第6話 悪夢

 人がいるかもしれない喜びに浮かされて、なにも考えられなかったのがいけなかった。

 普段のシアンなら、そもそも人になるべく近づきたくはないし、避けて生活をしている。それほどシアンはあまり人を信用していない。

 けれど、そこそこ大きな規模の祭りが催された今日は、村の外部の人間が多かったためか、触れ合った人のほとんどがシアンに寛容だった。

 そのせいもあるだろう、シアンは少し人に心を開いてしまった。

 そして生命の危機に晒されれば、他者に助けを求めるのは自然な思考だろう。

 シアンはとにかくこの訳の分からない状況を誰かに説明して、自警団を連れてきてもらおう。

 混乱でおかしくなりそうな頭で、シアンはぼんやりと考えていた。

 こんな大きな騒ぎになってしまったのだから、カルラ達からはそれは大変な目に合うだろう。

 でもそれを踏まえても、カルラ達から受けるであろう数々の方がまだマシだ。

 とにかく人に助けを求める。これが最優先だ。

 やっと森を抜けて、強すぎる灯りの元へ身を投げ出す。

 ああ、助かった。


「誰か!」


 そう叫んだシアンの声は、別の声でかき消された。


「誰か、誰か助けて!」


「この子は子どもだ、頼む、頼むからこの子だけは!」


 シアンはなんで自分の頭の声があちこちから聞こえてくるのだろう、酸欠で思考が回らない頭でゆっくりと辺りを見渡す。

 焦点が定まらなかった目も、ゆっくりと呼吸を整えていくごとに己の役割を思い出し、酸欠でまるで濃霧の中にいるような頭が、徐々に霧も晴れ見通しが良くなった。

 思考がはっきりしていくにつれて、シアンはまた夢でもみているのではないかと、ため込んでいた息を吐き出した。

 夢でもこんな悪夢は絶対に見たくない。

 飛び散ってきた火の粉が頬に触り、突然の熱さにそれを払う。


「……夢じゃない、の」


 夢ではない、そう意識した瞬間、大量の悲鳴と、怒号と、炎と、血の色と、行き交う黒の人影がシアンに飛び込んできた。

 轟々と唸りながら黒煙は高く舞い、生まれた気流に乗り火の粉も上がっていく。

 あちこちで爆発音がひきりなしに轟き、その度にけたたましい悲鳴と泣き声が飛び交った。

 最初はあまりの変わりように自分がどこにいるのかシアンはわからなかったが、こんなに人が溢れかえる場所なんて今日は一つしかない。

 降臨祭の大広場にシアンは戻ってきてしまった。

 心臓の血液が逆流したかのように全身が脈打った。

 耳の奥で血液がどくどく叫ぶのを感じながら、シアンはさっきの男が言ったことを思い出す。

 なにがあっても逃げ続けろ、灯りとは逆の方へ進め、そして、


「奴らの仲間が、村人を焼き討ちにする」


 男のいうことと、今目の前で起こっていること、全てが一致した。

 シアンはただただこの悪夢のような場所からどうにか逃げださねば、そう頭の奥で誰かが叫んでいるが、その声は目の前の地獄にかき消された。


「いやああああやめて!」


 広場の中心からだろうか、一人の女の子がよろめきながらシアンめがけて走ってきた。

 顔は血でべっとり染まり、着ている衣もボロボロだ。

 髪を振り乱しながら必死に女の子は叫び泣く。


「誰かあああああ!」


 しかしその声は、女の子が駆け抜けた直ぐ隣で串刺しにされた男の絶叫でかき消された。


「があああああ!」


 しかし男を刺した黒装束の人は、女の子の叫びを聞き逃さなかった。

 まだ痙攣している男の体から刀を抜き取り、もう一度男の額に刃を吸い込ませた。

 男はびくん、と体を跳ねさせ、動きを止めた。

 ゆっくりと刃を抜き、黒装束はこちらを見た。


(あっ)


 そう思った時にはもう黒装束の姿は男のそばにはなく、女の子の背後まで迫っていた。

 人間離れした動きに女の子はなんの反応もできず、次の瞬間には体は地面に横たわっていた。

 女の子の首を宙に残して。

 ごとん、女の子の首は転がり、その目は不思議そうにこちらを見ていた。

 女の子とシアンの視線が交じり合う。

 一瞬目を見開いた彼女は、ごぽっと血を川のように口から溢れ出し、目から光が消えた。

 なにが起こったのか、全くわからなかった。

 恐怖で戦慄く足でゆっくり女の子の元へ歩き出す。

 行ってはだめだとわかっているのに、足は止まらない。

 シアンが一歩踏み出すごとに、どこかで絶命する人の叫びが空に吸い込まれた。

 子供の泣き声、命乞いの叫び、露店が崩れていく音、シアンはどうにかなりそうな頭で一つ一つの音をしっかりと頭の中で響くのをどこかで聞いていた。

 シアンのすぐ横で火柱が上がり、炎の中で誰かがもがき苦しみながら倒れ込んだ。

 熱風でシアンの外套が外れる。

 前髪も汗で張り付き、どこからか飛んできた石で額を少し切った。

 それでもシアンの意識は女の子の首から離れなかった。

 転がった首の前にたどり着き、しゃがみこむ。

 額を深く切っていたらしい。顔中血で赤黒く固まり、もとは綺麗な銀だったのだろう。細い絹糸のようなその髪も血で濡れ固まり、所々しかその原型を留めていない。

 女の子の首をそっと持ち上げ、膝におく。

 震える指先で、そっと髪を流してやる。

 意味もなく、涙が一滴零れた。

 ふと視界が暗くなった。

 シアンが顔を上げると、黒装束の男がシアンをじっと、見つめていた。

 三角頭巾のような外套で、相手の表情は全く見えない。

 それでもシアンはそれと目があったと感じた。

 視線を下せば、それはさっき女の子の首を飛ばした刀がしっかりと握られており、刃からは血がぽたりと地面に滴った。

 ああ、これが自分の最後か、シアンはそう思った。

 シアンの心の中でふと、なにかが静まるのを感じた。

 黒装束を見つめると、それはゆっくりと刀を握った。

 シアンがゆっくりと目を閉じると、それは大きく手を振りかぶった。

 本当にロクでもない人生だった、そう思った矢先、ガシャン、金属の音が鳴り響いた。

 いつまでたっても首に衝撃が来ない。

 恐る恐る目を開けると、それの胸から刀が生えていた。

 ゆっくりと倒れ込んだそれの後ろから、ぬっと黒い影が現れ、あっと思った瞬間にはシアンは抱きかかえられていた。

 急なことに女の子の首を落としてしまう。

 ゴロン、と首は転がり、手を伸ばした地面は急に遠のいた。

 ぐん、と抱え上げられ、誰かの肩に背負われる。


「もう大丈夫だ、よく頑張ったな」


 そう言うやいなや、シアンを背負った男は風のような速さで広場を駆け抜けた。

 背負われているため相手の顔が全く見えず、ひたすら震える声で「大丈夫」と言いつづける男の声しかなにもわからないが、一つだけ確かなのはシアンはまだ生きているということだ。

 男の背にぎゅうと強くしがみつくと、男はシアンを支える力を強くした。

 何度かなにかが頭の上を飛んでいったが、シアンはできるだけ小さくなり、男の背中に顔を押し付けた。


「開けろ!」


 男は叫ぶと、喧騒の中へ飛び込んだ。

 叫び声と金属がぶつかり合う音が飛び交い、シアンはさらに縮んだ。

 男は風のようにそれを避けながら駆け抜ける。

 男の筋肉が鋼のように固くなったのを感じ、シアンは男にしがみつく。

 一瞬の浮遊感と共に、次の瞬間には激しい衝撃がシアンを襲い、何回も転がった。

 視界がぐるぐると回り、体に力が入らない。

 それはシアンを背負った男も同じらしく、動く気配がなかった。


「あなた大丈夫!?」


 そう呼びかける声があちこちから響いてくる。

 ガンガンする頭と吐き気で意識が朦朧となりながら、シアンはもう大丈夫というその言葉にひどく脱力し、止めていた息を、ゆっくりと吐き出した。

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