第3話 記憶の味

 今朝カルリアが言ったとおり、降臨祭はシアンにまったく関係ないものだと思っていた。

 最後に行ったのは母が生きていた頃だ。その頃はまだ友好的な人もいたらしく、村の行事によく連れ出してくれた。

 村へ続く道を歩きながら、おぼろげな記憶を引っ張り出して祭がどのようなものだったか思い出す。

 すごくにぎやかで、美味しいものがたくさん売っていた気がする。

 うーん、と記憶をさかのぼっていると、白くてふわふわな大きい饅頭が頭をよぎった。すると次々とその記憶の周りに断片的なものが浮かんできた。

 夜店でお母さんにねだって買ってもらったふわふわで大きな丸い饅頭。「あついからね」とお母さんが冷ますために半分に割ってしまったそれを、シアンは大泣きして怒った気がする。

 わんわん大泣きするシアンを笑いながら抱き上げて、冷ました饅頭を食べさせてくれたお母さん。味もお母さんの顔も思い出せないが、急に思い出したその記憶にツンと鼻の奥が痛くなった。

 鼻をすすっていると、前から荷車を引いた老人が歩いてきて、シアンは慌てて外套を深く被り直した。

 その老人は特にシアンを見ることもなく、そのまま通りすぎっていった。

 ふう、と止めていた息を吐き出す。

 村人にシアンが祭にいるとバレるのは、どうしても避けたい。シアンが祭にいるなんて知られたらカルラ達になにをされるかわかったものじゃない。

 それに、祭にいる人がシアンに気がついたら、なにかと理由をつけてものを売ってくれないだろう。祭に行くからには、なにか食べたかった。叶うなら、あの饅頭が食べたい。

 今日は何年もコツコツと貯めたお金を全部持ってきた。一度も使わないでいたのに銅貨8枚※ばかしだが、これだけあれば少しは楽しめるはずだ。そのためには自分がシアンだとバレてはいけない。

 幸い降臨祭は近隣の村との合同祭のため、近隣から多くの人がこのアソ村に集まり、行商人も多く訪れる。人混みに紛れさえすれば、シアンがいるなんて誰も気づかないはずだ。

 いつもの自分では考えられないような思い切りの良さに、変に胸が痛いが、だからといって帰ろうだなんて思わなかった。

 ゴトゴトと後ろから馬車の音が聞こえてきた。

 シアンは道の端に避け、そのまま歩き続ける。


「そこの人、あんたも降臨祭へいくんだろう、乗って行くかい」


 気のいい男が手綱を引き、馬車を止める。

 ちらっと見やれば荷台に5人乗っていた。全員この村の人だ。馬車に乗ってしまえばきっとシアンだとバレてしまう。

 シアンは首を振って断ると、男はそうかい、と特に気に留めずそのまま馬車を走らせた。

 馬車が徐々に小さくなるのを見送り、シアンも歩き始めた。

 祭の会場は村の南に位置する大広場で行われる。

 カルラの家からは歩いて一刻(約一時間)かかるし、大体の人間は馬車を使う。

 しかしシアンはそうはいかない。

 馬車に乗るには少なくとも銅貨一枚必要で、会場まで行くのには多分銅貨三枚ほど必要なはずだ。シアンだとバレてしまう可能性もあるし、銅貨三枚も使ってしまったら、祭りでなにもできなくなってしまう。

 疲れはするが、歩いていくのが一番の方法だ。

 何度か馬車にすれ違い、その度断りながらシアンは黙々と歩き続けた。

 いつも食材の買い出しに行く商店を通り過ぎ、少し家がまばらになり、そのまま歩き続ける。

 大広場に行くことすらこの数年なかったため、道があっているか不安になったが、この村の地形はわかりやすく、大通りをまっすぐ行けば大広場につく。その証拠に商人の荷馬車が何度もシアンを追い越しまっすぐ消えていった。

 不安は残りながらも歩き続け、徐々に通りも人が多くなってきた。

 シアンはワクワクする胸を押し殺し、外套をグイッと限界まで被り直す。遠くから笛の音と太鼓の音が聞こえてきた。

 早く早く!と子どもが駆けてシアンを追い越した後に、母親が焦った声で待ちなさい!とすぐに追いかけていった。

 いつの間にか通りは人で溢れかえり、ガヤガヤと賑わっていた。

 この人混みならシアンを気にしている人はいないはず、そう思いほんの少しだけ外套を持ち上げ、周りを見渡す。


「わあ……」


 あまりにも素晴らしい光景に、シアンは息を漏らした。

 道沿いに多くの露店が商品を並べ、自分の商品がいかに素晴らしいか歌うように商人は声を張っている。いろんな色がたくさん溢れた商品はキラキラと自分を主張し、多くの人を惹きつける。

 食べ物の屋台も多くあり、あちこちからなんとも言えないいい香りが漂ってきて、いつもより朝餉をたくさん食べれたシアンの腹は、さっそくもの悲しげに鳴いた。

 思わず食べ物の屋台に吸い込まれそうになるが、シアンはなんとか思いとどまった。

 まず相場を見てから決めないと、数少ないシアンのお金はすぐになくなってしまう。

 なん年ぶりかも分からない外出に気が緩みそうになるも、なんとか気持ちを自制する。

 ちらりと一番近い串焼きの屋台を覗くと、一串三銅貨だった。その隣の水飴屋を見ると二銅貨だ。

 これは慎重に考えなければいけない。

 シアンはひとまずその場を後にし、広場の中央へ進んでいく。広場を進むにつれ、露店も屋台も多くなっていく。

 シアンには分からないものもたくさんあり、商品や食べ物を眺めるだけでも大変楽しい。

 やはり白の一族であるアーヴンを称える祭りなだけに、白いものが多い。

 キラキラと輝く美しい髪留め屋や、海の向こうから渡ってきたという変な形の皿や壺、たくさんの彩り豊かな花に、人形などの玩具。なにも買わずに眺めていると店主に嫌な顔をされるため、ずっとは見ていられないがあちこちの店を吸い寄せられるように回った。

 どれだけ回ったか数えるのをやめた頃、ふと懐かしい匂いが鼻をかすめた。

 思い出したかのようにキュウとお腹も鳴り、吸い寄せられるようにニオイの元をたどる。

 人をかき分けて進むと、懐かしいものが目に飛び込んできた。


「あっ」


 思わず声をあげ、屋台に駆け寄る。

 大きな蒸籠が何段にも重なり、ふたを開けるたびに柔らかい匂いが湯気とともにぶわっとあたりに広まった。

 列から離れた人が持つそれは、間違いなく、お母さんがシアンに買い与えてくれた饅頭だった。

 慌てて列の最後尾に並び、自分の番を待ちわびる。

 何時間も待った心地で自分の番になり食い気味に「一つください」と店の女に伝えると、シアンと女の視線が交わった。

 女が一瞬固まったのを見てシアンは一気に顔から血の気が引いた。

 視線が交わったということは、女はシアンの目の色を見たということになる。

 シアンがどうしよう、と思った瞬間には女はなにもなかったかのようにニッコリと笑い「はいよ、ファンは銅貨三枚ね」と手を出した。

 思っていた反応と違かったため困惑しながらも、じっとりと手汗で濡れた銅貨を手渡し、饅頭を受け取る。


「ありがとう」


 恐る恐る礼を言うと、女は手を軽く振って次の客に注文を聞いた。

 ふわふわとした足取りで広場から離れ、人がまばらになった木陰に身を寄せた。

 木に寄りかかり、紙に包まれた熱々のそれを見つめる。

 真っ白で、つやつやで、シアンの両手より大きな饅頭。

 女はこれをファンと呼んでいた。

 初耳な気がするほど覚えのない懐かしい響きに、シアンは胸が苦しくなった。

 ファンを半分に割ると、真っ白な湯気がブワっと噴きだし、シアンは目を瞬かせた。

 中身は真っ赤なケチャの実※の砂糖煮で、甘酸っぱい香りが鼻腔に飛び込んできた。

(あ、この匂いだ)

 シアンの忘れかけていた記憶が弾け飛んだ。

 そうだ、自分はケチャの実が大好きで、よくねだっていた。

 お祭りに行けば必ずと言っていいほどこのファンを買ってもらっていた。

 お母さんは味噌で味付けされた肉の入ったものを食べたがっていたが、シアンがケチャの実のファンを食べたがったために、毎回食べ損ねていたのだ。

 二個買えばよかったものの、シアンの小さな胃では到底食べきれるわけもなく、結局いつも半分以上お母さんが食べていた。

 そして決まって半分に割ったものをシアン渡すのだ。


「はい、シアン。ちゃんとふーふーして食べるのよ」


 でも冷ますのが下手だったシアンの言うだけの「ふーふー」をお母さんは楽しそうに笑い、結局毎回お母さんが息を吹いて冷ましたものをシアンにくれた。


「シアン、美味しい?」


 お母さんの細い目がシアンを慈しんで見つめる。

 ああそうだ、お母さんの目は黒に近い綺麗な灰色だった。

 シアンはいつの間にか溢れて止まらない涙を無視して、柔らかいファムにかぶりついた。

 湿った鼻をすするもキリがなく、嗚咽も止まらない。

 饅頭に涙がぼたぼたと零れたが無視してかぶりついた。


「美味しい、美味しいよ……」


 しょっぱくなったケチャの実に視界を歪め、声にならないうなり声をあげながら、シアンはファンを食べ続けた。

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