第27話

 部活動を通じて観察実験を行っている理由は、心理学の本を出版させる為である。これは全部員たちの共通の夢であり、活動目的の全てであった。この活動は乙姫先生(彼女は初代部長)がまだこの学園の学生だった頃から、続いている。


 こうした観察実験ばかりだった日々は、乙姫先生のひと言で大きな転換を迎えた。


 この日、部活動に集まった面子は、ペル、一寸法子、般若、不二子、雪ん子、桃子。ガラガラと部室のドアが開くと、乙姫先生が亀に乗って、のっそのっそと入ってきた。


 そして……。


「祝! 出版でーす!」


 ? ? ?

 一寸法子がお椀の中で、針を抱きながら訊いた。


「え? 何を言ってるんさー。乙姫先生っ」


「祝! 出版なのでーす」


 般若も聞き返した。


「それはさっき聞きました。聞いたばかりですよ、先生っ」


「ですのでーーー。祝! 出版なんですって! 喜んでくださーい」


 桃子が両手をあげて、ジャンプした。


「うわああーーい。うわああーーい。うっほほーい。……っで、何が出版されるんですか?」


 桃子の隣で、不二子も訊いた。


「乙姫先生が何をおっしゃりたいのか、さっぱり分かりませんわ? わたくし、先生の意図がさっぱり分かりません」


 雪ん子も続いた。


「そうだよー、そうだよー。先生、NIIFだよー」


 ………………。


 ペルは雪ん子に訊いた。


「雪ちゃん、NIIFって何だい?」


「なにをいってるのかいみふめい(NanioItteirunokaImiFumei)」


「天ちゃんがいたら、きっとこういうね。『分かり難いゾヨー』」


「あははは。ペルくん、似てるさー。モノマネ大賞をあげるさー」


「いや、いらないから」


 乙姫先生は、ごほん、と咳をしてから言った。


「みなさーん、祝! 出版。つまり、私たちがこれまで積み上げてきた、観察実験の結果を、本にして出版する事が決まったのですよー。つまりは、悲願達成なのですっ」


 ………………。


 おおおおっ!

 部室にいる、みんなの表情が一変した。


「そ………………そそそそそ、それはっ! 本当ですかっ!」


「そうです。本当なのですっ! 夢にまで見た出版ですよね。夢は夢のままが一番いいという人もいますが、やはり、実現してこそのドリームなのです」


「あれれ? 今日ってエイプリルフールだっけ? 夢じゃないよね? ほっぺたつめっちゃおうっと。ペル君のっ!」


「あいたたたた。桃ちゃん、夢かどうかを確かめたかったら、自分の頬をつめりなさーーーい。そして、全力を出してつめらないっ!」


 桃子、なんてことをする子だ。しかし、怒りの感情は湧いてこなかった。部室内のみんながテンション高く、ガッツポーズをとるなりして、各自が喜びを表現していた。


 不死子がそんなみんなを嗜めた。


「みなさん。あまりの喜びで混乱なさるのは悪い事ではありませんが、平常心ですわ。平常心が大事ですわ」


「そういう、ふーちゃんだって、ヒザをカクカクさせてるじゃないかー」


 不死子は膝をカクカクさせている。


 乙姫先生は、パンパン、と手を叩いた。


「さあ、みなさん。これから忙しくなりますよ。一旦ですが、本日の観察実験を最後としましょう。そして明日からは、本格的に編集作業に入るのです。何年分も観察データが溜まっていますので時間がかかると思います。みなさん、きっと骨が折れますよ」


「うわああ。そんなにデータが溜まってるのですか?」


「はい。ほら、隣の準備室を見て下さい、こーんなに、です」


 隣の部屋を窓越しに見にいった。段ボールが山積みになっている。中には、実験結果の書かれたノートなどが詰まっている。


 これを編集するのは、確かに時間がかかりそうだ。


「乙姫先生、だとしたら今日の観察実験が、もしかしたら、卒業するまでの最後の実験になるかもしれないって事ですね」


「かもですよー。本日の観察実験が、皆さんが卒業するまでの最後の実験になるかもしれません。……とはさすがに言い過ぎかもしれませんが、少なくとも数ヶ月は編集作業に時間を取られることでしょうからね。まあ、卒業した後でも、先生のように教職につけば、また、観察実験ができます」


「そ、それは、考慮する時間を要しますね。しかし、どうして突然、出版が決まったのですか?」


「理由を知りたいのですか? 実はですね、突然ではないのです。私、学生の頃から、毎月のように出版社に企画書をレターパックに入れて、送っていたのですよ。そして、ようやく、会議で企画が通ったのです。感動です。祝! 出版っ!」


「継続は力なり、ですね」


「そうです」


 まさか水面下で、出版に関しての、このような地道な努力が続いていたとは気付かなかった。そして今回、それがようやく実ったわけだ。


 耳を澄ますと、グス、グスっと鼻をすする音がした。みんな泣いているようだ。自然と涙が、頬を流れた。ついに、本を出版する夢が叶うのだから。


 乙姫先生が訊いてきた。


「それで、本日の観察実験の内容は、なんでしょうか? 誰が担当するのですか? 先生も仕掛けメンバーになりたいでーす」


 ペルは挙手をした。


「今日は、僕ですっ。僕が発案担当です」


「おお。ペル君ですか! 一体どんな実験の内容なのでしょう」


「一旦の締めを飾るのに相応しい内容かは分かりませんが、『もしも妻が某国のスパイだったら、夫は妻を告発するか、それとも隠すか?』という実験をしたいと思っています」


「それは面白そうですね。しかし、準備に時間がかかりそうですが、そこのところはどうですか?」


 乙姫先生のこの質問については、不死子が答えた。


「一応、わたくしたちは、すでに下準備は終えますので、後はこれから行う本番だけです。今回は般若さんの通っておられるバレエ教室の生徒さんたちに協力してもらいましたわ」


「ほうほう。では、もう、すぐにも実験を開始できる、という事ですか?」


 ペルは頷いた。


「そうですよ乙姫先生。これから僕たち、現地に向かう予定でした。それじゃあ乙姫先生も行きましょうか!」


「もちろんですっ」


 こうして最後の観察実験を行いに、般若の知人のアパートに向かった。


 今回は、導入となるアクションが必要不可欠だ。それには般若、ペル、不死子で行う事になっていた。般若は変装の能力で、女捜査官の姿に化けた。


 導入部では、般若がメインで演技を行う事になっている。


 ペルと不二子もサングラスをかけて、般若の後ろで待機する。般若は今回のターゲットが住んでいるアパートのチャイムを鳴らした。


 観察実験、開始っ!

 しばらくして、インターフォンから、声が聴こえた。


『はい』


 インターフォンから声が聞こえた。般若が対応する。


「国家安全テロ対策保安科の般と申します」


 ………………。


 しばらくして、ガチャリと扉が開いた。50代前半ほどの男が顔を出した。


「国家安全テロ対策保安科?」


「はい。そうです」


 般若は、警察手帳のようなものを、チラリと見せた。手帳は適当に作ったものだ。


「秘密裏での話です。なので中でお話をさせて頂いても宜しいですか?」


「はぁ……構いませんが……」


 男はドアのチェーンを外して、ペルたちを招いた。アパートの中に入る。般若は演技を続けた。


「お茶などは結構です。現在、あなたの奥さまが、こちらに向かっているという情報がありますので、単刀直入に申しあげます。あなたの奥さまには『スパイ疑惑』がかけられています。そして、我らが国の『安全保安大臣』の『殺害』を企ている可能性が高いのです」


「は。はあ……」


 男は胡散臭そうな目をむけてきた。


「その真偽をあなたに、調べてもらいたいのです。そのため……これをどうぞ」


「これは……?」


 般若は男に、数字の書かれた紙切れを渡した。


「入手の経路についてはお教え出来かねますが、これは暗号です。『1192』奥さまのスマートフォンのロックを解除する、パスワードです」


「はあ……」


「鎌倉幕府の年号でもありますね。覚えられましたか?」


「はい……覚えましたが……」


 般若は紙切れを返してもらい、ポケットにしまう。


「シンプルに申し上げます。是非とも、あなたに奥さまのスマートフォンの『メール』を『内密調査』してもらいたいのです。そして、奥様がスパイか否かの是非を教えて頂きたい。仮に、スパイであった場合は、こちらで処分をします。あなたが手を汚す事はありません」


「は、はあ? あのーさっきから、一体、なに言ってるのですか。こんな、馬鹿馬鹿しい話……信じられませんよ」


 ………………。


 男は半信半疑の様子だ。しかし、般若は胸を張って言った。


「ですので、奥さまのメールを調べて頂きたいのです。真実はそこにあります。なお、くれぐれも、国家機密に相当しますので、警察には連絡しないで下さい。あなたにして頂きたい内容は、簡単な事です。『パスワードを使ってスマートフォン内のメールを見て、内容を確認後、奥さまが大臣暗殺に関わっているスパイの一人かどうかを、我々に教えるだけ』でいいのです。奥さまが関わっているスパイ組織は、メールで計画のやり取りを行うという特徴があります。もちろん、奥さまにも内密でお願いします」


 その後、ペルたちは胡散臭がる男に一礼してアパートを出た。

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