第7話 漂う気持ち

 島にフェリ―が到着する新港の辺りは小さいながらも湾を形成している。フェリ―の桟橋から見て、ちょうど湾の反対側のあたり、ここには小さいながらも浜辺がある。浜辺と言っても、沖縄のような白い砂浜でも、湘南のような細かい砂が堆積した砂浜でもない、雑多な粒の石が転がる砂利浜だ。海流がいろいろなものを漂着させる場所なのだろう。ペットボトルやビニールのゴミや子供のおもちゃ、流木などが浜に打ち上げられている。


 ここに来るのは面倒だった。フェリ―の港から断崖下部に作られた細い道を歩かなければならない。潮が引いている時はそれほどでもないが、満ちている時はかなり危険な道だ。件のたちばな神社跡はこの砂利浜の奥にあった。


「特に変わったことはない、か……」


 どうせ誰もいないからと独り言が口から出る。ここに来るのは四度目くらいだろうか。何度か浮田うきたさんと一緒に掃除には来て、その都度神饌しんせんを取り替えていた。だが、そのご祭神の姿を見たことはなかった。少なくとも、先日までは。ウミホタルを見に来た時に見かけた、あの子供こそがご祭神の姿だと、浮田うきたさんは言う。


「あの、誰かいませんか!」


 何をしていいか分からず叫んでみた。こんなアクセスの悪いところにあって神様がやっていけるわけがない。まだご祭神が残っているなら、コンタクトを取ってなんとか助けたかった。だが、呼びかけに答えるものはいない。仕方がないので、神社跡を見て回った。社の跡はもうほとんどないが、不自然に空いたスペースからかつてここに社があったと推測できる。そこに御幣が立てられており、これは新しく、浮田うきたさんによるものだ。石場もあり、見事な玉石や奇岩が並べられている。鍾乳石のようなものもある。この島に鍾乳洞があるのだろうか。どこから持ってきたのかザクロ石が入っている石もあった。灰色の石に赤黒いザクロ石の調和が見事だ。つい手を触れたくなる。


「おい、触るな。盗人ぬすっとか、あ?」

「うわぁっ! すいません!」


 急に後ろからドスの効いた声をかけられ、条件反射で謝罪しつつ飛び上がるようにして振り返った。子供がいた。歳は中学生くらいだろうか。髪を束ねた中性的な雰囲気の少年だが、着ているものが時代劇に出てくる町人みたいだった。足元は裸足だ。少し異様に思えたのは服が真っ白だったことだろう。死に装束なのだろうか。輪郭の見え方からして、力は微々たるものだがこの子がたちばな神社跡の神様だろう。多分、歳相応の可愛らしい顔だちをしているはずなのだが、全力でこちらにメンチを切っていた。


「お前、新人だな?」

「あ、はい、水祭みずまつりと言いまして」

「聞いてねぇよ」


 いや、聞いただろ


 こんなにも敵意をむき出しにしてくる神様に会ったのは初めてだった。危うく、神様に対してクソガキという言葉が出そうになる。だが、実際には出せない。この子が神様だという遠慮もあるが、何かこう言わせない迫力があった。考えてみれば外見が幾つであれ、実際に過ごした月日は人間より長いのだ。


「お前、俺の場所で何してた?」

「え、あ、神饌しんせんをお供えに」

「聞いてねぇよ」


 こいつ、ぶん殴ったろか!


 と、心の中では思うが、その千分の一の敵意も出せない。


「石場ぁ、石場で何かしてたろ?」

「あ、あの立派な石が捧げられているなと思って……」

「盗もうとしたのか! あぁっ!?」


 なんとも困った。こんな絡み方してくる神様にでくわすとは。俺は必死に弁護した。石場については立派な石に見惚れたこと、この島に神祇庁から派遣された以上、神様の「過ごしやすい」環境を整えていきたいこと、等々。ふと、ここで気が付いた。この子の来ている服、右の袖だけが鮮やかなだいだい色だったのだ。


「へっ、調子のいいこと言ってんなぁ、人間風情が」


 結局、その日は帰り道も断崖のところまでネチネチと罵声を浴びつつ逃げるように帰って来た。



   ◇



「ああああああっ、なんなんだあんのクソガキぃぃぃっ!」


 帰宅したら途端に腹立たしくなった。浮田うきたさんから借りている観光協会の事務所裏にある小さな一軒家で怒りを爆発させる。


「人が下手に出ていれば調子に乗りやがって! 何が聞いてねぇよ、だよふざけんなっ!」

「おい、うるさいよ」


 ガラッと窓をあけて八幡はちまん神社のご祭神「月様」こと黒津月彦命くろつのつきひこのみことが顔を出す。相変わらず某金田一みたいなお釜帽に和装というアレな出で立ちだ。


「うわっ! びっくりした! ちょっと、急に出るのやめて下さい。不審者かと! ていうか、ここまで来れるんですか?」

「何を言っているんだい」


 月様がやれやれといった顔をする。


「順番に答えてあげよう。君の声が神社まで響いてくるからなんだと思って来たんだよ。そして、私はこの村の鎮守なんだから、集落内なら問題なく出向けるよ……で、君はこんな明るい時間から一体なんで奇声をあげていたんだい」


 大声で驚かせてしまった責任もあるので、俺はたちばな神社跡での出来事を月様に説明した。あの子供の神様のことも、盗人ぬすっと呼ばわりされたことも。


「あの子に会ったんだね」

「月様はあの子、いえあの神様のこと何かご存じですか? まるで話らしい話もできず」

「うーん、なんでも知っているわけではないけどね……」


 そう前置きして月様は話してくれた。元々あの砂利浜には神社があり、浜にユニークな形をした石が流れつくと、神様への捧げものだと石場に供えていたらしい。だが、碧ヶ島みどりがしまが噴火し、島民すべてが避難した後、おそらくその神社のご祭神への信仰は絶えてしまった。島民が戻って来るまで何十年もかかり、また戻らなかった一族もあったからだ。月様の神社が八幡はちまん神社と改名されたものの、八幡はちまん神が勧請されていないというイレギュラーなことになっているのも、この時の住民の出入りのせいではないかと言っていた。


「多分、君らが江戸時代と呼ぶ頃かな、浜に綺麗な袖が漂着したんだ。おそらく、海難者の持ち物だったのだろう。これを当時の住民が弟橘媛命おとたちばなひめのみことの伝承と……あ、伝承のこと知っている? 袖がどーのこーのの話」

「千葉県の袖ケ浦の話ですか? 入水した弟橘媛命おとたちばなひめのみことの袖があたりの海岸に漂着したという」

「それそれ!」


 当時の住民の中に、袖ケ浦の話を知っていた者がいたらしい。ひょっとしたら、本土の方の商人が来ていたのかもしれない。その袖があまりに鮮やかな状態だったことから尋常のことではないと、弟橘媛命おとたちばなひめのみこととして祀ったのだという。


「じゃあ、普通の人が海で亡くなっただけだったのが、伝承に影響された人によって社に祀られたと?」

「そう、その通り。理解が早くて助かるよ」


 漂着した者、海から来る者を祀るのは一種のまれびと信仰なのかもしれないが、弟橘媛命おとたちばなひめのみことと推定して祀るとは珍しいケースだった。江戸時代にも古代の袖が流れていると思ったのだろうか。島においては、そう信じたくなるくらい、例えば色や模様が珍しい袖だったのだろうか。


「じゃあ、俺はどうすればいいのでしょうか? どんな来歴の神様であれ、その信仰を現代に合うようお助けするのが神祇庁の務め」

「うーん、まあ難しく考えないことだね。君なら大丈夫だと思うよ」


 月様は具体的な指示をくれなかった。思わず顔に不満が出る。それは月様に伝わってしまったらしかった。


「まあ、そんな顔しないで。私は君を評価しているんだよ。海照比売命あまてるひめのみこと佐予さよさんを救った件、見事だった。君の思うようにやってごらん……人間なんだから」


 言うだけ言って月様は消えた。神社に戻ったのだろう。神様のずるいと思うところは、言いたいことを言ったらそのまま消えられるところだ。追いかけることも、反論するひまも与えてはくれない。



   ◇



「また来たのか、盗人紛ぬすっとまがい」


 次の日も俺はあの砂利浜に行った。営業と一緒で受け入れてもらうには、挨拶を繰り返すのが第一だと思ったからだ。あの少年神様は蔑むような目で見上げて来た。見下して来ないのは単に身長差の問題だ。


「どうかそう言わずに……今日も神饌しんせんをご用意しましたので……」

「誰も頼んでないぞ、熱心な信者ぶるのは楽しいか?」


 カチンと来た。もうこの神様が近所のクソガキにしか思えない。


「口の利き方はまともにした方がいいよ。俺が存在として上か下かとかそういう問題ではなく、あんたの品性の問題だ」


 少年神様にとっては意外だったのだろうか。驚いたように目を見開く。


「ぶ、無礼な貴様っ、人間の分際で……!」

「なんだい、自分を敬って欲しい時だけ神様アピールかい、実にかっこいいねぇ」


 なんだか口調が月様っぽくなってしまった気がする。誠に不本意である。


「貴様っ、神の呪いで苦しませてやろうか!」

「誰にも拝まれない神様の力なんて怖くないなぁ! 自分の役割がなくなっても崇敬される神様もいるっていうのに、誰にも崇敬されず威張るだけの神様もいるなんて世も末だなぁ!」

「な……! 貴様っ、貴様ぁっ!!」


 少年神様は真っ赤になった。もちろん羞恥心からではない。明らかに憤怒のそれだ。


「お前なんか、お前ごときが……!」


 だが、だんだん雲行きが怪しくなってきた。少年神様の声の怒気が歪む。嗚咽おえつで歪む。


「あ……ごめっ……」


 思わず謝ってしまった。少年神様は目を真っ赤にして泣き始めてしまったからだ。


「ああああああっ! かってに! かってにまづっでおいで! なんだよぉっ! 」


 しばらく少年神様は泣きながら吠え続けた。非常にリスニングは困難であったが、どうやら、勝手に弟橘媛命おとたちばなひめのみこととして祀られたものの、その後の火山噴火や神としての来歴の不透明さから信仰が失われ、誰も社跡を訪れなくなり、すねてしまったらしい。生前の記憶には曖昧な部分もあったが、子供のまま亡くなって神になったようだ。たった一人神様として放置されて成熟しろというのも酷なことなのだろう。途中から、大人げなくすねた子供を本気で泣かせてしまった大人のような気持ちになってしまい、うんうんと話を聞き続けた。


 この子も集落内に分社作ってあげれば寂しがらずに済むかな


 おそらく、まだ神として消滅せずに済んでいたのは、そこに荒れた社の跡地があるという不気味さ故だろう。そこに神がいることだけは忘れられずに済んだのである。


「これ、美味しい」


 泣きじゃくって疲れたのか、お供え物として持ってきたチョコレート菓子をぼりぼりと貪り食う。少年神様のお気に召したようだ。


「今は他にもいろいろな食べ物がありますよ」

「ほんとかっ! 今度持ってきて、明日!」


 なんだろう、このさっきまでとの対応の落差は。


 結局、その日は夕方までこの神様の話相手をする羽目になった。今は空を飛ぶ乗り物があることや、海の中を探れる船があることに非常に興味を示していた。持ってきた饅頭の包み紙で小さな紙飛行機を折ると素直に感動してくれた。


「すっげっ! ただの紙でも空が飛べるんだ! これに人は乗れるのか?」

「人が乗れるのはもっと大きい、紙ではなく鉄で作った乗り物だね」

「鉄で空を……?」


 少年神様はじっと俺の不出来な紙飛行機を見つめていた。


「今、僕に体があればその飛行機とやらに乗って故郷に帰れるのに……」


 この寂しそうな横顔と声に、はじめて心からこの神様を哀れに思った。


「さて、そろそろおいとまするよ。まだ仕事があるんだ」


 帰ろうとすると、この少年神様の行動範囲、砂利浜の入口まで見送ってくれた。


「じゃあな、俺が動けるのはここまでだ。さっさと帰れよ」


 あれ? 口調がさっきまでの子供らしいものから、また不良みたいな口調に戻ってしまっている。


「んだよ、ぼーっとこっち見て。また来たら相手してやるよ、せいぜい体に気を付けろよ!」


……あれ、来て欲しいのか? あれか、ツンデレなのか?

……でも、男の神様だしなぁ


 俺は何か腑に落ちないものをたくさん抱えつつ帰路に着いた。



   ◇



 あれから砂利浜の少年神様の態度はするっと軟化した。まだまだ頑なな一面が出てくることもあるが、俺や浮田うきたさん、そして砂利浜にもやって来ることができる麻子あさこ様には少年らしい一面も見せるようになった。特に麻子あさこ様には甘えている。姉のような存在になりつつあるのかもしれないが、初期状態を知っている俺にとってはたまに殴りたくなる。


 また、八幡神社の一角にほこらと御幣を用意してもらえることになり、いわば分社が作られることになった。ここで問題になったのはその名前である。弟橘媛命おとたちばなひめのみことではないが、その名で祀られてしまっている。まさかいつまでも違う名前でお祀りするわけにもいかない。怪我の功名かもしれないが、現時点では島民から明確に意識されているわけではないので、本人の生前の名前から小一郎神こいちろうしんとして祀られることになった。

 

 そんなある日、砂利浜の社跡に神饌しんせんを捧げに行くと、小一郎神こちろうしんが意外なことを言い出した。


「俺は飛行機を知っているかもしれない」

「は? だって、あれ、貴方は江戸時代に……」

「聞けよ」


 今度は「聞いてない」ではなく、「聞け」と来た。小一郎神こいちろうしんによれば、砂利浜の裏側にあたる海岸に洞窟があり、昔、そこに何か鉄の乗り物を隠している人がいたという。洞窟とはどんな洞窟だろう。例えば、波で削られてできた海蝕洞だと、船がないと入れないことが多い。その心配を言うと大丈夫だという。


「洞窟の上の部分が少し崩れて天窓みたいになっているんだ。そこから内部が見えるよ」


 すぐそこだと言うので、見に行くことにした。こんなところに隠せる飛行機としたら水上機だろうか。戦時中の飛行機の一部でもあれば、観光の目玉になるかもしれない。そういうのは期待し過ぎてもいけないのだろうが、島の利益になるのではないだろうか。


「来るかい、じゃあこっちだ!」


 小一郎神こいちろうしんは砂利浜の裏に回り、海岸沿い登っていくように進む。断崖に辛うじてある道を上るとそこそこの高さになってきた。


「ここから下に降りて行くんだ」


 小一郎神こいちろうしんがとんでもないことを言う。もう道らしい道はなく、そこはもう断崖だ。一歩でも踏み出せば青い海へと落下する。しかもこういう地形の海は、海岸からすぐに深くなるので、潮流が早く、危険なことが多い。だが、小一郎神こちろうしんはここを降りていくという。ロッククライミングでもするのだろうか。


「いや、これは無理だろう」

「よく見て、紐がある」


 言われたあたりを見ると、確かにかなり古ぼけたロープが金具で岩に留められていた。そして、その下方になるほど天窓らしい穴が開いている。今いる場所からは内部は暗くて見えないが、確かに空間がある。


「じゃあ、降りるよ」

「え、あ!」


 小一郎神こいちろうしんはこちらの反応も待たずにするすると紐を使って降り、また時折、飛び跳ねるように横に移動して天窓の位置に降り立つ。


「早く来なよー! ここに来れば見えるから!」


 少し風が出てきた。正直怖い。だが、このまま風が強くなると帰りがもっと怖くなる。早く終わらせて、風が強くなる前に戻りたい。そう思って俺は勇気を振り絞った。紐をつかみ、岩のでっぱりに足を置きながら少しずつ降りていく。体格が違うので、小一郎神こいちろうしんのようにするすると動くことはできない。

 

「おーい、早くー!」


 下から待ちくたびれたような小一郎神こいちろうしんの声がする。


「今っ、今行くから!」


 その時だった。


 紐が切れた。


「あっ!」


 体が宙に浮いた。


 小一郎神こいちろうしんの声がした。


 脚が何かにぶつかる。


 背中が何かにぶつかる。


 咄嗟に頭をかばった。


 ドンッという強い衝撃とともに胸に痛みが走る。


 小一郎神こいちろうしんが何か叫んでいた。


 視界が暗い。


 何かが温かかった。

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