第4話

 やがて、広場に出た。

 石造りの建物。何かの遺跡。もしくはお寺。何にせよ、相当古いのは確かだ。外壁には蔦が蛇のように蔓延っている。

 味方のアイ・ウェアは建物を包囲している。

 柱や石像の影から、敵のアイ・ウェアが時折姿を見せては反撃している。

 マップの、敵を示す赤い光点は四つ。相手は四体ということだ。

 対してこちらは九機全てが残っている。数で押せば、もう何分も掛からないで戦闘を終えられるはずだ。

 だけど、誰も建物に近付こうとしない。ただ、降ってくる相手の弾丸を防ぐばかりだ。

 どうして誰も手を出さないのか。

 そんなことを訊ねるのは野暮だ。

 手を出さないのではなくて、出せないのだ。

 建物の形状をスキャンし、検索を掛ける。聞いたこともない名前の寺院がヒットする。わたしが知らないだけで、歴史的価値は高いらしい。

『厄介な所に逃げ込まれましたね』

 チーフの声。

 本当に、とわたしは頷く。少しでも傷を付けたら、また新しい戦場を作り出すことになりそうだ。三十分で片の付く、人間不在の戦場を。

 癌を散らしたように。

 飛んでいった火の粉が、別の火事を起こすように。

『私が行きます』

 今まで聞こえてこなかった声がする。宝塚の男役のような喋り方。2号機のアカウント表示が点灯している。

『実戦での潜入経験者は私だけでしょう?』

『任せられますか?』

『ご安心を』

 2号機の方を見ると、その姿が消えるところだった。光学迷彩オプション。オプション装備は希望に応じて好きな物を実装出来るけど、使うと癒着が早まる。だから誰もあまり使いたがらない。

『時間には注意して下さい』

『了解』

 チーフの言葉に答えたその機体がどこにいるのか、わたしは既に見失っていた。

 無音。

 今気付いたのだけど、雨が降っている。景色が煙るほどではないから、強くはないようだ。音がないと、小雨と霧雨の区別がつきにくい。

 猿を模った石像が黒く濡れている。

 何号機だかわからないけど、隣に立つ味方のアイ・ウェアも雨粒を纏っている。

 雨。

 全てを濡らす雨。

 唯一動いていた青い点が、マップから消えた。

 通信がたちまち喧しくなる。3から8までのアカウント表示が点灯する。

『落ち着いて下さい』

 チーフが宥める。

『2号機は健在です。恐らく、建物内はGPSの圏外なのでしょう』

 みんなが胸をなで下ろすのが伝わってくる。吐息の一つも聞こえないけど。

 チーフの言葉は気休めではなかった。それから五分も経たないうちに、消えたのと同じ位置に青い点が現れた。さっきとは反対の方に動いている。出口に向かっているのだろう。

 やがて、石像に挟まれた四角い入り口にアイ・ウェアが出てきた。2号機だ。

 歓声が上がる。みんな、階段を下りてくる2号機の元へ近付いていく。

 一段、一段と、踏み外さないよう気を付けるみたいに、2号機はゆっくりと降りてくる。雨で滑って転がり落ちたら格好がつかないとでも思っているのかもしれない。

 いや違う。

 どうして「違う」と思ったのか、説明しろと言われると難しい。でも、違う気がする。

 2号機は、気を付けているわけじゃない。むしろ、心ここにあらずといった印象さえ受ける。ログアウトは、まだしていないようだけど。

『2号機、大事はありませんか?』

『問題ありません』

『中の敵は?』

『……殲滅しました』

『了解。作戦終了。全機、神経接続解除後、帰投モードに移行します』

 ログアウトする間際、2号機の姿が目に入った。

 敵のものだろう、真っ黒なオイルが顔から腹部に掛けて付着していた。わたしがいつもチーフに拭かされるのよりも酷い有様だ。

 雨に洗われるでもなく、オイルはこびり着いたままだった。

 わたしはほんの一瞬だけ、それを気持ち悪いと思ってしまった。

 真っ黒なオイルが、赤黒い血に見えたのだ。

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