第3話 《審判》は《運命の輪》と知り合う

「フェリシア。同性の友人に興味はあるか」

 とある朝。朝食の席で、父が唐突に発した一言にフェリシアは目を丸くした。

 シャロンとスネーウの町に出かけてから数日後。いつもどおりの朝の時間を過ごしていたときに、フェリシアの父、バロン・ブレーデフェルトはそのような言葉を口にした。

 咀嚼していたパンを飲み込み、紅茶でぱさついた喉を潤し、フェリシアは答える。

「興味はあります。今、私の友人はシャロン様くらいですし……ですが、どうして突然そのようなことを?」

「……。私の友人がここへ来る。そのときに、娘も連れてきていいかと聞かれている」

「娘……」

 小さく呟きながら、フェリシアはバロンを観察する。

 きんと冷えた雪のような銀の髪と、フェリシアと同じ薄氷色の瞳。滅多なことでは変わらない表情は、まるで冬の吹雪を思わせる。ぱっと見た印象では非常にとっつきにくい人だが、不器用なだけで母を深く愛し、領民のことを思う人物であることをフェリシアはよく知っている。

 バロンはフェリシアがスネーウの町で買ってきた紅茶に口をつけ、香りと舌の上に広がる風味を楽しんでから言葉を続ける。

「向こうは同性かつ同年代の友人が少なくて寂しい思いをしているらしい。フェリシアも同性の友人が少ないのなら、ぜひ連れてきてもらおうかと思っているのだが」

「そういうことでしたら、ぜひお願いしてくださいませ! お父様」

 同性の友達が欲しいと思っているのは、フェリシアも同じだ。相手がどのような子供なのかわからないのは不安だが、ここでチャンスを逃したら次にいつこういったチャンスがやってくるかわからない。

(それに、ゲームの『フェリシア』の周りには、同性の友達がいなかったし)

 厳しい冬のように苛烈なところがあり、同年代の子供たちからは距離を取られがちだったゲームの『フェリシア』。彼女が孤独を抱え、その孤独をシャロンの存在でしか癒やすことができなかったのは、周囲に友人が少なかったのが原因の一つとしてあるはずだ。ここで友人を作っておくことができれば、そのような未来へ進んでしまう可能性をまた一つ潰せるはずだ。

 それに何より。

(私自身が、同年代で、女の子の友達がいないことに耐えられない……!)

 シャロンは立派な友人だ。しかし、彼は破滅を運んでくる相手。、フェリシアたちを陥れるチャンスを虎視眈々と狙っている相手だ。一緒に過ごしていて楽しいと感じることは増えてきたが、完全に心安らぐ相手ではない。

 それに、シャロンは異性だ。異性と同性の友人、どちらのほうがより安心できるかといったら後者のほうだった。

 やや食い気味な反応を見せた娘の姿に、バロンは一瞬驚いたようだが、すぐにまたいつもの仏頂面に戻った。

「わかった。なら、連れてきてもらうよう言っておく。いつ来るか詳しい日付がわかったら、お前にも伝えよう。楽しみにしておくといい」

「はい! ありがとうございます、お父様」

 花が咲いたような笑顔を浮かべ、感謝の言葉を告げる。

 無言でこちらを見ていたバロンだったが、つられたようにほんの微かに笑みを浮かべ、再び紅茶を口に運んだ。

「……思っていたよりも元気そうでよかった」

「お父様?」

「……お前は、ミルカに懐いていた。ミルカの葬儀のときも、ひどくショックを受けていた。心配していたが……元気そうで、安心した」

 ミルカ――この世を去った母の名だ。

 このタイミングで母の名を聞くことになるとは思っていなかった。おそらく、今のフェリシアはぽかんとした間抜けな顔をしていることだろう。

 しかし、同時にじわじわと胸の中に暖かさな感情が広がっていく。

(『フェリシア』のお父さんは、『フェリシア』を放置していたわけではないんだ)

 最愛の妻を亡くしてから、その悲しみを忘れるために仕事へ打ち込み続けていたバロン。ゲームの画面越しでは、彼の行動は娘を放置している親の姿に見えてしまい、本当は父も『フェリシア』のことを愛していないのではと思ってしまっていた。

 が、違う。彼は悲しみを忘れようとしている裏で、きちんと娘のことも心配していた。彼自身が不器用な性格をしているせいで、それを上手く表に出せなかっただけで、『フェリシア』はきちんと両親から愛されていた。

 その事実にほっとして、思わずフェリシアの表情が緩む。

「心配してくれてありがとうございます、お父様。まだ完全に悲しい気持ちを飲み込めたわけではありませんが……このとおり、私は元気にしています」

「そう、か……。それは、やはりリズレイの末弟のおかげか」

「そうですね……シャロン様のおかげというのは、ある程度あると思います。最近、シャロン様はいろんな遊びに誘ってくれますから」

 正直、シャロンのおかげだと頷くのは悔しい。だが、自分自身やブレーデフェルト家が陥れられる未来を知っているから己を奮い立たせることができている――なんて。そんな話を馬鹿正直にしても、バロンは信じてくれないだろう。それなら、本当の理由は飲み込んで、とりあえずシャロンのおかげということにしておいたほうが話が合わせやすい。

(……我ながら、可愛くない子供だな)

 他人からどう見えるかを計算しての行動と言葉。これが全て純粋な感情であれば可愛げがあったのだろうが、現実はそうではない。

 一人、心の中で苦く笑い、フェリシアは言葉を続ける。

「ですが、私はお父様の存在も大きいと思っています」

「……私の存在が?」

 きっと予想外の言葉だったのだろう。バロンの仏頂面が崩れ、目を丸くして驚いた顔をしている。

 その顔がなんだか少しだけおかしくて、フェリシアは片手を口元に当ててくすくすと笑った。

「ええ。お父様が生きてくれている。それだけで、私は元気を取り戻せます。……家族の存在はとても大きいものですから」

「……そう、か……」

「ですが、最近のお父様は少々無理をしすぎでは? お仕事に打ち込むのもいいかもしれませんが、お父様のお身体が心配です。それに……その、メイドや執事たちがいてくれるとはいえ、私も寂しいので」

 ストレートに感じていることを口にするのが、だんだん気恥ずかしく感じられて小さな声になっていく。最後のほうはぼそぼそとした声になってしまったが、静かな食堂では小さな声でも十分だったようで、バロンの耳にしっかり届いているようだった。

 今までの『フェリシア』は、こういった欲求をあまり口にしなかった。寂しいと感じても、その感情を飲み込んでしまい我慢するような子供だった。

 けれど、それは『フェリシア』が孤独や寂しさを心の中に飼うようになってしまっても、父に伝えることができなかったということだ。

(寂しいときはちゃんと寂しいって言わないと、伝わらない)

 口に出さなくても親は子供のことをわかってくれる――なんて、そんなのただの幻想だ。

「……そうか、寂しい思いをさせてしまったか……。……すまない、フェリシア」

「あ、いえ、その、謝ってほしいわけではないのです」

 バロンからそらしていた視線を慌てて彼へ向け、首を横に振る。

「時々でいいので、書斎から出てきてくださいな。それで、お茶をしましょう。きっとお父様にとっても良い気分転換になるはずですわ」

「……ああ、そうだな。ずっと書斎にこもっているのも、身体に悪そうだ。……たまには外に出ることにしよう。そのときは美味い紅茶を選んでくれるか」

「……! ええ! もちろんです、大切なお父様の頼みですもの」

 目を見開いて、ぱっとフェリシアは笑みを浮かべる。

 バロンもフェリシアの笑みにつられたように、不器用に笑い、再び朝食に口をつけた。





 朝にそのようなやり取りをしたことを思い出しつつ、フェリシアはのんびりとした歩調で庭を歩く。

 応接室からは人の気配と父の声がしたため、朝に話していたバロンの知人はすでに来ているらしい。しかし、知人と一緒に来たという娘の姿はどこにも見当たらなかった。

「一体どこにいらっしゃるのかしら……友達になりたいと思ってたのだけど」

 小さな声で呟いて、溜息をつく。

 相手がどんな少女なのかはわからないが、できれば友達になりたい。そう思っているだけに、なかなか出会えないのは残念に思うし少しだけ気持ちが焦ってしまう。

 ここを探しても、それらしい人がいなかったら違うところへ行こう――一人、そう決めて生け垣の裏を覗き込んだ。


 美しい若葉の色と目が合ったのは、その瞬間だった。

 

「……」

「……え、と……あの……その……」

 綺麗な若葉色の瞳だ。フランが持つ森のような新緑とは異なる、生を感じさせる若々しい葉の色。緩くウェーブがかった長い髪は甘やかなストロベリーブロンドで、全身に春の色をまとっている。身にまとう衣服はシンプルなリボンドレスだが、それが彼女が持つ可愛らしさを引き立てていた。

 生け垣の裏に座り込んでいた少女は、フェリシアを見上げて小さく肩を跳ねさせた。表情は不安げに揺れ、目は微かに潤んでいる。

 おそらく屋敷の中で迷い、ここで休憩していたのだろう――目の前にいる少女をじっと見つめたまま、フェリシアはわずかに表情を引きつらせた。

(……嘘でしょ?)

 フェリシアの心に、驚愕と動揺がじわじわ広がっていく。

 それもそのはず。今、フェリシアの目の前にいるのはアルカナ・ラヴァーズの主人公である少女――ルクレーシャ・ブルームフィールドなのだから。

(お父様の知人の娘って……ルクレーシャだったの?)

 ルクレーシャと出会うのはもう少しだけ先――フェリシアが主なゲームの舞台となるトゥール・ドゥ・マギア学園に入学したあとだと思っていた。まさか、学園に入学する前に出会うことになるなんて予想していなかった。

 大きく深呼吸をして、フェリシアは気持ちを切り替える。正直、まだ動揺しているがいつまでもこうしてにらめっこを続けるわけにはいかなかった。

「……こ、こんなところで何をしているのでしょうか。少々驚きました」

「ご、ごめんなさい……その、こんなに広いお屋敷ははじめてで……迷っちゃって……」

「なるほど……。ここは広いですからね、迷ってしまっても仕方ないかと」

 すっかり不安そうになっているルクレーシャを驚かせたり、怯えさせたりしないよう気をつけながら手を差し伸べる。

 ルクレーシャは一瞬驚いた顔をしたが、おずおずとした様子でフェリシアの手に自分の手を重ねてゆっくりと立ち上がった。

「本当にごめんなさい。お父様はご友人とのお話があるから、迷惑をかけてはいけないと思ったんですけど……」

「お気になさらずに。はじめての場所ですもの、迷っても仕方ありませんわ。また迷っても大変ですし、私が談話室までご案内します」

 そういって、フェリシアはルクレーシャの手を軽く握り、有無を言わさず歩き出す。

 自分の背後でルクレーシャが慌てたような気配がしたが、手を振り払って自分一人だけで行動してもまた迷う確率が高いと考えたのだろう。振り払いそうになった手の動きを止め、大人しくフェリシアの後をついてきた。

(それにしても……ルクレーシャってこんなにびくびくした子だったっけ)

 どうにも、今のルクレーシャとゲームで見てきたルクレーシャの姿が一致しない。

 今とゲームでは時間軸が異なるという点があるため、多少の性格の違いはあってもおかしくない。しかし、今のルクレーシャはとにかく周囲に対して怯えている様子のほうが強くて違和感があった。

 フェリシアが知っているルクレーシャは、控えめなところはあるけれど、明るく心優しい性格をした、まさに乙女ゲームの主人公にふさわしい少女だった。

 対する今のルクレーシャは、他者だけではなく家族にまで迷惑をかけるのを避けようとする、常に何かに対して怯えている少女だ。控えめを通り越して、びくびくした状態になっている。

(何かがあって、ここからゲーム中のルクレーシャになるってこと?)

 一人、思考を巡らせながら辿り着いた談話室への扉を開ける。中へルクレーシャを通し、近くを通りかかった執事にお茶の準備を頼んでから、フェリシアはソファーへ座った。

「さあ、あなたもどうぞ。迷っていたなら、かなりの距離を歩いたはず。少し休憩なさってくださいな」

「は、はい……。その、失礼します……」

 片手で自分の正面の席を示し、フェリシアは穏やかな笑みを浮かべて着席を促す。

 ルクレーシャはおどおどと視線を彷徨わせていたが、やがて意を決したようにフェリシアと向かい合うようにソファーへ座った。

 ルクレーシャをこれ以上怯えさせないよう、笑みを浮かべたまま、フェリシアは自分の胸に手を当てる。

「申し遅れました。私はフェリシア・ブレーデフェルトと申します。貴方様のお名前をお聞きしても?」

「えっ……あ、えっと……ルクレーシャ・ブルームフィールドです。その……あなたが、ブレーデフェルト卿の……?」

 ゆったりとした動作で一つ頷く。

 フェリシアの反応を見た瞬間、ルクレーシャは大きく目を見開いて、素早い動きで身だしなみを整えた。その後、勢いよく頭を下げる。

「す、すみません! フェリシア様のお手を煩わせてしまって……!」

「ああ、いえ、気にしないでくださいな。先程も言いましたが、ここは本当に広い屋敷ですから」

 フェリシアは軽く両手を振って、顔を上げるよう促す。

 数拍の間のあと、ルクレーシャはゆっくりと顔を上げたが、その顔は青く曇りきっていた。

(……おかしい)

 ここまで来ると、もう臆病なんてものじゃない。

 一体、ルクレーシャの身に何が起きたのだろうか。

「……ブルームフィールド様。その、何故そんなにも怯えてらっしゃるのでしょうか」

「え……」

「怯えているわけではないのなら、別にいいのですが……」

 軽く深呼吸をして、思い切って尋ねてみる。

 もしかしたらルクレーシャにとって触れられたくない部分かもしれない。だが、もしそうだったらどうにかして答えるのを避けようとするだろう。

 それに、こうも怯えられたままでは友達になるどころではない。

 表面上は落ち着いたように、内心では少々焦りながら、フェリシアは目の前に座るルクレーシャを見つめて答えを待った。

「……」

 答えるか答えないか、ルクレーシャは迷うように視線を彷徨わせている。

 やがて、意を決したようにフェリシアへ視線を向け、大きく深呼吸をして口を開いた。

「だって……分不相応……なんでしょう。私が他の貴族の方々と同じ扱いを受けるのは」

「……え?」

 ルクレーシャの口から紡がれたのは、フェリシアが予想していない言葉だった。

 分不相応? 彼女が? フェリシアたちと同じ扱いを受けるのが? どういうことだ?

 彼女は自分と同じ貴族の出身だ。分不相応も何も、同じ身分なのにどうしてそのような言葉が口から出てくる?

「どういうこと」

 混乱するまま、思ったことが口から溢れる。

 今度はルクレーシャがぽかんとした顔をしているが、それに構わずフェリシアはさらに言葉を重ねた。

「おかしいじゃないですか。分不相応も何も、ブルームフィールド様と私は同じ貴族という立場でしょう?」

「で、でも、私は二番目なのに、兄上は貰えなかったカードを貰って……」

「カードとは運命のカードのことでしょうか。あれは何か特徴的な運命が待っている場合に渡されるものです。カードを貰ったから優れているとか、貰えなかったから優れていないとか、そういうのは関係ありません」

 ふつり、ふつり。腹の奥からマグマのような感情が湧き上がってくる。

 ルクレーシャの言葉からうっすらだが見えてきた。生まれたときに渡された運命のカード。あれ絡みで、心無いことを言われ続けたのだろう。たった一点、そのことを責められ続けたら人は自信をなくす。それによって作り上げられる力関係や傷つけられた人たちは、フェリシアが『フェリシア』になる前もよく目にしていた。

「そのようなことを口にしたのはどなたでしょうか。あなたのお兄様? それとも使用人? とにかく、その方とは距離をとったほうがよろしいかと。……全く、同じ貴族の家にそのようなことを口にする人がいるとは……頭が痛い」

「あ、あの、フェリシア様」

「同じ貴族として恥ずかしい思いです。何故そのような振る舞いができるのか……ああもう、叶うなら殴り込みにいきたいくらい」

「フェリシア様、フェリシア様、落ち着いてください」

 慌てきったルクレーシャの声に止められるのと同時に、談話室の扉が叩かれる。

 彼女の声と空気を震わせた音で、フェリシアははっと我に返った。

 小さく咳払いをし、扉の向こうにいる執事へ入室許可を出して苦笑いを浮かべる。

「すみません、ルクレーシャ様。少々熱くなりすぎました」

「い、いえ……。……少し驚いただけなので……」

「珍しいですね、お嬢様がそこまで感情を表に出すのは」

 執事がどこか微笑ましそうな目でフェリシアを見ながら、テーブルの上に紅茶とお茶菓子のスコーンを並べていく。

 フェリシアは少しだけ罰が悪そうな顔で執事を見たあと、小さく息をついた。

「だって、許せなかったんですもの。適当なことを言って人を傷つける者が、同じ貴族の家の中にいるなんて」

 ルクレーシャは生まれたときに、フェリシアやシャロン、フランと同じように一枚のカードを受け取った。確か、カードの種類は『運命の輪』だったはずだ。

 記憶に間違いがなければ、ルクレーシャがカードを受け取ったことは彼女の兄も知っている。知った上で、自分ではなく妹がカードを受け取った現実を受け入れている。なのに、そのことについてあれこれ口を出してくる外野がいるなんて――。

 思い出したら再び怒りが湧いてきそうになるのを飲み込み、フェリシアは執事が用意してくれた紅茶に口をつけた。優しい紅茶の味と香りで心を落ち着けてから、再び口を開く。

「……とにかく。ルクレーシャ様、そのようなつまらないことを言う人間の言葉など気にしないで大丈夫かと。先程も言いましたが、カードを受け取ったほうが優れているだとか優れていないだとかは関係ありません。ましてや、兄や姉を差し置いて弟や妹がカードを受け取るのはおかしいなんてこと、絶対にありません」

 あくまでも、あれは特徴的な運命を示すものなのですから。

 ルクレーシャの目を真っ直ぐに見つめ、フェリシアはそういった。

「――……ッ」

 瞬間。

 丸く見開かれたルクレーシャの瞳から、一粒の涙がこぼれ落ちる。

 ぎょっとしたフェリシアの前で、ぽろぽろとこぼれ落ちる量は増していき、最終的にルクレーシャは両手で顔を覆って泣き出してしまった。

「る、ルクレーシャ様!? すみません、傷つけたいわけではなかったのですが……!」

「ち、ちが、違うんです、少し驚いたのと嬉しかっただけで……!」

 嗚咽をこぼし、とぎれとぎれになりながらもルクレーシャは言葉を紡ぐ。

 曰く、先程のフェリシアのように怒ってくれるような人は今まで身の回りにいなかった。家の中に心無い言葉を向けてくる人物がいたため、父や兄にも相談できずにいた。だから驚いてしまったのと、嬉しいのを同時に感じた。

 涙が混じり、少々聞き取りづらい言葉に一生懸命耳を傾ける。やがて、なんとか全ての言葉を聞き取ると、フェリシアはルクレーシャの隣に移動して彼女の背中をそっと擦った。

「……そうですか。お一人で、頑張っていたのですね。ルクレーシャ様は」

 返ってくる言葉はない。

 ルクレーシャの背中を擦る手を止めずに、フェリシアはさらに言葉を続ける。

「強い子ですね、ルクレーシャ様は。……ですが、一人だけで頑張りすぎると心が疲れてしまいます。ときには、思い切って誰かに相談することも大事です」

「誰か、に」

「ええ。たとえば、あなたのお父様とか」

「でも、お父様に相談したら心配させてしまう!」

 勢いよくルクレーシャが顔を上げ、大声で叫ぶようにそういった。

 かと思えば、次の瞬間にはまた表情を歪め、ぼろぼろと涙をこぼし、手で顔を覆った。

 まさかルクレーシャが大声を出すとは思わず、一瞬だけ彼女の背から手を離してしまったが、フェリシアは再びそっとルクレーシャの背中に手を添えた。

「心配かけたくないという気持ちはわかります。ですが、ルクレーシャ様のお父様からしたら、自分の知らないところで娘が傷つけられているというのは耐え難い苦痛だと思います」

「……相談しないことが、余計に心配させる……?」

「ええ。たとえばですよ。たとえば、ルクレーシャ様のお兄様が、ルクレーシャ様の知らないところで誰かに心無いことを言われていて、それを誰にも相談していなかったとしたら、ルクレーシャ様はどう思いますか?」

 優しく、穏やかな声で問いかける。

 フェリシアの問いかけに対し、ルクレーシャはわずかに顔をあげ、しばらくの間黙り込んだ。

 数分の間のあと、ルクレーシャがそっと呟くように答えを口にする。

「……なんで、相談してくれなかったんだろう……って思う……」

「でしょう? ルクレーシャ様がしていることは、それです」

 あなたの行動は、あなたの父親を余計に心配させている。

 たとえ話を持ち出し、はっきりとした口調でそのことを突きつける。

 ルクレーシャは一瞬また表情を歪めたが、今度はぐっと涙を飲み込み、両手でまだ目元に残っていた涙を拭った。

 その手を優しく握り、フェリシアは言葉を続ける。

「もし、言い出しにくいのであれば私もお手伝いします。ですから、思い切って相談しましょう?」

 若葉色の瞳が丸く見開かれる。

 驚きを隠せない顔で数回瞬きをするルクレーシャの顔は、最初に出会ったときよりもなんだか明るく見えた。

 数分の空白。

 フェリシアの顔を見たまま、ルクレーシャはどうするか考え込んでいたが、やがてフェリシアの手を握り返した。

「……わかり、ました。……頑張ってみます。ありがとうございます、フェリシア様」

「いえいえ。少々お説教めいていましたね……申し訳ありません。お手伝いが必要であれば、いつでも声をかけてくださいな」

「あ、い、いえ! お説教めいてなんて、そんな。こんなにも真っ直ぐ向き合ってくれたのは、家族以外でははじめてだったので……本当にありがとうございます」

 もしかしたら、フェリシア様のお力をお借りするかもしれません。

 最後にそう付け足して、ルクレーシャは深々と頭を下げた。

「!? る、ルクレーシャ様、顔をあげてくださいませ。私はそこまでされるようなことをしたわけではありませんから」

 こんなに丁寧に頭を下げられるとは思わず、慌てて顔をあげるように伝える。

 その言葉に従い、ルクレーシャはゆっくりと顔をあげ、まだ少し涙で濡れたままの顔を緩ませた。

 彼女の顔に浮かんだ笑顔は、フェリシアが何度も見た覚えがある――ゲーム中で浮かべていた笑顔とそっくりだった。

(ああ――)

 理解した。

 ゲーム中で語られていなかっただけで、ルクレーシャの心にはずっとこのことが引っかかっていたのだろう、と。

 同時に、ゲーム中のルクレーシャは誰かに傷を癒やしてもらった状態からスタートしていたのだと。

 こんな傷を心に抱えていたのなら、あんなに怯えた表情をしていたのも納得できる。

(……ひどいことをする人間は、どんな世界にもいるものなのね)

 一人、心の中で呟く。

「……まあ、その……とにかく。一度、勇気を出して相談してみてくださいな。先程も言いましたが、私も何かあれば力になります。気軽に声をかけてくださいな」

「はい。本当にありがとうございます、フェリシア様」

 もう一度感謝の言葉を口にし、ルクレーシャは心底嬉しそうに笑った。

 が、次の瞬間には何やら視線をあちらこちらに向けて、何かを言いたそうに何度か唇を開閉してはこちらに視線を向けてくる。

 フェリシアは、内心首を傾げつつも、ルクレーシャが一体何を言いたいのか彼女の言葉がまとまるまで待つ。

 やがて、フェリシアが自分のカップに追加の紅茶を注いだところで、ルクレーシャはようやく意を決したように口を開いた。

「あ、あの、フェリシア様!」

「なんでしょうか、ルクレーシャ様」

「そ、その……わ、私と……私とお友達になってくれませんか!」

 体の中に溜まっていた言葉を吐き出すように、大きな声でルクレーシャが言う。

 フェリシアもルクレーシャと友人になりたいと考えていたが、こちらよりも先に向こうがそれを口に出してくるとは思わなかった。

 ルクレーシャも、フェリシアと同じようなことを考えてくれていた。

 その事実に、嬉しさが込み上がってきて表情が緩む。

「……だ、駄目でしょうか……?」

「いえ、少し驚いてしまっただけです。お気になさらずに。……私も、ルクレーシャ様と友人になれたらと思っていましたので、そのように言ってもらえると嬉しいです」

 こんな私ですが、改めてよろしくお願いします。ルクレーシャ様。

 優しく笑顔を浮かべ、最後にそう付け足しながら隣にいるルクレーシャへ握手を求めるように手を伸ばす。

 直後。とても嬉しそうな顔をしたルクレーシャがフェリシアの手を握り返し、大きく頷いた。

「はい! こちらこそ、改めてよろしくお願いします。フェリシア様!」

 満開の花のような。暖かな春を思わせるような。今の年齢にふさわしい少女のような。そんな可愛らしい笑顔を浮かべたるルクレーシャ。

 彼女につられて、フェリシアも思わず笑ってしまう。

 さすがアルカナ・ラヴァーズの主人公。相手を思わず笑顔にしてしまう。

 (こんな女の子だからこそ、いろんな人に愛されるんだろうなぁ……)

 まとう色合いといい、雰囲気といい、何もかもがフェリシアと対照的だ。

 暖かで優しく、あらゆる雪や氷を溶かす色合いのルクレーシャ。

 どこまでもきんと冷たく、雪や氷がもたらす冷たさを耐える色合いのフェリシア。

 ゲームの『フェリシア』は、ルクレーシャをひどく敵視していたが――いざ、こうして本物のルクレーシャを見ると最初から勝ち目がなかったのではと思えてしまう。

「えへへ……本当に嬉しい。私、ずっとお友達が少なかったんです。ですから、フェリシア様とお友達になれてすごく嬉しいです」

「そうなんですか? 実は私もなんです。ふふ、なんだか似た者同士ですね。私たち」

「フェリシア様も? もしかしたら、そうなのかもしれませんね……。なんだかちょっとだけ親近感がわきます」

 ルクレーシャの言葉に、フェリシアはゆったりとした動作で頷く。

 まとう色も雰囲気も正反対。だが、確かにフェリシアとルクレーシャは、確かに似た者同士なのかもしれない。

 一度、そのように感じると一気に相手が身近に感じられた。

「ええ。似た者同士で、お互いに距離が近いところにいる。そのように思うので……」

 自分の胸に手を当てて、言葉を続ける。

「どうか私のことは、親しみを込めてフェア、と。そう呼んでいただけたら、とても嬉しいです」

「あっ……な、なら、私も! 私も、レーシャと呼んでください!」

「あら、よろしいのですか? では、遠慮なく。……改めてよろしくお願いいたします、レーシャ様」

「は、はいっ。フェア様」

 お互いに教えあった愛称を呼び合い、どちらからともなく小さく笑い声をあげる。

 似た者同士だということに気付き、お互いに愛称で呼ぶと決めたからだろうか。今日、はじめて出会ったとは思えないくらいに親しくなれた気がした。

 くすくすと楽しそうに笑い合うフェリシアとルクレーシャ。彼女たちが楽しそうに話している様子を、部屋にいた執事は微笑ましそうな目で見つめていた。





 楽しい時間はいつだってあっという間に過ぎるもので、それは世界が変わっても共通している。

 お互いに好きな本を教えあったり、執事やメイドが用意してくれた人形で遊んだりしているうちに時は過ぎ、ルクレーシャは彼女の父とともに帰らなくてはならない時間になった。

 彼女の父親がルクレーシャを呼びに来たときは、もうそんなに時間が経っていたのかと二人で顔を見合わせたくらいには驚いた。体感時間では、それほど時間が経っていなかったのもあり、あの瞬間は二人揃って驚愕の表情をしていたことだろう。

 父親に連れられて外へ向かっていくルクレーシャの背中を追いかけるように、フェリシアも屋敷の外に出る。

 門の外には見慣れない馬車が控えており、あれに乗ってルクレーシャが来たことがひと目でわかった。

「今日は本当にありがとうございました、フェア様。とても楽しい時間になりました」

「こちらこそ。またいつでも遊びに来てくださいな、歓迎いたします」

「ふふ……なら、またいつか遊びに行かせてもらうかもしれません。どうかお元気で」

 そう言葉を交わし、最後にルクレーシャが手を伸ばしてフェリシアを抱きしめる。

 ふわりと彼女が身にまとう花のような香りがフェリシアの鼻をくすぐり、全身から彼女の体温が伝わってくる。突然のことに少々驚いたが、フェリシアもすぐに気を取り直してルクレーシャを優しく抱きしめ返した。

「ええ。レーシャ様も、どうかお元気で」

 とんとんと優しくルクレーシャの背をさすり、腕を離す。

 ルクレーシャも同じようにフェリシアを離し、大きく手を振って馬車のほうへ駆けていった。

 ルクレーシャの父も、最後にバロンへ頭を下げて馬車へ乗り込む。

 まもなくして、御者が手綱を鞭のように鳴らし、ブルームフィールド親子を乗せた馬車が動き出した。

 馬車が完全に見えなくなるまで見送ったところで、フェリシアは胸に穴が開いたような感覚を覚えた。

「本当に、あいつのところの娘と随分親しくなったみたいだな」

 すかさず、バロンがフェリシアの頭に手を置いた。

 それに反応し、フェリシアは振り返って彼の顔を見上げる。

「私も、こんなに仲良くなれるとは思っていませんでした。でも、お互いに似たところがいくつかありましたから。きっと、そのおかげで仲良くなれたのだと思います」

「そう、か……。……なら、お前があいつの娘と出会う機会を作ったのは正解だったな」

 バロンの声がわずかに柔らかくなる。

 彼はそのまま、少々乱暴な手付きでフェリシアの頭を撫で回した。

 人によっては愛情を感じさせない手付きかもしれない。だが、これが不器用な父の精一杯の愛情表現だとフェリシアはよく知っている。

 フェリシアの口元が緩み、まだ幼い少女らしい笑みが浮かぶ。

「……手紙のやりとりでもしたらいい。友は最大の宝だ、大事にしろ」

「言われなくても。ということでお父様、ブルームフィールド様のお住まいを教えてくださいな。早速手紙を書きたいの」

 一瞬、バロンが驚いたように目を見開く。けれど、すぐにまた表情を緩めてもう一度フェリシアの頭に撫でた。

「……本当に、あいつの娘と会わせてよかった」

 小さく呟かれたバロンの声は、とても穏やかなものだった。

 そんな父へフェリシアも笑顔を返し、歩き出した彼と並んで屋敷へと足を進めた。

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