人生の始まり




わちは生まれてからというものの、親というものを知らない。

生まれた時には既に孤児院という所にいて、そこでは最低限の衣食住と教養があったのだが、8歳になる頃には孤児で溢れまともに生活出来なくなっていた…




そこで孤児院を飛び出し街へ出たのはいいのだが…

お金も技術も無いわちが住む所なんて当然無くて。




なんとか安全に寝泊りできるのが下水道だった。

ちょっと汚いし寒いけど…

でも、そこならわちを嫌な目で見てくる人もいないし、衛兵と呼ばれる人達も来なかった。




盗みは犯罪、小さい頃から孤児院でそう教えられたのもあってか、盗みを働くことは一度もなかった。

食べ物はゴミを漁ればいいし、水は川に行けば飲むことができる。





しかし、そんな生活を続けて8年が経ち…

歳も16歳になってわちは極限状態になっていた。




食べ物は変わらず残飯やゴミばかり、飲み物も水しか無く、ジュースなんかは捨てられてる瓶の底に残っていた数滴がたまに舐められる程度だ。

前に一度、川に水を飲みに行ったときに見つけた木の実はすごく美味しかったのだが、食べた後の3日間激しい吐き気、高熱に腹痛と地獄を見たのでそれ以降は怖くて食べられなかった。





そしてなによりも────────




将来について考えてしまったのだ。




わちは死ぬまでずっとゴミを漁り続けないといけないのだろうか…

病気になっても誰にも助けてもらえず、一人静かに死んでしまうのではないだろうか…




わちが…




わちが死んだら、わちが生きていたことを知る人は誰もいないんじゃないだろうか…?




孤児院の人達は孤児を一人一人覚えていることは無かった。

事実名前すら呼ばれた事がなかったのだから…





名前…?




そういえば、わちには名前が無い。

わちは…一体なんなのだろう…




名前も無くて…誰の記憶にもいない。




人は死んでも、誰かの記憶にいる限り生きていると昔聞いたことがある。





なら──────





ならわちはどうなる?




誰の記憶にもいないわちは、死んだら一体どうなるの…?





一度考え始めると思考は止まらず、恐怖が全身を縛った。

いつもは数分で寝れるはずが何時間経っても寝れなかった。




目を閉じるのが…

暗闇が…

寝るのが…





────怖かった。





もし、目を閉じたらもう開かないのではないんじゃないか…

暗闇に飲まれて消えてしまうんじゃないか…





そうして一人恐怖に縛られて泣き続け、そして気絶したように眠り、数十分後に慌てて跳ね起きる。

そして生きていることに安堵するのも束の間、また恐怖が全身を襲う。





度重なる寝不足とストレスの影響で身も心もボロボロになったわちは気が付いたら街へ出ていた。

街の人々はわちを見ないように避けるが、それで誰かの記憶に残るなら…と思っていた。





そんな時、とある2人組を見つけた。

片方は小さく、オレンジ色の髪が特徴的な子供。

もう片方はかなり大きく、背中から生える4本の羽に青みがかった肌をしていた。




親子だろうか…




そんな事を考えながらぼーっと見ていたが、次の瞬間その眼差しは一気に強くなった。

母親と思われる方が持っていた袋の中に大量の金貨が入っていたからだ。




あれだけあれば…わちはこの苦しみの輪廻から逃れられるんじゃないだろうか…?




例え盗めなかったとしても、最悪子供を人質に取れば…




盗みは犯罪。

しかし、そんな事を気にしている余裕は無かった。




子供を傷つけるつもりはない。

最悪うまくいかなかったら…その時は逃げればいい。

もう残っている体力は僅かだが、これがきっかけであの2人組の記憶に残るかもしれない…




それなら…





もはや正常な判断が付かなくなっていたわちは、落ちていた割れ瓶を懐にしまうと、その2人組の後を追うのだった。





まさか、別の意味で人生が変わるとも知らずに────
















▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲
















なに!?この大きい水浴び場…!




アスタルテという人に連れてこられた家でまず入れられた部屋がここだった。

どうやらあの人がこの家の主のような立場らしい。

あとノレスという人は母親じゃなくて恋人だったみたいだ…




脅迫した時に絞められた足と、母親かと聞いた時に殴り飛ばされて壁に打った背中を労わりながら椅子に座る。




それにしても…




あのアスタルテという人…わちを拾ってどうするつもりなんだろう…

最初こそは家に連行されてバラバラにでもされるのかと思ったけど…




なんだかすごく優しそうだし…

今まで会った人とは違う何かを感じる…

胸がぽかぽかするような、なんだろう…この感じ…





自分でも分からない感情に包まれつつ、前にあったコックをひねる。




(これは…井戸に付いてるやつ…?)




すると、上に繋がっていたホースの先端からお湯が出る。




「み、水にゃ…!?あ、暖かいにゃ…」




どういう仕組みになっているんだろう…

確か井戸から出たやつは冷たかったはずなのに…




暖かさに癒されていると、横に置いてあるボトルに気が付く。




「しゃんぷー?髪の毛洗う用?石鹸かにゃ…?」




試しに使ってみようと思ってひっくり返すが、全然出てこない。




(………??)




色々触っていると、ボトルの頂点にある部分を押し込む事で出てくるものだとわかった。

「これも井戸みたいな仕組みなのかにゃ…?」




ボトルの液体を頭にかけて擦ってみるが、特に何も起きなかった。




(量が足りないのかな…)

そう思い、今度は多めに頭にかけて擦ると、段々と泡立ってきた。




実は髪が汚れすぎていて全く泡立たなかっただけなのだが、流石に量が多いおかげで泡立つようだ。




「おぉ…孤児院にあった石鹸よりいい匂いにゃ~」




興味深く泡を見ていると、知らずうちに額から垂れてきたシャンプーが目に侵入する。





(い、いったああぁぁぁ!)




慌ててシャワーに頭を突っ込み、シャンプーを洗い流して目を洗う。





「ふぅ…なんとか流せたにゃ…次は…ぼでぃーそーぷ?身体を洗う用、これも石鹸かにゃ…?」






全身を洗って湯船から上がる頃には既に1時間以上経過していたこと、そしてリビングでは修羅場になっていることにこの時はまだ気づかないのであった。












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わちの名前はチリア……そう、チリア!!




私に名前…それをくれたのはアスタルテ様という方です。

ううん、名前だけじゃない。

わちに仕事をくれて、寝床をくれて、食べ物をくれて…




居場所をくれた。





────そして、生きる意味をくれた。






わちはそんなアスタルテ様と、受け入れてくれた皆様に少しでも恩が返せればと毎日必死に頑張っています。

料理も洗濯も掃除も初めてだったけど、ノレス様が教えてくれました。




最初は少しトラウマだったノレス様ですが、段々あの方の優しさを知って怖くなくなりました。

まぁでも完全に怖くなくなった…といえば嘘にはなりますが…




でも、分からない事は聞けばちゃんと丁寧に教えてくれるし、文字を覚えられるようにと本も借してくれました。




初めは素っ気無かったレーネ様、ゼル様、コトハ様も今はわちの料理を美味しいと言ってくれるようになりました!





一生を使っても返しきれない恩ですが…

少しでも……ほんの少しでも多く、皆様の役に立ちたい…!!












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────下水道で生活していた時のわち、貴方はもうすぐ死にます。









でも…怖がることはない────









なぜなら…貴方は暗闇に飲まれることも、この世から消える事もないから────









人は死んでも、誰かの記憶にいる限り生きている────









貴方は、記憶の中で生き続けます。









その誰かの記憶の中とは────










────────チリア、です。









わちは、過去の自分の事を決して忘れません。









だから、安心してお眠り下さい。









貴方はわちとして……チリアとして…生まれ変わるのだから──────









そう。


貴方は、わちは、チリアとして────新しい人生が始まるのだから!!




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