第5話 神々の黄昏(前)

 岬の海照神あまてるしんの親友とでも言うべき、佐予さよさんを八丈島の病院に送り届けたその日、浮田うきたさんや権太郎ごんたろうさんは帰って来なかった。だが、雨が上がった夕方には電話があり、佐予さよさんは無事病院にたどり着いたが、貧血に加えて肺炎も発症していたらしく、そのまま入院することになった。旦那さんはしばらく佐予さよさんの容態を見るために、八丈島の親戚のところへ宿泊し、浮田うきたさんをはじめその他の人々は明日以降、海の様子を見て島に戻るとのことであった。


「……というわけで、無事に病院についたみたいですよ、佐予さよさん」

「そうか、それはよかった……」


 海照神あまてるしんは社の横でぐったりとしていた。捨て身の神力で船を八丈島へ送り届けたわけだが、輪郭の輝きははっきりしていた。おそらく、今回の一件で権太郎ごんたろうさんや佐予さよさんの周囲の人が「岬の神様」として意識してくれたからだろう。血色は悪くないので、消えそうになっているというよりは、佐予さよさんが乗る船を無事に八丈島に届けるために力を使い果たして疲れてしまったのだろう。


佐予さよは元気になるのか?」


 それは何とも言えなかった。詳しい診断結果を聞いたわけでもないし、老人の肺炎は怖いと聞く。俺は医者を信じましょうとだけ言った。神様に人たる医者を信じるようにと言ったのだ。


「で、お前はなんだ、その格好は?」


 ジャージを着ている神様に格好のことを指摘されたくはないが、今、俺は頭に麦わら帽、作業着にタオルと農家のあんちゃんな出で立ちをしていた。もちろん、目的あってのことである。


「すいません神様、一つお聞きしますが、この辺の草とか刈ってしまっていいですか? 切っちゃダメなご神木とかあります? あ、さすがにしめ縄巻いてるやつとかは手を出しませんよ」

「なんだ? この辺りをきれいにしようってのかい? まあ、ありがたいことだね、別に構わんけど?」

「では!」


 俺は神饌しんせんを捧げるとさっさと作業に取り掛かった。鎌で草を刈り、明らかに野放しにされて生えている木々の枝を落としていく。慣れない作業だ。というより、始めて一時間ほどでもう足腰が痛くなり、こんなことを始めたことに後悔も感じ始める。だが、やると決めた以上、やらないわけにはいかなかった。



   ◇



 翌日も俺は朝から岬の社で草刈りをしていた。蚊に食われ、いつの間にか靴下の隙間にカメムシが入り込み、爽やかな午前の海風の中、気分は最低だった。


「何しているの?」

 

 長い髪を風に散らしながら、巫女装束の麻子あさこ様が尋ねてくる。


「草刈りですよ、神社をきれいにしようと思って」

「あら、感心します! 水祭みずまつりさんって働き者なんですね!」


 海照神あまてるしんの様子を見に来たのだろう。そう言えばこの神様はなんでこんなにうろうろできるのだろうか。この可愛らしい神様もっと話をしてみたいし、いずれは聞いてみようとは思っている。今は草刈りだ。


「ああっ、もう腰が! 腰がっ!」


 限界が来た。日頃から運動不足は痛感しているが、これほど草刈りが重労働だとは思わなかった。


「あんたこの辺きれいにしてくれるのはありがたいけど、いいわよ、無理しなくて?」


 今日は気分の問題なのか、ジャージの神様は髪をまとめていなかった。ウェーブがかかった髪が陽光を反射する。気が付けば天気が回復していた。


「いや、ほら、まだ完璧じゃないですけど、見て下さいよ」

「は……、あ……海!?」


 そう、懸命に草を刈り、邪魔な枝を落としたのは、社から海が見えるようにするためだ。


「すごーい! 水祭みずまつりさん、てるちゃんに海を見せるためにやってたのね!」


 麻子あさこ様が素直に感動してくれた。そうはっきり感心してくれると少し誇らしい。

 元々、海照神あまてるしんは港を見守る神様で、昔は港が岬の近くにあった。だが、時代の流れにより新造の港ができると古い港もこの社も忘れ去られてしまったのだ。それは、この神様にとって辛いことであっただろう。神としての力もずいぶんと弱まる結果になったに違いない。だから、せめて海が見えるよう放置されていた草を刈り、できればもっと枝を落とすなり、木を切るなりして視界を確保したかった。そこまでは俺一人の力では無理なので、浮田うきたさんが戻り次第相談しなければならないが。


「まだ完璧じゃありませんが、今の港の様子が見えるようにしたいです。それに、ここまで視界があれば、きっと佐予さよさんが帰ってくるときの船も見れると思います」

「あんた……! ったく、いい男じゃない!」


 海照神あまてるしんは俺に殴るような仕草をした。その口元は笑い、目元は少し潤んでいるように見えた。きっと、やってよかったのだ。そう思い、今頃になって気が付いた「ここ私有地だったらどうしよう」という不安をひとまず忘れることにした。



   ◇


 

 午後になっても、まだ浮田うきたさんたちは戻ってこなかった。晴れてはいるがまだ波の動きはおさまっていないのだろう。やることもないので、島の中央部にある村営温泉に入りに行く。碧ヶ島みどりがしまは火山島のため温泉も湧く。恐らくはこの島で唯一といっていい観光スポットだろう。この島は景色は抜群だが、周囲が断崖絶壁に囲まれ、また海の流れも速いため、釣りやダイビングを楽しむには適さない。その代わり夜の星空は本当にすごいのだが、果たして星を見るために、人はこの交通不便な島まで来るものなのだろうか。


「こんにちはー! 大人一人、入浴お願いします」


 海照神あまてるしんの一件から、この島で何かをするには島の人々の理解を得られないと難しいと認識させられた。当たり前のことではあるが、基本的に鈍い自分は何かをしてみてやっと気が付けたのだ。島の人と交わらなければならない。他人にお願いをしなければ何もできないのに、こちらが島の人々と関わらず、そしてお金も落とさなかったらどうやってそれができるというのだろうか。正直、自分には苦手なことだ。だからせめて、元気に挨拶し、朗らかにふるまいたい。


「ああ、あんちゃん、観光かい?」


 俺が番台のおばちゃんにお金を払っていると、ちょうど温泉から上がって涼んでいたおじさんが話しかけてきた。阪急ブレーブス(過去に存在した野球チームである)の野球帽を被っている。なんだかデジャヴを感じた。


「あ、いいえ、観光協会で働いているんですー!」

「へー、じゃあ浮田うきたさんとこかい」


 何かひっかかるものがあるので、明るくさっさと会話を切り上げようと番台のおばちゃんに話し掛ける。


「あ、タオル借りれますか?」

「大きいのと小さいのありますが、どうします?」


 ふらっと寄った温泉で、体はそこまでごしごし洗おうと思わなかった。大きいのを借りて体をぬぐう際に使えばいいだろう。


「じゃあ、おお……」

「小さいのがいいよ! 小さいの!」


 ブレーブスおじさんがなぜか絡んでくる。

 

「大きいのは使いづらくてよくない。小さいので体も洗えるし、体もふけるじゃねーかよー!」


 しかもなぜか叱りつけるようにまくし立ててきた。なんなんだこの人は。そう言えば、顔も似ているような気がする。大洋ホエールズの野球帽を被っていた権太郎ごんたろうさんに。


 一族の者かな……


「わ、分かりました。じゃあ、小さいのでいいです!」


 こんなところで精神を摩耗させたくない。俺はブレーブスおじさんの言うとおりにタオルを借りて、脱衣所へと急いだ。


「いっつも言ってるんだがちょうど真ん中くらいの大きさのタオルがあればいいんだよ!」


 脱衣所の外では番台のおばちゃんに向けて、おじさんの独演会が続いていた。一体何に怒って生きているのだろう。

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