの行く道は行き詰まり、ひどく後悔する結果へと繋がってしまうでしょう。悪い報せが届き、再起不能になるまでにあなたは傷ついてしまう可能性があります」

「……」

 それは――ゲームの『フェリシア』が辿った末路そのものだった。

 道を誤った彼女は行き詰まり、後悔し、全てを失った。シャロンに手ひどく叩き落され、深い傷を負った。それまで輝かしい日々を送っていたのに、道を一つ誤った結果、一瞬で転落した。

 運命のカードが示した道のとおり、ゲームの『フェリシア』は全てを失ったのだ。

「冷静に、自分が選ぶべき道を選択しながら勉学に励んでください。そうすれば、悪い結果にはならないはずです」

 女性教師は最後にその言葉で締めくくる。

 知らずしらずのうちに詰めていた息をそっと吐き出し、フェリシアは再び頭を下げた。

「……わかりました。ご忠告ありがとうございます」

「いえいえ。こちらこそ、静かに聞いてくれてありがとうございます。今年の新入生の中には、真面目に聞いてくれなかった子もいたので……静かに最後まで聞いてもらえて、嬉しかったですよ」

 入学早々、教師の話をまともに聞かない――というのも、なかなか勇気がある行動に感じられるが。

 わずかに表情を引きつらせてしまった気配が伝わったのだろう。ゆっくりと顔をあげると、苦笑いを浮かべた女性教師と目が合った。

「みんながみんな、静かに話を聞いてくれる子とは限らない――というのは、わかっているつもりなのですけれどね」

「……入学早々、先生のお話をまともに聞かないのは態度としてどうかと思います……。該当生徒の生活態度が少しでも良くなることを祈っております」

 溜息混じりに言葉を紡ぎ、フェリシアは眉間を軽く揉んだ。

「あなたは本当に真面目な子ですね。ミス・ブレーデフェルト」

 そんなフェリシアの姿を見て、女性教師はほっとしたように表情を緩めた。

 が、すぐに何かを思い出したように手を叩いて言葉を続ける。

「ああ、そうだ。ミス・ブレーデフェルト、一つ気をつけておいてほしいことが」

「なんでしょうか?」

 気をつけておいてほしいこととは、一体なんだろうか。

 フェリシアにとって、運命のカードどおりにならないこと以上の注意点はないが。

「運命のカードを持つ人は、魔法の力を持っています。今年の新入生の中には、すでに魔法の力を覚醒させている子もいます」

「……魔法の力を」

 小さな声で、女性教師の言葉を復唱する。

 そういえば、ゲーム中でも確かに何人か魔法を使うシーンがあったか――頭の片隅でフェリシアになる前の記憶が蘇る。ゲーム中では、フェリシアも途中から魔法と思われる力を使っている描写があったはずだ。

 小さく頷いて、フェリシアは女性教師へ続きを促す。

「そういった子は、道を誤ってしまいやすい。これは生徒全員にお願いしていることですが、もし道を誤りそうな生徒を見つけたときはそのことに気づけるように声をかけてあげてください」

「……もし、相手が改めそうになかった場合は?」

 真っ直ぐに女性教師を見据え、問いかける。

 道を誤りそうになっている生徒を止めるのは、確かに重要なことだ。しかし、肝心の相手に改める意思がなければ外部の人間が何を言っても意味がない。

 それでも声をかけろというのなら、自分でも冷たい考え方だとわかっているが、フェリシアはその指示には従えそうになかった。

 女性教師は少しだけ寂しそうに表情を曇らせ、その表情を苦笑いへと切り替える。

「その場合は、私たち教師に相談してください。そういうときは、大人の出番ですから」

 それなら、まあ従っても問題ないだろうか――静かに思考を巡らせたのちに、フェリシアは小さく頷いた。

「わかりました。覚えておきますわ」

「ご協力ありがとう、ミス・ブレーデフェルト」

 フェリシアの返事は、女性教師にとって期待していたものだったようだ。安心したとはっきりわかるくらいに表情が緩み、元の穏やかさが戻ってくる。

「……あなたが受け取った《審判》のカードは、見定めて判決を下す者のカード。この先、あなたが開花させる魔法もそういった内容のものになる可能性が高いでしょう。……あなたが学ぶ三年間が、良いものになることを願っています」

 では、そろそろあなたが勉学に励む教室へ行きましょうか。

 最後に一言付け足して、女性教師は職員室の出入り口へと歩を進める。

 フェリシアも一言返事をして、彼女の背中を追いかけるように職員室を離れた。





 トゥール・ドゥ・マギア学園は、男女共学で全寮制の学園だ。いわゆる普通の学園と魔法学園の二つの顔を持っており、普通科と魔法科の二つに分けられている。優秀な貴族や研究者はもちろん、優れた魔法使いも数多く輩出してきた有名な学園だ。

 フェリシアたちのように、生まれたときに運命のカードを受け取った生徒は問答無用で魔法科へと送られる。そこで自分の中に眠る魔法の力との付き合い方を学び、正しく扱えるようになったと判断された場合にようやく卒業に至る。

 魔法科は攻撃系と補助系、魔法の系統によってクラスが分けられている。フェリシアが持つ《審判》のカードはどちらかというと補助系に分類されるらしく、そういった魔法が得意な生徒たちが集まるクラスへと送られた。

 ここまで案内してくれた女性教師へ感謝の言葉を述べ、彼女と別れる。

 ゲーム中でずっと楽しんできた学園生活を実際に送れることに内心わくわくしながら、フェリシアは教室へと足を踏み入れた。

「おや、フェリシア」

「フェア様!」

 瞬間。つい少し前に聞いたばかりの声がフェリシアの耳に届いた。

(……そうだ、忘れてた……。確か、ルクレーシャとシャロンも同じクラスなんだったっけ……)

 瞬きほどの短い間、固まった思考が動き出す。

 どうしてここにと口に出しそうになったが、よく考えたらゲーム中でもそうだった。ルクレーシャとシャロン、二人と同じクラスだったからこそフェリシアは二人としっかり接点を持つことができていた。

 喉から出そうになった言葉を飲み込み、フェリシアは嬉しそうな顔でこちらを見るルクレーシャとシャロンへ手を振った。

「先ほどぶりですね、シャロン様。レーシャ様。お二人とも同じクラスのようで安心しました」

「私も安心しました……! このクラスで友人といえるのは、シャロン様とフェア様だけだったので……」

 ほっとした顔でルクレーシャは返事をする。

 そんな彼女へ一つ頷いてみせてから、フェリシアは教室全体へと視線を巡らせた。

 そこそこの広さがある教室には、制服を着たさまざまな少年少女が集まっている。皆が皆、教室へ入ってきたフェリシアに興味の視線を向けていた。ここまではっきりと好奇と興味の目を向けられるのは、あまり良い気はしない。

 わずかに眉間にシワを寄せ、息を吐き出す。その仕草に敏感な者は、慌てたように視線をそらした。

 フェリシアも視線をルクレーシャとシャロンへ戻し、ゆったりとした足取りで二人との距離を縮めていく。

「僕もフェリシアとルクレーシャ様のお二人と同じクラスで嬉しいですよ。これでフェリシアだけが違うクラスだったら、寂しい思いをしないか心配だったんです」

「本当、シャロン様の中の私はどんな人物になってるんですか」

 しかし、もし何らかの改変が生じてフェリシアだけが違うクラスになっていたら、シャロンの言う通りになっていたかもしれない。あの日、偽りの告白を受けてからシャロンは非常に高い確率でフェリシアの隣にいたためか、すぐ傍に彼がいないとほんの少しさみしく感じてしまう。

 腕組みをして溜息をついたのちに、フェリシアはわずかに困ったように笑う。

 そんなフェリシアの様子に、シャロンはくつくつと楽しそうに肩を揺らした。

「全く……」

「すみません。でも、フェリシア。あなたは実際寂しがり屋でしょう? それを表に出さないだけで」

「さて、どうでしょうか。意外とシャロン様がお傍にいなくても平気かもしれませんよ」

「そんな冷たいことを言わないでください。僕のほうが寂しくて死にそうになります」

 お互いにあれやこれやと言葉をぶつけあい、やがてどちらからともなく笑い出す。こういった軽いやりとりを学園生活中にもできるのは、ほんの少しだが嬉しかった。

「ああ、そうだ。レーシャ様、シャロン様。あとでどのような授業をしていたのか確認を――」

「あれ? 昨日にはいなかった人がいる」

 ふいに、フェリシアの声に違う誰かの声が重なった。

 声の主はフェリシアが振り返るよりも早く距離を詰めて、ちょうど振り返った直後のフェリシアの顔を至近距離から覗き込んだ。振り返った先にもうすでに相手の顔があったことに驚いたが、悲鳴をあげなかった自分を褒めたい。

 フェリシアの声に言葉を重ねてきたのは、可愛らしい顔立ちをした少女だ。深い茶色の髪はふわふわと巻かれており、興味深げにフェリシアを見つめるヘーゼルの瞳は丸く愛らしい。着ているものはトゥール・ドゥ・マギア学園の制服だが、首元に大きなリボンのチョーカーをつけているためか全体的に愛らしい印象を受けた。

 ルクレーシャとはまた違った方向性の可愛らしさを持つ彼女は、無言でフェリシアを見つめたのちに笑顔を浮かべる。

「もしかして、昨日はお休みしてた人ですかぁ? 先生、確か一人お休みしてるって言ってたし」

「え、ええ……少々訳あって、昨日はお休みをいただいておりました」

「やっぱりぃ! じゃあ、うちのクラス、これで全員揃ったんだぁ」

 軽い足音をたてて、少女はフェリシアから一歩距離をとった。

 まだ少し早鐘を打っている心臓を落ち着け、フェリシアは改めて目の前の少女を観察する。

(……この感じ、どこかで見たことがあるんだけど……)

 あともうちょっとで思い出せそうなのに、そのもうちょっとが判明しない。

 喉に小骨が引っかかったときのような、言いようのないモヤモヤがフェリシアの胸に広がる。

 眉間にシワが寄りそうになるのを隠していると、シャロンが小さく溜息をつき、再び苦笑いを浮かべた。

「ポップルウェル様。フェリシアが少々困っています、お手柔らかに」

「あ、もしかしてーって思ってたけど困らせちゃってました? ごめんなさい、はじめて見る人だったから嬉しくってぇ」

「……いえ、お気になさらずに」

 一言、返事をするとフェリシアはシャロンへ一瞬視線を向けた。

 助け舟を出してくれて助かった――その思いを視線にのせると、すぐに彼は気付いたらしい。シャロンも同じようにフェリシアへ一瞬視線を向け、目元を優しく緩ませた。次の瞬間にはまた先ほどまでと同じ雰囲気へ戻り、目の前の少女へと向けられる。

 一度咳払いをし、少女は口を開く。

「私、ジュアニッタ・ポップルウェルって言います。《恋人》のカードを貰ったから、ここに入学することになったんです」

 ジュアニッタ・ポップルウェル。

 その名前を聞いて、ようやくぴんと来た。

 彼女もまた、アルカナ・ラヴァーズに登場する主要キャラクターの一人であり――フェリシアと同じ、ライバル役の少女だ。

(なるほど。だから、なんとなく見覚えがあるって感じたんだ)

 内心納得しながら、フェリシアも名乗り返す。

「ポップルウェル様ですね。私はフェリシア・ブレーデフェルト。これから同じクラスの仲間としてよろしくお願いします」

「わあ! ブレーデフェルトのおうちの人だったんだぁ。こっちこそよろしくお願いします、リズレイのおうちの人だけじゃなくてブレーデフェルトの人とも知り合いになれてすっごく嬉しい」

 ぱちんと胸の前で両手を合わせ、ジュアニッタは花が咲いたような笑顔を浮かべた。

 はたから見ると、大変可愛らしく見えているのだろう。こちらの様子を伺っているクラスメイトたちは、男子生徒を中心に微笑ましそうな顔をしている。確かにそうさせる力がジュアニッタにはあった。

 しかし――なぜだろうか。なんとなく、本当になんとなくなのだが嫌な感じもする。

 なんだか心の奥がざわざわするような――上手く言葉で表現できない、嫌な感じ。

 フェリシアと同じライバル役なら、ジュアニッタにも何かがある可能性が高い。もしかしたら、それが原因で違和感のようなものを感じているのかもしれない。

(でも、その正体が見えないのはなんだか嫌だな……)

 そのうち、この感覚の正体がわかればいいのだが――いつになるかは、わからないだろう。

 ようやく始まった学園生活は、平穏無事というわけにはいかなさそうな気配がした。

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