第6話

 前へ、前へ。

 今日は戦線の移動がいつも以上に早い。まるで何かに突き動かされるように。

 いや、実際、突き動かされているのだ。

 かつて2号機だった「彼女」に。ある日突然消えてしまった「彼女」に。

 あの日、返り血のように油を浴びていた「彼女」に。

 青い点が、どんどんマップの中を上昇していく。赤一つにつき三つが周りを取り囲んだかと思うと、赤はあっという間に消滅する。そんなことが、あちこちで繰り広げられる。

『頑張りましょう』

 チーフが言った。

『――さんのためにも』

 ノイズが入ったけど、たぶん、2号機だった「彼女」のためだ。

『頑張りましょう』

 別の声が言った。誰が言ったかを確認する前に、発言者を示す表示がいくつも同時に点灯した。

『頑張りましょう』

『頑張りましょう』

 頑張りましょう、とわたしも呟く。けれど、わたしの声は通信音声として認識されなかったらしい。

『頑張りましょう』

『頑張りましょう』

『頑張りましょう』

 わたし以外の全員が同じ気持ちになっているに違いない。

 マップを頼りに吹雪の中を進んでいく。

 眼の動きに合わせ空中を漂っていたターゲットサイトが地面に吸い寄せられた。

 雪の上に何か転がっている。一瞬だけ身構えたけど、動く気配はない。近付いていくと、撃破された敵機の残骸だとわかった。飛び散ったオイルが周りの白を黒く染めている。

 上半身と下半身が切り離されている。そのうえ左腕が肩からもがれ、うつ伏せで転がった上半身が何かを求めるように残った右腕を伸ばしている。まるで、最後に一杯、水を飲ませて欲しいとでも言うみたいに。

 所詮は機械の身体なのに。

 この身体が壊れたからといって、死ぬわけでもないのに。

 なのにどうして、苦しんだような恰好をしているのだろう?

〈没入〉していたのだろうか。

 だとしたら、この機体の操縦者は無事では済まないだろう。痛みに耐えかねて死んでしまったかもしれない。

 気の毒に。

 そこまでして、一生懸命戦わなければならないなんて。気の毒に。

 でも、そんな見立てが合っているかはわからない。単にわたしが、必要以上のドラマを作り出しているだけかもしれない。現実はもっと単純で、破壊された際のアクチュエーターの誤動作とか、そのぐらいのことなのかもしれない。

 きっとそうだ。

 そうに違いない。

 他の人たちだって、そう思うはずだ。

 残骸は、見る見る砂に埋まっていく。やがて、そんなもの初めから存在しなかったかのように、全てが覆い尽くされてしまうのだろう。

 そうに違いない。

 そうあるべきなのだ。

 マップの中で、最後の赤い点が消えた。

 作戦終了が通達される。

 残骸は早くも殆どが雪の中だ。

 埋葬、という言葉がふと浮かぶ。

 機械の身体を?

 たぶん誰も死んでいないのに?

 灰色がかった景色が端の方から闇に包まれていく。

 ログアウト。


 帰り道。

 今日もまた、ちせの歌を聴きながらペダルを踏む。

「ママもうたって」

 背中を引っ張られる。

「ママ、下手っぴだよ?」

「いいの」

「いいの?」

「うん」

 歌か、と思う。最後に歌をうたったのはいつだろうと思い返すけど、簡単に答えは出ない。もしかすると、歌なんて生まれてこの方うたったことないのかもしれない。

 深呼吸する。吸って、吐いてを二度繰り返す。

 今夜も月が綺麗だ。嘘みたいに眩しい満月。

「いくよ」

 ちせが言う。

「さん、はい」

 わたしたちはうたう。

 声を、重ね合う。

 わたしには、ちせの声しか聞こえない。ちせにはわたしの声が聞こえているだろうかと不安になる。

 だけどちせは、文句を言うこともなくうたっている。

 だからたぶん、わたしもうたっている。

 少なくとも、うたっているつもりではいる。

 わたしだってうたえるのだ。その気になれば、誰かと声を重ねて楽しい気分に浸ることができるのだ。

 楽しい。

 今のこれが、「楽しい」というやつなんだ。

 楽しい。

 そう、楽しい。

 頭の底が、胸の奥が、痺れていく感覚。

 じっと身構えていた自分が、光の中へ溶けていく感じ。

 歌はわたしを「楽しい」気分にさせてくれる。

「ママ、上手」

 うたい終えた後で、ちせに言われた。

「ほんとに?」

 わたしは言った。

「ありがと」

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