第8話 一筋の光と絶望
シアンは頭を抱えながら「ごめんなさい」しか言えない。
先ほどまで饒舌だったエムラも、黙りこくってしまった。
セムラはあいも変わらず、なにも言わない。
なにも言われないことが、こんなに苦痛に感じたのは初めてだ。
先程までの和やかな空気が嘘のように、この四人の周り一帯がまるで吹雪いているかのような気がした。
「夜の子の分際で、降臨祭なんか来てるんじゃないわよ。……まさか、あんたなの」
カルリアが呆然と呟いた。
そんなわけない、シアンは否定せねばと口を開いた。
「違います、違うんです。ほんの出来心でした、どうしても降臨祭に来てみたくて、それで」
言い終わる前に、シアンは壁に叩きつけられた。
グッと息がつまり、咽せこむ。
「嘘おっしゃい。あんたでしょう、あの『黒い奴ら』をここへ呼んだのは!とうとう本性を現したわね、この怪物!お母様の言う通りだった!」
「待って、待ってください、本当にわたしはなにも知らないんです!私もあれから逃げてきたんです!」
そう叫んだ瞬間、あちこちから視線がシアンに注がれていることに気がついた。
しまった、そう思った時には既に遅く、カルリアは呆然としたのちに、見たことがないような憎しみに染まった瞳でシアンを睨んだ。
「なんで、なにも知らないあんたはあいつらに追われていたのよ。私たちは追われたら最後、殺すか殺されるかで、逃げれた人間はいないわ」
シアンは最初から正体を明かして、追われてきたことを話さなかったことを人生で一番後悔した。
周りを見渡せば、カルリアだけでなく、この騒ぎを聞いていた人全員が、シアンを恐怖、もしくは憎し身を込めた色で睨みつけていた。
ちらりとセムラを見上げれば、灯りの逆光でどんな顔をしているか見えなかった。
「あんたなのね、あんたが、みんなを殺したんだ」
カルリアは確信したように、誰に言うまでもなく、そう呟いた。
「カルリア、なんの騒ぎなの」
人混みをかき分けるように、また聴き慣れた声が近づいてきた。
「なんだこの人混み。通してくれ、娘がいるんだ」
首筋が粟立ち、その声の方向を呆然と見つめる。
当たり前だ、家族全員この祭に来ていたのだし、カルリアの様子を見れば、夫妻が生きているのは明らかだった。
シアンは、さっきの黒装束の奴らに殺された方が幸せだったかもしれないな、なんてことを本気で考えた。
でも過ぎたことはもうどうしようもない。
夫妻が人混みから姿を現し、シアンを見るやいなや、二人は一瞬言葉を失い立ち尽くし、次の瞬間には鬼の形相でシアンに向かって大股で歩いてきた。
ファソンが大きく振りかぶり、人生で一番の痛みと衝撃で頭が揺れ、あっと思う前に視界が狭くなった。
カルラが大声でなにか騒ぎ、体のあちこちに強い衝撃を感じるが、そのいずれもシアンの頭が感知することはなく、シアンはあっという間に意識を手放した。
どれだけ意識を手放しただろう、ぼそぼそと話す大人たちの声でシアンの意識は浮上した。
それでもまだ意識は水の中を彷徨っているようで、大人たちがなんと話しているのかまではわからない。
それでも思考が働かないシアンの頭は、断片的に会話の単語を拾った。
夜の子、黒装束、ヴォルネ教、裏切り、化かされた店主、生贄、これくらいしか拾えなかったが、いずれにしてもシアンのことを話している他ない。
しばらくすると、シアンの頭が徐々にはっきりしてきて、今おかれている状況がなんとなくわかってきた。
どうやらシアンはどこかの部屋か、物置に隔離されているらしく、大人たちは壁を隔てたどこかで話し合っている。
多分シアンをどうするか、話し合っているのだろう。
シアンは今のうちにここから逃げようと体に力を込めるも、足と手が固く縛られ、身動きが取れなくなっていた。
それだけではなく、目隠しもされているため視界は真っ暗なままだし、声を出そうにも口にもなにか咥えさせられ、呻き声しか出せない。
身をよじりなんとか手足の拘束を弛めようともがくが、相当固く縛られているらしく、肌に縄が食い込んで痛むだけだった。
鼻からしか息が吸えないため、すぐにシアンの息は上がってしまい、苦しくなった呼吸をなんとか整えようと意識を集中した。
体に神経を集中させれば、先ほど受けた暴行の傷が刃物で刺したかのようにシアンの全身を駆け巡った。
息が詰まり、唸ることしかできない。
痛みをどこかへ逃がそうと身をよじって転がせば、うつ伏せになった途端、全身に雷が走ったようにシアンは跳ねた。
慌ててもとの体勢にもどり、肩でゆっくりと呼吸する。
どうやら腹のどこかの骨が折れているらしい。
もしかしたらまだどこか折れているかもしれない。
シアンは拘束が解けても自分はもう逃げられないかもしれないことを悟った。
もうダメかもしれない。
逃がしてくれた男には申し訳ないが、思いもよらぬ形で人生が幕を閉じようとしていた。
まさか自分が裏切り者として死ぬこととなるとは全く考えもしなかった。
今まで裏切ったことなど一度もないし、カルラ達には精一杯尽くしてきたつもりだったが、まったく無意味だったらしい。
裏切りといえば、今日黙って祭に来てしまったことぐらいだ。
しかしこれがカルラ達にはとても重要な裏切り行為になるらしい。
けれど、人生最後の日にしてはいい一日だったな、とシアンは今日一日に想いを馳せた。
はじめてだった、こんなにもいろんな人と話をして、笑顔をシアンに向けてくれたのは。
なん年ぶりに食べたファンの味も、はじめて自分に買った首飾りも、はじめてのおまけも、はじめて助けてもらったことも、どれもこれもシアンには人生最後の日には素晴らしいものだと思った。
きっと時間がくれば、シアンは外に出され、きっと殺されるだろう。
それまで今日一日でできた思い出に想いを馳せるのも悪くない。
シアンは強張っていた体から、力が抜けるのを感じた。
あとは、待つのみだ。
大人になりさえすれば、すべて変わるとシアンはそう、信じてきた。
けれど、世界はシアンが大人になることすら許してくれないらしい。
まあ、それはそれでいいか。
シアンは諦めた。
頬に感じる石造りの冷たい床だけが、今はシアンの味方だ。
微かに感じる床からの振動を子守唄にして、シアンは重くなってきた瞼を抗いもせずに閉じた。
きっと夢の中の方が、今日の大切な記憶が鮮明に感じることができるだろう。
じっとしていると、一瞬額に風を感じた。
シアンの顔の近くに足音が止まり、誰かがシアンを連れにきたんだなと思った。
特に抵抗もせず、そのまま横たわる。
しかしその人の気配はシアンになにをするまでもなく、じっとその場で立ち尽くした。
なにか考えているのか、なかなかシアンに触れようとしない。
もしかしたら、シアンをここで殺せと言われたのかもしれない。
シアンはきっとそうだな、と思った。
けれど、いくら夜の子のシアンでも、人の形をしている。
きっと心優しい誰かがなかなか手を下せないでいるのだろう。
ひと思いにして欲しいな、とシアンは思った。
すると空気にわずかな動きを感じ、その人は足を一歩引いた。
シアンは痛くありませんように、と信じてもいない白の神に祈った。
しかしいつまでもシアンは暑さも痛みも感じず、その代わり目隠しを外された。
急に開いた視界に目がしばしばし、目を細める。
「静かにしてて」
そういわれ、シアンはぼんやりとその人影を見つめる。
その人は素早くシアンの腕の紐を小刀で引き裂き、足の紐も同様におこなった。
解放されたところが空気にあたりヒリヒリするが、自由になった手足にシアンはほっとした。
最後に口の拘束を外された時に、シアンの拘束を解いた人が誰だがはっきりした。
シアンが息を飲めば、セムラは視線がさまよい、それでも困ったようにシアンの頬を撫でた。
「ごめんね、助けるのが遅くなって」
なんで、そう言おうとしたが、シアンは声が出なかった。
なんで助けたのか、そんなことをしたらセムラが危険な目にあうのはわかりきっているのに。
そうなんども言おうとするが、シアンの喉からは息がヒューヒューと漏れるだけで、セムラになんの言葉もかけられない。
シアンが黙っているのをいいことに、セムラは話を進める。
「なにを言いたいかはわかってる、恨みごとなら今度いくらでも聞いてあげるから、とにかくここから出よう。ああ、なんで僕こんなことしてるんだろうな」
自虐のようにセムラは吐き捨てた。
セムラはシアンの身体をいたわるように、ゆっくりと立ち上がらせる。
なんでと聞きたいのはこっちの方だ。
シアンは怒りと悲しみでいっぱいになり、わけもわからず泣きたくなる。
感情が暴走しながらもとにかく立ち上がろうとするが、ほんの少しでも力を込めたシアンの身体は悲鳴をあげるように痛み、非難することより自分の体の痛みを逃すことに意識を集中させる。
早くここから移動しなければならないのだろう、しかしなかなか動けずにいるシアンを待つことにしびれを切らしたセムラは「絶対に声を出さないで」とシアンに言い、なんでと思うよりも先に、腕に抱きかかえられた。
急な浮遊感と体の力の入れどころが変わったため、全身ありとあらゆるところに激痛が走った。
悲鳴をあげそうになるが、声が出ないのが幸いし、息が漏れるだけで終わった。
「辛抱してて」
セムラはシアンに声をかけ、そのまま静かにその部屋から抜け出した。
こんなシアンを抱えていたら嫌でもバレてしまうのではないかと思ったが、どうやらシアンを怖がり近づきたくないため、部屋を出た通路には見張り一人もいなかった。
そのままセムラは通路を早足で抜け、角を曲がったところで息を飲んだ。
急に歩みを止めたセムラに、シアンはなんだろうと思うが、聞こえてきた声にどうしようもなく焦燥を抱いた。
「兄貴、なんでそいつ連れてんだよ」
エムラが絶望に染まった声で、セムラに声をかけた。
「エムラ、そこをどきなさい」
セムラの真剣な声に、エムラが息を飲む音が聞こえた。
「なんでだよ」
震える声で、エムラはセムラに問う。
セムラは努めて落ち着きを払った声音でいう。
「今はわからなくても、いずれわかる」
説明する時間が惜しいのだろう、弟をたしなめるようにセムラは言った。
「わかんねえよ、だってそいつ裏切り者で、夜の子で、だから殺さないといけないんだろ、なんでそいつを助けるんだよ」
徐々に大きくなる声に、セムラは焦りを感じた。
「エムラ、今度ちゃんと説明するから。今だけは言うことを聞いて、声を下げて」
エムラはシアンとセムラを見比べて納得したように頷いた。
「わかった」
セムラがよかった、と肩の力を抜くが、すぐにエムラが発した言葉によって身体中を強張らせた。
「わかったよ、兄貴、そいつに操られているんだろ」
まったく見当違いなことを言い出したエムラに、流石にまずいと感じ始めたセムラは必死に説明する。
「それは違う、エムラお前は賢い、お前はわかっているはずだ。そんなのは大人の詭弁で、この子はなにもしていない。罪のない子どもが古い習慣と大人の都合で奪われそうになっているんだ。今日の襲撃は、別に原因があるはずだ」
エムラはセムラに言われた言葉を聞いているようで、聞く耳を持たない。
「そうだよ、兄貴。そんなことは当然俺もわかってる。俺は賢いんだ、その辺の大人より賢いし、大人の言うことは鵜呑みにしない。それに、兄貴はそうやって俺を誉めるけど、兄貴の方がずっと頭がいいこと、俺は知ってる」
だからだよ、エムラはこちらに手のひらを見せるように開いた。
「そいつを殺せば、丸く収まるんだ」
その言葉を聞いたセムラはシアンを抱え込み、そのまま駆け抜けた。
「あーあ、なんでこうなるかな」
シアンはその時、エムラの泣きそうな声を聞いた気がした。
次の瞬間にはあたりがまばゆい光に包まれ、爆風と煙がシアンたちを包んだ。
セムラはそれを器用にかわし、煙と一緒に礼拝堂の裏口から飛び出した。
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