第9話 届かない声
突然起こった爆発に、混乱した人たちが悲鳴をあげながらあちこちから外へ溢れ出す。
それを待っていたかのように、黒装束の人間は次々に蟻を潰すように、容易に首をはねていく。
シアンが忽然と姿を眩ませ他ことに気がつき、事態を把握したカルラの咆哮が後ろから聞こえた。
「シアンンンンンンン!!」
獣のようなその声に、シアンは身を固まらせる。
セムラは黒装束の間を縫うように走り抜け、攻撃をかわしていくが、体力もあまり残されていなかったのだろう。どこからか飛んできた小刀にふくらはぎを貫かれ、あっと思った時にはシアンは投げ出され、セムラは派手に転がった。
受け身もまともに撮れなかったシアンは人形のように転がり、あちこちを打ち付けた。
しかしセムラは転がるのは早いがすぐに起き上がり、足を引きずりながらシアンの元へ寄り、その力が抜けた体を抱きしめた。
シアンはセムラに「逃げて」と口を動かすが、セムラはそれを見ても困ったように笑うだけで、シアンを抱きしめたままだった。
シアンがセムラから視線を外せば、いつの間にか黒装束に囲まれ、逃げられなくなっていた。
セムラもここまでかと悟ったらしく、逃げることをやめた。
しかし、シアンを守る腕の強さは変わらずそのままだった。
シアン達の周りから一定の距離を保ち、円を描くように黒装束達は囲った。
すると大きな破裂音とともに、空に赤い火花が散った。
刹那、周りは一斉に静まり返り、悲鳴もなにもなくなった。
殺戮が止まった。
シアンがそれに気がついた瞬間、誰かが声をあげた。
「やはりあなた様でしたか」
声が響き渡った瞬間、シアン達を囲う黒装束が一斉に膝を折り、その三角頭巾の上から額に手のひらを交差させ、こうべをを垂れた。
声の主はゆっくりとシアン達に近づき、シアンから二丈ほど離れた場所で、他の者と同じようにこうべを垂れた。
「こんなむさ苦しい場所と、このような形の挨拶で申し訳ありません。お初にお目にかかります、私共は夜の御子さまの忠実なる信徒です。あなた様にお会いできたこと、このような奇跡に私共、恐悦至極に存じます」
かしこまった言い方でなんのことだかわからないが、とにかくシアンを歓迎していることはわかった。
シアンはそれに視線をよこし、なんで殺さないかと思うと、それは勢いよく顔を上げ、首を激しく横に振った。
30歳前後の女だった。
「そんなこと、絶対に致しません。どうして我々がそのようなことを御子様にするのでしょうか。まあ、しかし、御子様以外の人間は殺しますが」
そう言うやいなや、どこかで数人の叫び声が響いた。
しかしそれ以降はなんの物音一つせず、響き渡るのは燃える炎で割れる木材の音のみだ。
「
セムラが驚いたように呟いた。
「そうです、まあ、この中で使えるのは私だけですが。あなたには特別に発言権を与えておりますが、あまりにもで過ぎたことを言いますと、こうですよ」
またどこかで叫び声が響いた。
見せしめのように絶命していく人の叫びがもう聞きたくなくて、シアンはもうやめてと頭の中で念じた。すると女は「なんと深いお慈悲、さすがは夜の御子様です」と感極まった声でシアンを褒め称えた。
まるでシアンの思考を読み取るようなその返答に、なんで、と思えば女はまた口を開いた。
「御子様は今お声がでないご様子でしたので、僭越ながら少しだけ頭の中を覗かせていただいております。そうです、今私たちの周りが静かなのも、私の印の技でございます。だって耳障りでございましょう?」
さも当然のように女は言い放ち、シアンを熱っぽく見つめる。
しかし、女はすぐにセムラに向き直り、口を開いた。
「なので、あなたが頭の中で考えていることもお見通しなのですよ、『セムラさん』。どうやって御子様を連れてここから逃げようかなんて、考えないことです。しかし、あなたが夜の御子様を救ったのもまた事実。あなたのような忠実なる信徒が御子様のそばにいたこと、なんたる幸運。おかげで御子様は我々と再会を果たせたのですから、あなたにも後ほど褒美をとらせなければ」
セムラはちっと舌打ちをした。
シアンはまだ諦めていなかったのかと、セムラを見上げた。
セムラはシアンの視線に気がつくと、優しく微笑んだ。
しかし、その顔は焦りと痛みで歪んでおり、脂汗も滲んでいる。
どう見ても、セムラは限界だった。
シアンはどうにかこの状況を脱却できないか、ぼんやりする頭で必死に考えるが、ひとかけらもそんなものは浮かばなかった。
女はシアンの瞳を見つめ、みるみる顔を赤くしていった。
「なんたる、なんたることでしょう」
ワナワナと唇を震わす女の顔は血管が太く浮き上がり、目は狼のようにつり上がっている。
女の急な変化にシアンはどうしたのか、状況がわからずにいると、女は右手を宙にあげた。
瞬間、三人の人影がこちらに向かってくる。
なんだろう、そうシアンとセムラはその人影を見つめる。
大きくなる人影に、シアンは恐怖で固まった。
夫妻と娘のカルリアが、血塗れで宙に浮いていた。
セムラも突然のことに口を開閉することしかできず、シアンを抱くその腕は細かく震えている。
なにをしたの、女に問いかける。
女はさも当然のようにいった。
「制裁です」
三人はまったく無表情で、視線もどこを見ているのかわからない。
恐怖で気絶しているのかとも思えたが、それにしては妙だ。
人形のようなその光景に、シアンは今までにないほど震えた。
「その三人に
セムラは確信を持った声で、女を睨みつけた。
女は頷き、シアンを見つめた。
「御子様のお耳がこれ以上汚れないためです、ああ、お労しや」
女はシアンに左手を向け、力を込める。
なにをされるのか読めず、身を強張らせるが、シアンを包んだのは暖かい光で、徐々に体から力が抜け、痛みが消えていくのを感じた。
声は相変わらず出ないままだが、シアンの体は気だるさは残るものの、痛みに顔を歪めることはなくなった。
不思議な現象に訝しむと、女は「痛みが抜けたようですね」目を細くした。
セムラには拘束の印像をかけていたらしく、シアンの痛みが抜けるまで、セムラは固まって動かないままだった。
シアンが頭の中でやめてあげて、と念じると、やっと拘束が解けたセムラはシアンの様子を確認する。
しかし、シアンが先ほどとは打って変わり、穏やかな表情をしていることに、困惑しながらも安心したような顔をした。
「これも印像の力なのか」
「そうです、しかし怪我が治ったわけではありません。私は御子様の意識から『痛覚』を取り除いただけです。この命をかけて治療はさせていただきます。でもさて、どうしましょうね、これ」
女は右手をくねらせ、三人をシアン達の頭上近くまで寄らせた。
女は笑顔で手を築き上げたまま拳を握る。
なにをするつもりだろう。
バキッ。
なにかが折れる音が頭上から降ってきて、シアンは見上げる。
本来ある向きとは明後日の方へねじ曲がった脚が、ファソンにぶら下がっていた。
ヒュッと息が漏れ、身体中が粟立ち、足の先から寒気が這い上がった。
この黒装束たちはシアンのことを助けてくれたが、あまりにも倫理というものが欠けている。
セムラも術にはかかっていないのに、目を見開いてなにも言えなくなっていた。
そして何より恐ろしいのが、こんなことをされても、ファソンはなにも言葉を出さず、どこを見ているかわからない目で宙を彷徨っていた。
よく見れば、その横に浮かぶカルラも、カルリアも同じ目をしている。
そして、彼女らもファソンと同様、いたる関節がどこか別の方へ向いていた。
シアンはとっさに「やめて」と叫ぶ。
しかし叫んでも口から漏れるのは空気の音だけで、なにもシアンは言えなかった。
しかし、女にはそれが伝わったようで、シアンに向き直り、興奮し上気した表情でシアンを褒め称えた。
「なんと、なんと、お優しい、お慈悲なことでしょう。ええ、夜の御子様はお優しいですから、きっとそう仰ると、我々は存じておりました。しかし、我々がお迎えするのが遅くなってしまったばかりに、こんな酷い仕打ちをされていたなんて、私共、その場で死して詫びようと致しました。しかし、我らはあなた様をお救いすることが第一だと、思い直したのです。中には命をもって詫びた信徒もいましたとも。私は彼らに敬意をもって、御子様をお守りし、来るべき日までその身をお守りせねばならないのです。なので、我々は、これが息を吸うことなんか到底我慢できるはずもないのです」
宙に浮かぶ三人の首が、徐々に横を向いていく。
あれ、そう思った時には三人は無表情で口から泡を吹き出してきた。
「お辛かったですよね、本来ならその場で処分するべきところでしたが、御子様をあのような目に合わせた報いを、こいつらは極限の痛みをもって詫びるべきです。ええ、そうしなければならないのです」
女の手の甲にはぶっくりと膨らんだ青い血管が枝のようにはりめぐり、力を込めてなにかを力一杯つかむように鉤爪のごとく曲がった指は、ブルブルと震えた。
殺す気だ、この三人を。
シアンセムラの腕から抜け出そうともがき、女にやめさせようとするが、女は血走った目で何かブツブツいうだけで、シアンの言葉も叫びも、もう聞こうとはしなかった。
セムラは暴れるシアンを抑え込み、ジリジリと後退していく。
このままでは三人が死んでしまう。
シアンをまるで家畜のように扱ってきたこの家族を許すなんてことは絶対にないが、それでも殺すのだけはやめて欲しかった。
シアンは荒く息をしながらセムラを引っ掻いたり蹴ったりしながら暴れるも、その腕はビクともしない。
女は三人の首をすぐに折ることはせず、ジワジワと、なにかを楽しむように、その様子を注視していた。
セムラはゆっくり、ゆっくりと、静かに後退していく。
三人の表情はなんら変わりはないが、首の筋がバツンと切れそうなほど、それはもう限界を迎えていた。
空はもうとっぷりと暮れてしまい、燃え盛る炎だけが、皆を照らしていた。
女のおぞましい引き笑いと、炎の跳ねる音だけが、広場に響き渡った。
女は力を込めていた手を一瞬緩ませ、「おや」と素っ頓狂な声を出した。
「もう死にましたか、堪え性もない。こんな痛みで詫びれたと思ったら大間違いです……ああ、穢らわしい、穢らわしい、穢らわしい穢らわしい穢らわしい!!」
女は急に発狂したように金切り声をあげ、自分の髪を鷲掴んで引きちぎった。
「ああ、そうだ、そうしましょう」
女は自分の髪を引きちぎるのをやめ、呆然と呟いた。
そしてシアンに振り返り、優しい笑顔でうなづいた。
「大丈夫です、夜の御子様は、私共がお守り差し上げます」
女は開いていた手の平を宙へ持ち上げ、ぎゅっと拳を握った。
ゴキン
何か重いものが折れた音が空から降ってきて、シアンは目を見開いた。
三人は前を見ているのにも関わらず、首は異様に伸び、その皮膚は千切れんばかりに巻いていた。それだけではなく、右腕、左腕、右足、左足、すべての関節があらぬ方へ向いていた。
力なく宙へぶら下がるその影を、シアンは遠い記憶で見た糸人形みたいだと、静かに思った。
女が腕を下ろすと、その三つの影はどさっと力なく地面に落ち、また何かが折れる音がした。
コロンと、カルリアの頭から丸いガラス細工の髪飾りが転がっていく。
コロコロ、と女のつま先にそれは当たる。
今朝カルリアが自慢げにしていたその髪飾りを、女は無表情で踏み抜いた。
パリン、シアンの中でなにかが割れた。
その音が合図だったのか、ワッと周囲の音が戻ってきた。
地鳴りのように地面が揺れ、けたたましい悲鳴と金属音が、あたり一面洪水のように溢れかえった。
震えるシアンにセムラはじっとその静かな視線を向け、ぎゅっと目を瞑った。
再び開いたその瞳は、不思議なほど澄んでいた。
セムラは、なにか小声で呟くと、シアンの耳元で囁いた。
なにを言ったのか、シアンはそう聴きなおそうとしたが、セムラが悲しげに笑っただけで、それを聞くことは叶わなかった。
ふっと体が浮いたと思ったら、上空にシアンは吹き飛ばされた。
轟々と風が耳で騒ぎ立て、突然なにが起こったのかわからず、シアンは激しく回転する自分の視界に酔いそうになりながら、遥か下に小さくなっていくセムラと喧騒に手を伸ばした。
しかしシアンは止まることもできず、真っ暗な夜の空の高い高いところまで上り、色もわからない雲の中を何度も通り抜けた。
大きく燃える炎はいつのまにかロウソクの火のように小さくなり、あの喧騒も聞こえなくなった。
眼下には星ほどの小さな灯りが点々としていたが、いつのまにか山の上を縫うようにシアンは飛んでいた。
セムラが最後なにを言ったのか、なんでこんなことになったのか、なぜ自分は飛んでいるのか、ぐちゃぐちゃな頭でどれだけ考えても出てこない答えを、シアンは泣きながら考え続けた。
どれだけ念じて暴れても止まらないその大鷲のような勢いに、シアンはいつのまにか意識を手放した。
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