第14話 モノの価値
しばらく滞在するといっていたのに、ウォンは翌日の昼には王都へ戻るといって席を立った。
少しふてくされるシアンに、ウォンは頭を撫でてやりながらお土産を渡してくれた。
薄い紙に包まれた、四角く薄いそれにシアンはハッとした。
開けてもいい?とウォンを見つめると、ウォンは優しく頷いた。
アルザラはそんなウォンに「甘やかし過ぎじゃないのかい」と呆れながらいうが、そんなアルザラも商人が訪れるたびにシアンになにが欲しいか聞いて回っているのだから、同じようなものだろうとウォンは考える。
シアンが包装紙を破ると、中から真っ白な龍が表紙に描かれた絵本が現れた。
丁寧に描かれたそれは、陽の光に当てると様々な色に瞬き、神々しく光を放った。
「読めそうかな」
ウォンが聞くと、シアンは首が取れそうになるほど、大きく何度も頷いた。
正直読めそうかどうかなんてわからない。
けれど、シアンの中には読めないという選択肢はもうない。
最低限数字と言葉しか書けないシアンだったが、驚くことに、アルザラは元教導師だったため、シアンがわからない言葉や知識をたくさん教えてくれたのだ。
きっとこれもわからないことがあっても、アルザラが教えてくれるだろう。
アルザラは大事そうに絵本を抱えるシアンに仕方ないね、と頷いた。
途端ぱあっと笑顔をほころばせた女の子に、ウォンとアルザラは次はなにを与えようと考えた。
もう少しだけ滞在しようかと考え直したウォンだが、自分のやるべきことを思い出し、また近いうちに来ればいいと、なんとか馬に跨った。
寂しそうな顔で見上げてくるシアンに、ウォンは「次の土産も楽しみにするんだよ」といえば、シアンはあっという間に笑顔になった。
ウォンはアルザラに「なんべんも言うようだが、無理はするんじゃあないよ」と何度いったかわからない言葉を口にする。
アルザラはそんな老人に、ハイハイと手を振った。
ウォンは呆れた顔で、手綱を勢いよく引くと、馬は大きくいななき、勢いよく走り出した。
シアンは小さくなるその後ろ姿に、いつまでも手を振り続けた。
姿が見えなくなってからしばらくし、アルザラはそろそろ家に入りなさい、とシアンの手を引いた。
シアンは頷き、アルザラの手を握った。
家に入ると早々に、シアンは先ほどウォンからもらった絵本を広げた。
家の中でも表紙の絵は鈍く光り、外で受けた印象とは打って変わり、まるで月の光のような静かな輝きにうっとりとした。
アルザラはその絵を見て「よくできているね、まるで本物の白龍だ」と呟いた。
シアンは驚いてアルザラを見る。
アルザラはこの龍を見たことがあるのか。
目をまん丸にしていると、アルザラは「目ん玉が飛び出るよ」とシアンの顔をからかった。
シアンは目をパチパチさせ、目玉を引っ込めたが、今度は口が閉じなくなった。
そんなシアンをよそに懐かしいな、とアルザラは思い出に浸った。
「一度だけ、見たことがあるんだよ。私がまだ学生の頃だから、もう二十年近く昔になるかな」
そこまで言ってなにかを思い出したのか、アルザラは咳払いをしてそれ以上はなにも言わなくなった。
シアンはもっと話を聞きたかったが、アルザラはそれ以上語ることはなく、今の言葉が失言かのようになかったことにした。
もっと聞きたがるシアンにアルザラは頑なに話がなかった姿勢を貫き、仕事部屋へ引きこもった。
何度か戸を叩いたが、アルザラは「大人しくしてなさい」というばかりで、シアンにそれ以上いう気はないと頑なだ。
仕方がないので、シアンはとりあえず絵本を読むことにした。
最初のうちは本当にごくわずかな単語しか分からなかったが、この数ヶ月、アルザラがとても丁寧に教えてくれたために、少しの文なら読めるまでに成長した。
これはアルザラとの生活にも大いに役立ち、なぜか声の出ないシアンがアルザラに意思を伝えるには文字が大活躍した。
最近はアルザラもシアンの顔を見るだけでなんとなく言いたいことを察すという魔法のようなことをしてくるが、それでもシアンは自分の言葉でアルザラと話がしたい。
アルザラに聞くばかりでなく、もっと自分で学ばなければ。
絵本を持って、アルザラが引きこもった部屋の向かいにある部屋に向かった。
戸を開くと、細かい埃が上の小窓から差し込む光に反射し、あちらこちらで煌めいている。
そして天井までびっしりと詰まった古い本の数々。
この独特な匂いと空気がシアンは好きだ。
最近はアルザラに聞く前に、自分で調べるようにしている。
とはいっても、アルザラが持つ本はどれもこれも難しいものばかりで、結局毎回ウンウン唸って本とにらめっこをするシアンを見かねてアルザラが教えてくれる。
それでも本を読むのは楽しく、読めなくても大概楽しい。
それに、最近この書斎に入り浸るようになったシアンのために、アルザラは文字の早見表を書いてくれた。
シアンは絵なんか一つも描いていない、白黒のそれがとても嬉しく、さらに入り浸るようになった。
今日はこの絵本を読みながら、わからない言葉を調べていこう。
きっとアルザラは日が暮れても、シアンが夕餉に呼ばねば部屋から出てこないだろう。
時間はたっぷりある。
シアンは新品でまだ固い本をペラりと慎重にめくった。
(うわあ)
シアンは頭の中で感嘆の声を漏らした。
見開きいっぱいに長い体をしならせ塒を巻き、真っ青な空を滑空する純白な龍の挿絵が広がった。
鬣は艶やかになびき、大きな眼はギョロリとシアンを睨むように見えるが、中に見える色がシアンの奥にあるなにかを見透かすように光っている。
そして大きな口から覗くのは、まるであの人が頭に揺らしていた硝子の髪飾り、いや、それ以上の美しさの鋭く光る牙。
絵本だとばかり思っていたので、もう少し簡潔なものだと思っていたが、まさかこれほどまで美しいものだとは思ってもみなかった。
さすが王都は違うな、とシアンは思った。
しかし実はこの絵本、ただの本ではなく、王都でも有名な画家が王に献上品として差し出した聖龍の写し絵を特別な許可を得て活版したもので、世界に数冊としかない、研究書としても価値があるとても貴重なものである。
中身は研究者泣かせの歴史書で、なおかつ芸術書でもある。
ウォンはただ小さい子でも読めそうな見た目の本を選んだつもりだったが、国で名を馳せた医療師が周りに子ども向けの本を聞いてみたところで、下手なものは紹介されない。
結果、可哀想にウォンの標的になった国立書籍店の店主は、店の奥に眠る、厳重に保管された倉庫からこの本を持ち出した。
そんな背景と価値がこの本にあることを知るのは、シアンがあと少し大きくなってからである。
シアンはそんなことをつゆほども知らず、アルザラが書いてくれた文字の早見表を片手に、ウンウンとなんども項を行き来した。
そしてはた、と思い出す。
(硝子の髪飾りって、だれがつけていたんだっけ)
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