第9話

   9


 アイ・ウェアじゃない。

 大人ですらない。

 ここにいるべきじゃない、少年。

 それも、本当にまだ子供。ちせといくつも変わらなさそうに見える。

 少年は何か叫んでいる。音声がカットされているので聞こえない。聞こえたところで、外国の言葉なんてわからないけど。

 逃げ遅れた一般人には見えない。ライフルを構えているから。

 やけに大きな銃。いや、身体が小さいから大きく見えるだけか。

 こちらに向けられた銃口で、光が爆ぜる。シールドを構えるのが遅れた。左側の胸から腿に掛けて、木の枝で突かれたような痛みが走る。

 対人用の武器ならば装甲に掠り傷が付きこそすれ、重大な破損が起こる心配はない。わたしは両方の掌を前に翳しながら、距離を詰めていく。こちらが近付く度、少年は後じさっていく。だけどこちらの歩幅の方が倍以上長いから、何歩もいかないうちに追い付いてしまう。

 少年の銃が弾切れを起こす。そんな現実を信じたくないとでも言うように、彼は何度も何度も引き金を引く。

 虚しく振られるばかりの銃身を、わたしは掴む。硬いとばかり思っていたらアルミ缶を凹ませるぐらいの手軽さで握り潰すことができた。そのまま、役に立たなくなったライフルを少年の手から取り上げ、遠くへ投げる。

 彼にはもう、為す術はなかった。気の毒になるぐらい、呆然と立ち尽くしている。

 生きることを諦めてしまったのかもしれない。向こうからしたら、わたしは表情のない二足歩行の兵器でしかないのだ。わたしが同じ年頃で同じ状況に放り込まれたら、やっぱり同じような状態になるだろう。

 色を失った顔。煤の着いた頬に、わたしは手を添える。

 少年は動かない。

 わたしは彼の頭を撫でる。もう怖がらなくて大丈夫、と。

 少年はやっぱり動かない。魂が一足先に天国へ行ってしまったのかもしれない。そう思わせるぐらいの放心状態だ。

 わたしは少年の脇を通り抜け、先へ進む。

 人を殺すことは、わたしたちの任務には含まれていない。

 わたしたちの任務はあくまで、敵アイ・ウェアの破壊なのだ。

 しばらく行くと、またターゲットサイトが反応した。

 今度はすぐに目標物を視認できた。

 一つではない。二つ。

 揉み合っている。仲間割れ、というわけではなさそうだ。

 戦闘。それも、格闘戦。

 砂嵐が続いていた通信が、僅かに変化を来す。誰かの話し声のような抑揚を帯びたのだ。

『――ますか、――の機体――聞こえますか?』

 チーフの声だ。

『通信が不――で何――機かわかりませんが、援――をお願いします。』

 辺りを見渡しても、他に機影は見当たらない。彼女はわたしに語りかけているようだ。

 いつもの援護要請。また下手を打って怒られることを考えると、聞こえないふりをしたくなる。でも、今朝のことが思い出され、結局わたしは腰に掛けたライフルを抜いた。

 気休めのつもりで照準をスナイピングモードに切り替える。カメラが望遠になり、遠距離の狙撃が可能になるけど、結局引き金を引くのは自分なので大して役には立たない。格闘戦のように組んず解れつしているところでは、敵だけに当てることはどんなに拡大表示されても不可能だ。

 だけどまあ、やってみる。今朝のこともあるし。

 狙いを敵機に。

 敵機に――

 ――

 敵機が何処にもいない。

 アイ・ウェアは、確かに一機はそこにいる。でもそれはチーフの機体だ。

 もう一機が見当たらない。

 といって、チーフは一人でダンスを踊っているわけじゃない。彼女は確かに、格闘戦の真っ最中だ。

 何と?

 人間とだ。

『援護を!』

 いつもと変わらない声。敵のアイ・ウェアと戦っている時と同じだ。

 撃てない。

 撃てるわけがない。

 人を殺すのは、任務には入っていない。

 アイ・ウェアと組み合っているのは、岩のような筋肉を纏った大男。ちょっとした機械ぐらいなら破壊できると思っているのかもしれない。所詮はヒョロッちい鉄の塊だとでも。

『援護を!』

 首と肩を引き離されそうになりながら、チーフが言った。

 このままではやられてしまう。

『援護を!』

 男の側頭部にロックオンする。丁度、チーフの身体が陰に入っているから当てる心配もない。後は引き金を引くだけだ。

 早くしないと、やられてしまう。

 誰が?

 男がだ。

 生身の人間が殺されてしまう。

 チーフに覆い被さっていた大きな身体が、態勢を崩す。足を払われたのだ。

 チーフの右手で白く光ったものがある。アーミーナイフだ。チーフは、その腕を男の首元に叩きつける。何度も、何度も、同じ軌道を通って繰り返す。

 男の首から赤黒い液体が噴き出る。

 まるで、アイ・ウェアのオイルのように。

 巨体が動かなくなる。チーフはその傍に立ったまま、ナイフを振るった。

『7号機』

 通信音声はだいぶクリアになった。妨害電波が停まったのかもしれない。

『クロースを持っていませんか?』

 わたしに言ったのだ。

『――オイルがカメラに掛かってしまって』

 わたしは動くことも喋ることも出来ずにいた。

 オイル、と口の中で微かに呟くのが精一杯だった。

『どうかしましたか? 大丈夫ですか?』

 レーダーが回復する。

 自分を示す中心点に、赤い点が重なっていた。

 これは……どういう意味だろう?

 腰に衝撃。痛くはないけど、不快ではある。

 振り向くと、さっきの少年が立っている。小さな胸に、いくつかのレンガを抱えている。

「えっと……」

 誰にともなしに、わたしは言った。

 えっとこれは、どういうことだろう? どうして君が赤い点なんだろう?

 少年は何か叫びながら、レンガを投げつけてくる。手持ちがなくなると、足元に転がっている石を手当たり次第に拾っては投げてくる。

『何やってるの、反撃しなさい』

 反撃って。

『やらないとあなたがやられるのよ』

 やられるって、こんな子供に。

 だけどチーフの声は真剣だ。わたしの前にいるのが、敵のアイ・ウェアでもあるように。

 敵のアイ・ウェア。

 一瞬だけ、少年の姿にうっすらとアイ・ウェアの影が重なった――それはすぐに消え、現れてはまた消える。

『どきなさい、そこ。視界が効かないから当たるかもしれないわよ』

 何をするつもりですか?

 わたしは振り返る。

 視界の脇を、鋭い円錐の物体が通り過ぎた。

 それから、ライフルを構えるチーフの姿にピントが合った。

『敵機撃破』

 レーダーでわたしに被さっていた赤い点は、もう消えていた。

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