第3話 神様の友達
「あたしゃ神様だよ」
倒れている女性が絞り出すような声でそう言った。俺は
「大丈夫ですか!?」
「この方が、
「本当にっ!?」
思わずそう言ってしまった。気づかなかったことに驚いたのだ。研修期間に経験も積み、もう神様と一般人を見間違えるようなことはない、そういう自負はあったのに。
「これは随分弱っていらっしゃる……」
「祭祀局に連絡を取りますか? 動いてくれるか、私には分かりませんが」
祭祀局は神祇庁の中でも、古代の祭祀手法の探究や、弱ってしまった神々の一時的な回復を司るかなり特殊な部局だ。神祇庁の中でも特に人員規模の小さな局で、全員が神官だとか、全員が
「来てくれますかね、こんなところまで……いや、でも……お願いできますか。いや、申し訳ない。私がこの島にいながら……まさか、ここまで弱っていらっしゃったとは……」
通常、神様と触れ合ったり、掴んだりすることはできない。せめて、と持っていたピクニックシートを広げ、
「てるちゃん、大丈夫?」
ふと女性の声がした。振り返ると長い髪の巫女装束の少女が立っていた。顔にはまだ幼さが残るが、しっかり者といった顔だちをしている。見た感じ、中学生か高校生くらいだろうか。
この子、神だ。
少し神としての輝きが弱いがすぐに分かった。この島でこの子に該当するような神様は確か……
「
「それでもね、てるちゃんには人間の友達がいて、よくお参りに来てくれていたの。
「
なんでもその
「
「……それとも……あたしのこと、忘れちゃったかなぁ……」
声に少し涙声が混ざっているように聞こえ、胸が痛んだ。ひょっとして
「
「お願いします。東京に連絡して、祭祀局に来ていただけないか問い合わせていただけませんか? 私はその間に、今、
不思議だとは思うが、先にやることがあった。この島は携帯電話の電波が入るが、外輪山の裾野は地形の問題なのか、入らない。港か集落のあたりまで移動してから電話する必要があった。急ぎ集落のあたりまで戻り、上司に連絡する。祭祀局から応援をもらえるかどうか確認しなければならない。
「それは私にも分からないな。助けるかどうか、助けられるかどうかの判断は祭祀局がする。言えるだけのことは言って、お願いしてみよう」
上司の声はいつも通り事務的だったが、言ったことは絶対にやってくれる人だった。
「どうか、よろしくお願いします!」
なんとなく始めた仕事であったが、神様が消えるところに出会いたくはなかった。今はただ、上司を信じるしかない。
◇
電話を終えて、岬の社に戻るとシートに横になったジャージ姿の
「お帰りなさい。てるちゃん寝ちゃってるわ」
「貴方が新人さんね、よろしくね。私は
「確か、
一瞬、
「せっかくだから、てるちゃんのこと、教えてあげるね!」
だが、次の瞬間には先ほどの優しい少女のような口調で話を始めた。
「昔はね、ここが、この岬の下に見えるあの小さな浜辺が、小さいけど波から守られてるから港として使われていたの。でも、台風の時は、船を高いところまで上げないといけなかったから大変だったのよ。不便よね。それに島に大きな船が来るようになって、あの新しい港ができたのよ。確か……戦争の後だったかしらね」
戊辰、西南、日清、日露、第一次世界大戦、第二次世界大戦、彼女のいう戦争とはどれのことだろう。
「てるちゃん、もう船を見守るにも港が遠くになっちゃってね、あの時はひどく落ち込んでずーっとお酒飲んでいたわ。かわいそうだったなぁ……月様もそうだけど、てるちゃんはそれ以上にここの村の人のこと大好きだから……」
なるほどと思った。きっと港が新造されたことで、完全に村人の生活から切り離されてしまったのだろう。港が変われば、人の動く道も変わる。
がさがさっと音がした。
「
「貧血で、先月から寝込むことが多くなったそうです。最近は自力で歩けないほどで、八丈島か東京の病院に連れて行くことも考えていると、ご家族が」
まずいな
老人の貧血は原因不明だったり、そもそもの造血能力が弱っていたりで治せないケースも少なくないと聞く。入院が長期化したり、そのまま亡くなったりすることがあれば、
「元気になってくれるといいですね……」
「ええ……」
俺も
「大丈夫よ、
◇
翌日から天候が崩れた。この時期にしては発達した前線が近づいているらしい。夕方には風もかなり強くなり、明日のフェリ―は欠航が予想された。この島から外へ出ようとするとフェリ―に乗るか、非常時に要請できる自衛隊のヘリコプターに八丈島から来てもらう他ない。だが、フェリ―が欠航するような時はヘリコプターもダメだ。強い前線が来ると、島の断崖上に設けられたヘリポートはひどい風に脅かされるのが常らしい。
「
空を見上げながら、
「雨、降らないうちに行ってきます」
俺は島の神々が少しでも活力を取り戻してくれるようにと、毎日それぞれの神社をお参りすることにした。自転車のカゴと背中のリュックに
ひいひいと悲鳴をあげながら、自転車を漕いで外輪山を突破する。自転車を漕ぐことに夢中になっていたら、途中で大きなカタツムリを轢きそうになり肝が冷えた。ぼうぼうの草をかき分けて岬の上の社に着くと、
「……行儀悪いですよ」
なんと声をかけて良いか分からず、やっと言えたのがそれだった。
「おう、前回はみっともないとこ見せちまったな……」
「いえ、別に」
なんと返せばよいかもわからず、せっせと
「ありがたいが、よせよせ。どうせもうすぐ消える身だ。
どうもこの神様、少しひねくれているらしい。しゃべり方からそんな印象を受けた。
「そんなこと言ったら、
「……ふん」
お神酒を注いで捧げると、それにはすぐ手を伸ばしてきた。
「……
一言、そのことを聞いてきた。
「貧血だそうです。一度東京の病院に行くそうなのですが、この天気で……」
「治るのか?」
この神様のことを思えば、答えないのが一番ではないかと思う質問だった。詳しく知っているわけではないが、浮田さんから聞く話の雰囲気だと、完治するような症状ではない気がするのだ。
「自分は医者じゃないのでなんとも……」
「……そうか」
結局、曖昧にお茶を濁すことしかできなかった。
「……海が見てぇな……」
「……寝るわ。雨が来るから帰った方がいいぞ」
そう言って
やばい!
雨が強い。外輪山の外側から集落へと続く道の途中で、たまらずレインコートを着たが、中にまで水が流れ込んでくるような気がする。地面はすっかり水に濡れており、ところどころに水たまりができていた。道脇の生い茂った草が雨を受けて青々と元気そうな色を見せている。いつの間にかあちこちからカエルの合唱が聞こえていた。海で囲まれたこんな小さな島に、カエルはどこから入りこんだのだろう。そんなことを思っていると、ふと、後方からぞくりと気配を感じた。慌てて振り返るが何もいない。
気のせいか?
視線を前方へと戻そうとした時、それを見た。
海の上に白い輝きが漂っている。ほのかな輝きであったが、信じられないほど神々しかった。その輝きがどんな形をしているのか、浮いているのか、空中を飛んでいるのかすら分からないが、雨の中、海上をゆっくりと移動している。
あれは、やばいっ!
直観的にそう感じた。安易に見てはいけないものだ。咄嗟に視線を地面に向ける。見たい好奇心もあるが必死に我慢した。あれは悪いものではない、確かに神々しい。神々しすぎるのだ。
なんだ……あれは?
ある程度神様を見慣れてきたつもりだったが、あんなものを見たことはなかった。何と言ったらいいのだろう。上位の神、いや、簡単に会えるようなものではない存在だ。
気が付いたら、俺は雨の中その場で平伏していた。おそるおそる顔を上げると、そこには何もない。ただ雨の中、灰色の海が広がっているだけだった。相変わらずカエルの合唱が続いている。俺は逃げるように用意された家へと帰った。
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