6日目

 車窓が揺れている。田園風景ばかりで、止まらないメリーゴーランドに乗っているのかという疑念にさえ囚われる。

「はい上がり!やっぱりお前ら雑魚だな」

「……部長。また、ドロー4で上がってますけど。学ぶということはしないんですか?」

「うるせー。今は俺の時間だ」

「何ですか、その中二病的発言は。ダサいですよ」

「うるせー。ともかく、ドロー4で上がりはありだ」

「だから、行きでも言ったじゃないですか。僕と上島先輩がダメって言ったんですから、多数決で……」

「うるせー。俺の家ではありだったんだ。だから、ありだ」

「そんな横暴な……」

「郷にいらずんば郷に従え。さっきから俺の連戦連勝なんだから、口答えするなよ」

「どこに郷があるって言うんですか。石枝先輩はどう思いますか?」

思わぬところからパスがやって来た。私はイヤホンを外して、

「今日くらい部長を立ててあげたら?」

と答えた。私の反応が予想外だったのか、後輩二人はしばし沈黙した。

「しかし部長、急にテンション高くなったな。何かあったっけ?寝不足でイライラしてるのか?」

上島くんが、麦わら帽子を揺らして尋ねる。

「多分、感極まってるんです。これでもう部活動とはおさらばですから……」

浩三くんが耳打ちする。そして、二人でケラケラ笑っていた。ダダ漏れの会話だった。

「あーもう。うるせーなあ」

部長は眼鏡を仕切りに取っては、目元を擦っていた。泣いているのか、目が痛むのか、その真偽は定かではない。

 私は今日の朝のことを思い出す。部長が、全く辛気臭い顔で、ベンチに座っていた。

「お加減は?」

私はそんな具合に話しかけた。全く重そうな瞼が私には返された。手元にはやはり缶コーヒーがあった。

「疲れましたよ」

率直にそんなことを言っていた。

「僕はバカンスに来たつもりだったんですけどね。ついでに映像でも撮って置こうっていう算段だったんですが」

「当てが外れた?」

「そんなところです」

「まあ、そうだよね」

私はそれ以上何も聞かなかった。部長も昨日の私のあの大笑いで、私が何やら察知したことに気づいているようだった。しかし、部長もそれについて尋ねることはなかった。

「ねえ、今思ったんだけどね」

私はそう言って、一つの推論を話した。思えば、部長たちがエントランスでカードゲームをやっていた時、上島くんと浩三くんが客間の方に背を向けていたのに対して、部長は客間を一望する席だった。私には今になってあれが作為であったのではないかと思えた。それに、二日目の、異様なテンションでの師範との稽古。あれは、既にケイコさんとコウタさんが事に及ぶ場面を目撃していたから、そのことを忘れたいがために、あんな振る舞いをしたのではないか。そして、初日の蒼白。あれはトイレに行ったのではなく、向日葵畑に行ったのではないか。そして、そこで二人の痴態を目撃したのではないか。そんなことも尋ねた。

「もう良いじゃないですか」

しかし、部長は缶コーヒーを強く捻り潰してそれ以上の言葉を妨害した。私は、息詰まるよりも、その様子に失笑してしまった。中身はまだ残っていた。勢いで押しつぶしたことを後悔するように瞳は寂しげだった。

「良い思い出ができて良かったですね」

「石枝くんこそ、良かったのか?」

「まあ、仕方がありませんよ」

私はそう言うしかなかった。私は目の前の向日葵を触る。ああ、これも枯れていくんだな、そう思った。そこで、何と無く私は、昨日の会話を思い出した。

「部長は、地動説と天動説、どっち派ですか?」

「地動説に決まってるだろう」

「どうしてですか?」

「地球はそれでも回っているからだ」

そう言って、部長はひしゃげた缶コーヒーに口をつけた。それは頗る飲み辛そうだった。

「お疲れ様でした」

私は頭を下げた。しばらく、私はその体勢を維持した。思いつきだったが、やって損はないだろう。顔をあげると、部長は赤面していた。

「でも、一つわからないことがあります。どうして、最後まで部長は投げ出さなかったんですか?」

「ああ、いや別に……」

彼は口籠った。

「それに、どうして私を連れて来たのかも。私の妹がダメなら、3人で行けばいい話じゃないですか」

「あーもう。うるさーい」

彼はそう言って、立ち上がった。その表紙に缶コーヒーの中身が飛び散って、その飛沫が手首に流れた。

「あー全くもう……」

部長はぐちぐち言いながら、立ち去った。それを見送るように、向日葵は揺れていた。途中、何かが投げ捨てらるような、そんな音を聞いた。私はそれを空耳だろうと思って、少し笑った。

 長旅から帰還して、家のチャイムを鳴らした。鍵を開けるのも面倒だった。

「あ、お姉。おかえり」

美里が笑って出迎えた。

「あーお姉ちゃんだぞ」

私は妙なテンションで、美里をハグした。美里は嫌がる猫のように私を押しのけたが、私は一向に離さなかった。

「暑苦しい」

そんな刺々しい言葉で、私はようやく美里を離した。美里は服の皺を整えながら、

「それでどうだった?合宿は」

と尋ねた。その表情は、私に詳細な言葉を求めていないのは明白だった。

 しかし、私はフリーズしたように止まってしまった。神話を語るくらいの時間が私には求められた。

「どうしたの?」

美里が首をかしげる。きっと楽しかった、とそんな答えが返ってくることを予想していたのだろう。心底不思議そうだった。

 あー色々あったなあ。私はそう思った。しかし、その色々とは、そんな言葉に収斂できないくらい、色々なものが詰まっていた。熱気も色彩も触覚も感情もうねりもそこには含まれた。しかし、言葉にすれば、それは最早平面的なものにしかならないだろう。

「まあ、ぼちぼちだったかな」

だから、私はそう答えた。美里はまた首をかしげて、私を見つめていた。私は壊れたおもちゃのように、美里の頭を撫で回した。

「お姉。暑苦しい」

そんな言葉にも耳を傾けなかった。私は、部長があんなにも師範と稽古に打ち込んだ理由をようやく理解した思いだった。私はそのまま靴を脱いで、美里を玄関に押し倒した。靴は乱雑に脱ぎ捨てた。いよいよ本格的に嫌われるかと思ったが、ふと靴底に小石が詰まっているような感覚を見出して、私は愛撫を中断した。

「お姉。どうしたの……」

美里は愕然とした表情で私を見ていたが、私は靴底の違和感を確かめることにしか気を払えなかった。

「あ」

私はそう声を漏らした。おずおずと美里が近づく。

「何これ?花びら?」

美里が靴底から、黄色の花弁を取り出した。それは土塊を付けて、脱色していたが、向日葵の花弁に相違なかった。

「どんなことしたら、花びらが靴底に入るの?」

美里は私を懐疑的に見つめたが、私は何も答えなかった。私は妹の手に握られたその花弁をそっと手に取った。私は黙って玄関のドアを開けた。風がピューピュー吹いていた。

「さようなら」

私はそう言って、その花弁を風に流した。私はそれが風に揺られて、そしてすぐに重力に負けるように、ひらひら舞い降りて、側溝へと沈むのを見送った。

「何それ?」

美里が不思議そうに尋ねた。

「さあ」

私はただ、そう答えるしかできなかった。私は照りつける太陽を見るために片手で庇をつくって、天を仰いだ。そしてその時、まあ良い夏と言えなくもなかったか、と少し思い直したのだった。

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