第7話 再会

 しばらくあお向けに横たわっていると、誰かがシアンの額を布で拭いてくれた。

 薄暗い空間の中に、幾人のも人がひしめき合っている気配を感じる。

 窓は完全に封鎖され、わずかな灯りが静かに揺らめいた。


「ここはどこですか」


 息絶えだえに問いかけると、シアンの額をぬぐいながらその人は「礼拝堂よ」と答えた。

 礼拝堂はこの国の国教、白の神を奉る「バルブロ教」の信徒が祈りを捧げる場所だ。

 カルラ達は週に一度、ここに祈りを捧げにいっていたが、シアンは一度もここへは訪れたことがない。

 それに、シアンは白の神をこれっぽっちも信じていなかった。

 だから白の神のご加護があるからもう大丈夫よ、とシアンを介抱してくれる女の言葉が全く大丈夫に聞こえなくなってしまった。

 とりあえず身を起こし、女にお礼を言う。


「もう大丈夫です、ありがとうございます」


 女は頷き、他のすすり泣く人の元へと向かっていった。

 ちらりと灯りに照らされた女の顔は、ひどく真っ青だった。

 シアンは外套を被り直し、改めて辺りを見渡す。

 どうやら襲撃にあった人たちがここに避難してきたらしく、横たわって動かない人から怪我の手当てをシアンのように受けている人、ただ放心したように天井を仰いでいる人と様々だ。

 なかには発狂し、押さえ込まれている人もいた。

 外の地獄とはまた別の地獄にいるような心地がして、シアンは息が詰まった。


「もう動いて大丈夫かい」


 突然シアンの横から男の声が降ってきて、シアンは飛び上がった。

 見上げれば、人が良さそうな目でシアンを見つめる知らない男がいた。

 誰だろう、シアンは首をかしげるが、思い返すとその声が先ほどシアンをここまで連れてきてくれた主だと気づき、シアンは余る勢いで最敬礼をし、床に頭をつけた。


「先ほどは救っていただき、まことにありがとうございました」


 シアンの行動に驚いたのか、男は慌てて「頼むから顔を上げてくれ」とシアンのたたずまいを戻させた。

 二十歳も行かない若者らしく、筋肉があまりついていない腕を見る限り、農業を生業としていないことは確かだ。

 若干垂れ目の細い視線は困ったように弧を描き、シアンを写していた。

 シアンの知る男に比べて全体的に線が細いその体は、男を無意識に恐怖の対象としてみていたシアンには不思議と安心できるものだった。

 立ち話もなんだからと、二人は近くの寄りかかれる壁際に移動し、腰を下ろした。


「すごいね、まだ十歳にもなっていない女の子だと思っていたんだけど、君いくつなの」


 男はえらく感心したようにシアンに話しかけてきた。

 男は先ほどの最敬礼と言葉遣いのことを指しているのだろう。

 別に身に付けたくて身に付けたものではなく、そうしなければ死んでしまうかもしれないからそうしてきただけだが、この男に褒められるのは悪い気はしなかった。

 けれど事実をそのまま伝えればきっと男は困惑するだろう。

 シアンは少し濁して「うちが少し厳しいもので」と言えば、男は感心したように「素晴らしい親御さんだね」と微笑んだ。

 素晴らしい親御とは誰のことだろうか、シアンは複雑な気持ちを悟られぬように男に話を振った。


「そう言えばお名前を聞いていなかったです」


 そう問いかけると、男はそうだったねとシアンに向き直った。


「僕はセムラだ、商人をしている。君の名前は?」


 セムラと名乗った男はシアンに問いかけた。

 シアンは名乗ろうとするが、すぐに口をつぐんだ。

 名乗ればきっと、シアンが「夜の子」だとすぐに合点がいってしまうだろう。

 別にそれでも良かったが、ここで男がシアンの正体に気がつき、大声でも挙げられてしまったらここにいる人間はきっとシアンを外に放ろうとするだろう。

 少し間を置いたのちに、シアンは自分のことを「ファム」と答えた。

 礼拝堂のこの暗さなら、外套を被りさえしていればきっとシアンの黒髪黒目に気づかないだろう。

 潰されそうな罪悪感でセムラを見ると、頷き「いい名前だね」と微笑んだ。

 胸が潰されそうになりながらも、不審に思われていないことにほっとする。

 しかしセムラは少し言いずらそうにしながらなにかを言い淀む。

 もしかして本当はシアンの正体に気がついていたのでは、と疑念が頭をよぎり、ドキドキする心臓でどうしたのか聞いてみる。

 セムラは視線を彷徨わせたのちに、意を決したようにシアンに向いた。


「さっきはごめん、もう少し早く気がつけば、君の近くにいた女の子も救えたはずなのに」


 シアンはほっとした。

 シアンの正体に気がついたわけではなかった。

 死んだ女の子には悪いが、シアンはひどく安心した。


「いえ、気にしないでください。それに彼女とは知り合いではないんです」


 セムラは一瞬驚いた顔をするも、特に聞くことはせず、そうなんだ、とだけ呟いた。

 なんだか居心地の悪い空気が漂い、二人は黙りこくってしまう。

 この沈黙を脱却しようとしたのはセムラで、あーあ、と声をあげた。


「本当になんなんだろう、こんな地獄を経験するだなんて思いもしなかったよ」


 最後の方は独り言のようになり、シアンは反応したほうがいいのかわからず、とりあえず「そうですね」と同意した。

 シアンだって、今の今までこんなことになるだなんて、夢にも思ってみなかった。

 けれど、先ほどから訳のわからないことが連続で、なにがなんだかわからない。

 意識しないようにしていた「なんで」の気持ちが急に頭を駆け巡り、先ほどの広場の様子が脳裏に浮かんでは消える。

 女の子の首が転がった瞬間を思い出し、シアンは胃からなにかが上がって来るのを感じた。


「ううっ」


 シアンが呻くと、セムラは慌てて背中をさすった。

 しばらく吐き気と戦い、なんとかそれを胃の中に落ち着かせると、セムラは大丈夫?とシアンを気遣った。

 シアンはこくんと頷き、息を吐いた。


「すいません」


 迷惑をかけてばかりいるセムラに申し訳なくなり、シアンが謝ると、セムラは気にしないでと頭を撫でてきた。

 シアンに兄弟はいないが、兄がいたらこんな感じなのかな、となんとなく思った。

 セムラはシアンの頭を外套越しに撫でながら、話を続ける。


「僕にも弟がいるんだ、ファムより少し年上かな。だから妹ができたみたいで少し嬉しいよ。もう弟ときたら僕の言うことを聞きやしない」


 困ったように笑いながら、セムラは弟のことを話した。


「あいつはすごいんだ、宿印も授かって、今度王都の学舎へ通うことになっているんだ。僕は授かることはできなかったけど、弟には才能がある」


 その瞳は慈愛に満ち、それと同時に、少し悲しそうな色も浮かんでいた。

 けれど、そんな気持ちをシアンに悟らせる前に、セムラはシアンに微笑んだ。


「弟もここに避難しているんだ、早く会わせてやりたいよ」


 シアンはセムラが悲しそうな色を滲ませたことに触れられず、頷くことしかできなかった。

 セムラはシアンに微笑むと、ふと視線を上げ、ある一点を見始めた。

 なんだろう、シアンも同じ方向へ視線を向けると、通路にしゃがみこむ人の奥からきょろきょろと誰かを探すようにこちらに向かって来る少年がいた。

 男の子もこちらの視線に気がついたらしく、じっとこちらを見つめ、あっと嬉しそうな顔をした。


「あ、兄貴!」


「エムラ!」


 駆け足でこちらに向かって来るエムラと呼ばれた少年は、一直線にセムラに向かってくる。

 セムラも腕を広げ、少年を待ち構え、飛び込んできた少年と熱く抱擁を交わした。


「馬鹿兄貴、死んだかと思ったじゃんか」


「ごめん」


 セムラはまだ小さいその肩をきつく抱きしめた。

 エムラはしばらくすると安心したのか、恥ずかしいだろ離れろよ、とセムラを突き放した。

 セムラは苦笑しながら名残惜しそうにその腕を離す。

 シアンはその様子を見つめ、やっぱり兄弟っていいな、と寂しい胸を押さえた。

 はっとセムラはシアンに手招きをする。

 シアンがよれば、エムラは訝しげにシアンをみた。


「兄貴、こいつは」


「ファムだよ、一緒に避難してきたんだ」


 一瞬シアンは誰のことを言っているのだろうと考えるが、ファムは自分の名乗った偽名だということを思い出し、慌てて頭を下げた。


「はじめまして、ファムです。お兄さんに助けていただきました」


 シアンがそういうと、エムラは納得したように手を差し出してきた。


「そうか、俺はエムラだ」


 エムラに対し、ツリ目でパッチリとした瞳でシアンを見つめる。

 なんだか聞いたことがあるようなその名前にシアンは首を傾げつつも、どこで聞いたか思い出せずにいた。

 シアンと手を離すと、エムラはセムラに向き直り、「馬鹿兄貴、生きてたからよかったものの、お人好しもいい加減にしろよ」と、どちらが兄かわからない剣幕で叱りつけた。

 セムラはなんとも気の抜ける声で「ごめんよ」とエムラの頭を撫で、触んじゃねえと容赦無く手を叩き落とされていた。

 自分を助けたばかりに責められているセムラを見るのは心苦しく、我慢できなかったシアンはおどおどと仲裁に入った。


「お叱りはごもっともなんですけど、セムラさんは私を救ってくれた恩人です。どうか許してはもらえないでしょうか」


 シアンの言葉に驚いたようにエムラは固まり、口をつぐんだ。

 ほっとしたのもつかの間、次はシアンにその矛先が向いた。


「お前もお前だ、なんであんな危ない場所にいたんだ。すぐに逃げればよかったのに、ぼうっとしてたんだろう」


 身に覚えがある私的にシアンは言葉に詰まり、うなだれる。

 シアンがぼうっとしていなければ、セムラは危険な目に合わずに済んだかもしれないし、そもそもがシアンはこの地獄に身を投じずに済んだかもしれないのだ。

 そこまで考えて、シアンをさっき逃がしてくれた男の言葉を思い出す。

 男はまるでこの広場で起こることを全て知っていたような口ぶりで、シアンに絶対近づくなと念を押していた。

 爆発も焼き討ちも、男は全て知っていた。

(どうしよう)

 シアンは悩んだ。

 これはシアン一人の問題ではなく、この村の問題だ。

 男からシアンが聞いたこのことを誰かに話して、この状況を打開すべきではないだろうか。

 少なくとも、命をかけて助けてくれたセムラには話す必要がある気がする。

 それに、とシアンは考える。

 黒装束の人たちから狙われたシアンだが、この広場にいるやつらもその仲間だともさっきの男は言っていた。

 少なくともシアンがこの件に絡んでいるのは間違いない。

 しかし、シアンはなぜ自分が見ず知らずの人たちから追われているのか、自分が「黒の御子」と呼ばれた理由とその意味が、まったく見当がつかない。

 シアンがわかっていないことをどうして人に理解してもらえるだろう。

 エムラのお説教を聞きながら、シアンは完全に自分の世界に没頭してしまった。

 気がつけば黙りこくってしまったシアンに、エムラは気がつき、シアンの頭を軽く小突いた。


「痛!」


 反射で痛いと口走ったが、今まで受けた衝撃の中で、それは一番優しいものだった。

 エムラは「人の話をちゃんと聞け」とシアンを叱り、ごもっともな言葉に素直に謝った。


「もうしわけありません」


 改まった言葉にエムラはぎょっとし、シアンにやめろと言った。


「お前みたいな子どもがそんな言葉遣いをしていると、なんだかゾワゾワする」


 自分も子どものくせに、エムラはゲエと言いながら腕をさすった。

 シアンはムッとしながらそうですか、とてきとうに相槌を打った。

 そんなシアンをエムラはジッとなにか考えるように見つめる。

 その視線が居心地悪く、なんですかと問いかければエムラは不思議そうにシアンの頭を指差した。


「ファムは暑くないのか?風通しも悪いし脱げばいいじゃんか」


 エムラはシアンの被っている外套のこと言っている。

 まずい、シアンは反射的に頭を押さえた。

 確かにこの状況を説明するためには、この二人に自分はシアンだということを話さなければならないが、やはり状況が悪すぎる。

 今ここでシアン正体を明かせば、確実にいい顔もされないし、助けてもらえなくなるかもしれない。

 外套を手で押さえながら、シアンはそれらしい理由をなんとか考える。


「暑くないから大丈夫です」


 考え抜いてそれしか出てこなかった。

 明らかなシアンの嘘に、エムラは「そんなわけあるか」と一蹴した。

 セムラに助けを求め視線を送るも、セムラも同意見らしい。


「そうだね、礼拝堂は暑いし風通しも悪い。いつこの状況から打開できるかわからないし、暑さで体をおかしくさせるのは避けたほうがいいかもね」


 二人に詰め寄られ、シアンは数歩後ろに下がるが、不幸なことに、すぐ背中が壁に当たった。

 なにも言い訳が思いつかないシアンは、どんどん頭を混乱させる。


「さあ、ファム、それを僕に預けよう」


 セムラがシアンに笑顔で手を差し出し、エムラも強引にシアンの頭に手をかけようとする。


「いや、本当に大丈夫です」


「お前が大丈夫でも見てるこっちが大丈夫じゃない」


 それを言われてしまえばシアンは反論がなにもできない。

 はくはくと口を開閉し、なにかそれらしい理由が勝手に口から飛び出しますようにと祈りながらも、シアンの期待を余所に、口はただの呼吸音しか発しない。

 なにも言わないシアンにしびれを切らしたのか、エムラがグイッと外套を持ち上げる。

 必死に押さえつけるも、シアンの力では少年の力は払うことができず、ああ、と情けない声が漏れた。

 終わった、間違いなくそう思った。


「やっと見つけた!」


 鈴の鳴るような、軽やかな少女の声が響く。

 シアンはドクン、と心臓が波打つのを感じた。


「勝手にどこかへ行ってしまうんだもの。探すの大変だったのよ」


 その声にエムラは手を緩ませ、その隙に一歩下がる。


「すまん、兄貴がいたものだからつい」


「まあ、お兄様がいたのね。それならしかたがないわ……それで、その子は?」


 少女の頭で丸いガラス細工が揺れた。


「こいつはファム、兄貴と一緒に避難してきた」


 エムラがシアンをグイッと差し出し、その少女と対面させた。

 シアンの口が一瞬で干からび脂汗が流れるその一方で、どこかで聞いた気がすると思っていたエムラの名前がやっと合点した。

 その名前は、今朝聞いたものだ。


「はじめましてかしら、私はカルリアよ。あなたの名前は?」


 顔を上げられず、うつむいているとカルリアはなんの気にも留めず、手を差し出してきた。

 灯に反射した白くシミもカサつきもないそのシアンをいつも殴る手に、震えながら手を重ねる。


「……ファムです」


 どうしても小さくなってしまった声に、カルリアはさほど興味を示さず、その興味はシアンの外套に注がれた。

 打ち上げられた魚のようにビチビチと大きく震えるシアンに、カルリアは乱暴に掴みかかり、外套を剥いだ。


「あっ」


 シアンは抵抗らしい抵抗がなにもできず、頭を抱えてへたり込んだ。


「もしかして、と思ったの。そんな泥ネズミみたいなみすぼらしい外套着てる人、あんた以外にはいないわよね」


 ガタガタと震えるシアンにエムラが声をかけようとするが、同時に息が止まる音も聞こえた。

 セムラはなにも言わない。

 恐怖でなにも言えなくなったシアンに、カルリアは地を這うような恐ろしい声で、問いかけた。


「夜の子のあんたが、なんでここにいるのよ」

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