episode2~おじいさんとオーディション~

 車内は冷房が効いて少し肌寒いくらいです。


 おじいさんは今日も先頭車両から歩みを進めます。


 座席に乗客はびっしりと座っていますが、立っている人はそれほどいません。


 十一両編成のためでしょうか。


 おじいさんはえっちらおっちら歩きます。


 高層ビルの合間を抜けていく電車はそれなりに速度を出しているため、本当は手すりに掴まったほうが良いのですが。


 おじいさんは手すりを使いません。


 十両目に到達したところでおじいさんは黒髪ショートボブの少女に声を掛けました。


「こんにちは」


 正面に立って声を掛けてきたおじいさんに少女はきょとんとした顔を見せます。


「こ、こん、にちは……」


 挨拶を返すと首を右に左に振り、辺りを見渡します。


 急に話しかけられて動揺しているのでしょう。


 そんなことはお構いなしにおじいさんは屈託のない笑顔で話しかけます。


「今日はどこに行くのかのぉ」


 少女は戸惑いが隠せません。


 それでも口を開きます。


「……オーディション会場に……」


 恥ずかしそうに小声でそう告げます。


 小さすぎて聞き取れなかったのでしょうか、おじいさんは耳を少女のほうに寄せます。


「……オーディション会場、です……」


 先ほどと同様に、少女は小さな声で目的地を告げます。


 すると、そこで電車が駅に停車しました。


 座っていた乗客がゾロゾロと扉のほうへ流れていきます。


 少女の隣の席が空きました。


 すかさず、おじいさんはそこへ腰かけます。


「何のオーディションなんじゃ」


 ニコニコしながらおじいさんは問います。


「アニメの、オーディションで……」


 おじいさんの笑顔の魔法でしょうか。


 少女は聞かれた質問に素直に答えます。


 しかし、顔は俯いていて、声には自信がなさそうです。


「絵を描いておるのか」


「い、いえ、声優志望で……」


「そうか。それはすごいのぉ」


 おじいさんは感心します。


「いえ、そんな……。私なんて……」


「もしや、自信がないのかのぉ」


「…………っ」


 少女は息をのみます。


 おじいさんの言ったことが図星だったのでしょう。


「なぜなんじゃ」


「これまで何回も落ちてるし……。無理なのかなって……」


 少女の顔がみるみる暗くなっていきます。


「ホッホッホ。暗いぞ姉ちゃん」


 おじいさんは豪快に笑います。


「そんなことでは、何もできないまま終わってしまうぞ」


 しわがれた声も声量を上げると迫力があります。


「笑顔じゃ笑顔っ」


 言いながらおじいさんはニッと笑います。


 つられて少女もニッと笑います。


「そうじゃそうじゃ」


 おじいさんは満足したようです。


「姉ちゃんは顔も声も別嬪べっぴんさんだからのぉ」


「……ありがとう、ございます」


 少女は俯きながら答えます。


「笑顔が無くなっておるよ」


 おじいさんはもう一度ニッと笑います。


「しっかり前を見て、笑顔であればうまくいく」


 おじいさんはなぜだか自信ありげです。


「頑張ります!」


 少女は胸の前で小さくガッツポーズをしておじいさんに笑顔を向けました。


 どうやら自然と笑顔が作れたようです。


「姉ちゃんにこれをあげよう」


 おじいさんは懐から四葉のクローバーを取り出して少女に渡します。


 少女は素直にそれを受け取ります。


 どこにしまおうか迷って、着ていたYシャツの胸ポケットにそっと入れました。


「ありがとうございます」


 そう言って少女は立ち上がります。


 どうやら少女はここで降りるようです。


 最後におじいさんに向かってペコリとお辞儀をします。


 少女は華やかな笑顔見せながら電車を降ります。


 その姿は人の波にのまれてすぐに見えなくなりました。


 電車は乗客を入れ替えて次の目的地を目指します。



 **********



 おじいさんが少女と出会った日から一年と少しが経ちました。


 車内には温かい風が吹いています。


 またあのおじいさんが乗っています。


 おじいさんは車内の中吊り広告にふと目を向けます。


 そこにはあの黒髪ショートボブの少女の姿がありました。


 高層ビルに負けないくらい、少女は高く飛んだのです。


 おじいさんはあの日のように少女に向かってニッと笑いかけます。


 少女は爽やかな笑顔をおじいさんに向けています。


 

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