第4話 首飾り

 ファンでお腹が満たされ、気持ちが少し落ち着いた頃には、いつの間にか日が傾き始めていた。

 広場も点々と街灯がつき始め、祭りの本番である夜を迎えようとしている。

 早いとこ見て回らねば、夜が来てしまう。夜になれば、カルラ達が帰ってきてしまう。

 近くにあった時計を見ると、四刻を回ったところだ。五刻までにここを出なければ。

 そうと決まれば、今度いつ来れるかもわからない祭を思い切り楽しもう。

 シアンは立ち上がり、広場へまた潜り込んだ。

 どうせならまだ見ていないものがいい。シアンは広場の中心から少し奥ばった露店を見ることにした。

 人もまばらで、見る限りではシアンの知る人は居なそうだ。

 それでも先ほどの失敗を思い出し、しっかり外套を被りなおす。

 この辺の露店は古めかしいものが多くあり、若い村の娘はおらず、老人達が懐かしむように露店を回っていた。

 どうせならキラキラしたものが見たかったが、ある一つの露店がシアンの意識を引っ張った。

 吸い寄せられるようにそこへ行くと、装飾品を扱う露店らしく、簪や結い紐、首飾りなどがずらっと並んでいた。

 少々古いものが多く、色褪せたりくすんだりしているものが多い。その中でもシアンは一つの首飾りに目を奪われた。

 親指の爪ほどの大きさの白く丸い飾りのついた、とても美しい首飾りだ。

 素材はなにで作られているかわからないが、乳白色に優しく輝くそれに、シアンの心は完全に奪われた。


「おじさん、これを見せてください」


 店主の初老の男に声をかけると、男は「ああ」と首飾りを差し出した。

 それを受け取り、じっくりと見つめる。

 陽に当てると乳白色に輝いていた色は、蜂蜜を加えたように黄金色に瞬いた。

 こんなに綺麗なものを見るのは生まれて初めてで、あのカルリアが髪につけていた硝子細工の髪飾りなんか比べ物にならないと思った。

 シアンは生まれて初めて熱烈にこれが欲しくなった。


「おじさん、これはいくらですか?」


 恐る恐る聞いてみると、男はたっぷりたくわえた髭をいじりながら「銀貨三枚だよ」と言った。

 シアンは目の前が暗くなるのを感じた。シアンの手持ちは銅貨5枚しかない。どう頑張ってもシアンに払える金額ではない。

 食事を三日抜かれたときでさえこんな気持ちにならなかった。

 黙ってしまったシアンに男はどうしたのかと問いかける。

 シアンはゆっくりと首を振って、男に首飾りを差し出した。


「せっかく見せてくれたのにごめんなさい、お金がなくて買えないの」


 男は考えるように髭をいじり、シアンを見つめた。


「今いくら持っているんだい」


 男の質問の意図がわからず「銅貨5枚です」と答える。

 そしたら男は紙袋に首飾りをしまった。

 ああ、シアンは泣きたくなった。

 もう一生会うことはないであろう首飾りに心の中で別れを告げる。きっと今日のことをシアンは忘れないだろう。

 ほんの一瞬の出会いだったのに、心にぽっかり一生埋まらない穴が空いたようだ。

 シアンがうなだれていると、男はその紙袋をシアンに差し出した。

 なにをしているのかわからず固まっていると、男は「銅貨、5枚でいい」と耳を疑うことを言ってきた。


「おじさん、今なんて言ったの」


 震える声を抑えながら男に聞けば、もう一度男は言った。


「銅貨5枚でいい、そう言ったんだよ」


 バッと顔を上げれば、男は優しく微笑んでいた。

 シアンはあまりの興奮にどうすればいいかわからず、口をパクパクさせていると、紙袋をシアンの手に握らせた。


「なぜだか君に渡さないといけない気がしたんだ。これは以前知り合いから譲り受けたものでね、だいぶ前に亡くなってしまったんだが、この人だと思った人に渡してほしい、そう頼まれていたんだよ」


 シアンは男の話を水の中から聞いた心地になっていた。


「この飾りは月を象ったものなんだ。素材には黒龍の牙が使われている」


 あまりにも驚愕な名前にシアンは聞き直してしまう。


「黒龍って、あの黒龍ですか」


「そうだ、君も聞いたことがあるだろう、あの昔話に出てくる黒龍さ」


 シアンは渡された紙袋を、穴を開けるほど見つめた。

 この首飾りがまさかそんな凄いものだったとは。


「まあ嘘だとは思うがね」


 シアンはガックリした。だが、うなだれたシアンに男はこう続けた。


「しかし、そう信じた方が素敵だろう?」


 男と目があうと、男はパチンと片目を瞑った。

 少し驚いたが、シアンはなんだか面白くなり小さく微笑んだ。

 確かにそうだな、とシアンは思った。そしてそう思わせた方が素敵だと教えてくれた男にシアンは感激した。今まで悪意を向けられることがあっても、こうやって戯けたことをシアンは言われたことがなかった。


「はい、私もそうだと思います」


 シアンが頷けば、男は満足そうに笑った。

 シアンは手持ちの銅貨を全部男に渡すと、毎度あり、と銅貨を受け取った。

 お礼を言い立ち去ろうとするシアンに、ちょっと待ってと、商品から透明な硝子玉をシアンの手に一つ握らせた。


「おまけだよ」


 そういう男に、明らかにおまけではないものを返そうとする。

 察するに、これも銀貨一枚はくだらないものだ。


「もらえません、すでにこんなにお安くしてもらったのに」


 返そうとするシアンの手を制し、男は首を振った。


「もう今日は客も来ないだろうし、私が君に持っていてほしいんだよ。なあに、ちょっとしたオモチャさ。地面に叩きつけるとピカッと光るどこにでもある普通のおもちゃだよ。でも使うときは必ず目を瞑るんだよ。じゃないと目がチカチカしてしまうからね」


 話を聞く限り、そんな高価なものではなさそうだ。

 男もシアンに渡したがっている。少し考えた末に、シアンはこの硝子玉をもらうことにした。


「そういうことなら。本当にありがとうございます」


 もらった硝子玉を外套の右の内袋に仕舞い、首飾りは反対の内袋にしっかりとしまった。


「いいんだよ。さて、私もそろそろ片つけるかな。まだ屋台を回っていないんだ」


 シアンはもう一度しっかりとお礼をいい、内袋の膨らみに胸を躍らせながら、大通りへと向かった。




 男はシアンを見送ると、店仕舞いをはじめた。

 シアンが完全に見えなくなったところで、隣にいた痩せた露店主が飛びかかるように男に詰め寄る。


「おいおいあんた、正気かい」


 男は次に言われる言葉が手に取るようにわかり、ため息をついた。


「私はいつだって正気だよ」


 隣の露店主はまるで気でも狂ったのかと男の方を揺さぶる。


「いいや、正気ではないね。正気な人間が『印像具』をあんな子どもに、それもタダで渡すわけがない!あれの価値はあんたが一番知っているはずだ。それにあの首飾り、銀貨3枚だなんて言っていたが、そんな値段の価値ではないだろう。思うに、印像具よりとんでもないものだ。今の嬢ちゃん、有名なあの“夜の子”だろう。あんた変な術でも掛けられて操られたんだよ!」


 男は掴まれた肩を払い、黙って店を仕舞う。


「さてね、私は直感に従ったまでさ。なんだか胸がざわついてね」


 シメる直前の鶏のごとく騒ぎ続ける露店主を無視して、男は店仕舞いを終える。

 その様子を見た男はさらに「これから掻き入れ時の本番なのに帰るだなんて、やっぱりあんた気が狂っちまったんだよ!」とまくし立てた。

 周りの露店主もざわざわとこちらを気にしはじめ、客も遠巻きにこの騒ぎを見ている。

 男は荷物をまとめると、視線から身を隠すように、その場を後にした。

 空が橙に染まりはじめ、人の流れとは逆の方向へ急ぎ足で男は進んでいく。

 しばらく歩き、人がまばらになってきたところで男は歩みを止めた。振り返ると、大広場へ多くの人が向かっていた。街灯が影をつくりはじめ、揺れる影はどんどん伸びていく。


「本当に、嫌なざわつきだ」


 男は眉をひそめ、なぜか焦る胸を抑え、村を後にした。

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