第2話

 母は、とある研究所の室長を務めている。主に妖怪の生態を解き明かすという国立の研究所である。とても有能な研究者で、ペルが逆立ちしても歩めないような学歴を持っている。


 ある日、そんな母の作ったスパゲッティーを食べていたところ、母は爆弾発言をした。


「ペル君。あのね、ちょっと相談があるの。ペル君は、一人で寂しい時ってない?」


「別にー。寂しかったら、ゲームして過ごしてるし、最近はSNSとかラインとか、ネットで誰かと交流する事も簡単にできる時代だしね、特に寂しくないかなあ」


「嘘おっしゃい。ペル君の心の中では、寂しい。寂しいって思っているはずよ。最近は、お母さんの仕事が忙しいから、夜遅くに帰宅しがちでしょ?」


「僕はいつまでも、お母さんのおっぱいをしゃぶりたがる赤ん坊じゃないんだからね。別に帰宅が遅かったとしても、頑張ってるんだなー、くらいは思っても、寂しいとかは思わないかなー」


「だーめ。寂しいと思っているんでしょ! ペル君! 認めなさい! 認めちゃいなさい! お母さんには分かってるの。ペル君の心はホントは寂しいと思っているんだから」


「……分かったよ。じゃあ、寂しいです」


 話が長くなりそうなら、とっとと認める事にしている。隣で、スパゲッティをガンガンと腹の中に入れていく。


「よかったわ。だったら、心置きなく言えるもの。ペル君。あなたに妹が出来るのよ。というか、もう出来ちゃった。やったねっ!」


「え。ええええええー。うそっ! 妊娠って事? お母さんって今、35歳だから、高齢出産じゃん! お腹の中の子のお父さんは、誰なのさ? もしかして、あの助手の……」


「いいえ。違うわ。実はもう、廊下に待たせてるのよ」


「待たせてるって、誰を? 結婚をする人を廊下に? ちょ、ちょっと、『お母さんを僕に下さい』だなんて挨拶をされても困るー。『今日から僕をパパと呼んでいいよ』って言われるのもまた困る! 全然、心の準備も何も出来てないのに」


 母はペルの訴えなど無視し、廊下に向かって「話はついたから、入ってらっしゃい」と言った。


 ドアがギギギギと開いて、髪の毛が顔を覆っている、不気味な感じの女の子が入ってきた。


「さ、貞子さん?」


「違うわよー。妹っていうのは、この子のこと。この子、私の養子にしたから」


「は、はああああ? ちょっと、なんで勝手に! 僕になんの相談もせずに、そういう大事な事を決めるだなんて、信じられない!」


「え? たった今、相談して、寂しいって言ったじゃない。言質はとったわよ?」


「確かに寂しいとは言ったけれど、だからって、妹が増えるだなんて、全く考えてなーい」


 ペルは母に向かってそう抗議した。すると妹なる少女は、肩を揺すり始めた。ポタポタと床に水滴が落ちているので、恐らくは泣いているのだろう。部屋の空気がとても重くなったような気がした。


「ご、ごめん。君が悪いわけじゃなくって……」


「ねえねえ、ペル君。これを見て」


 母がペルに、紙を見せてきた。その紙は……。


「え? なにこれ。って、これ、戸籍調本じゃん! もう、妹になってるしー戸籍上で! 僕の知らない間に、妹になってるやん! どっしぇー」


「うふふ。ごめんなちゃい。でも、妹の一人や二人増えても動じない、それが九州男児よ」


「いや、僕、九州に行った事すらないんだけど」


「だったら、九州男児じゃなくて、日本男児!」


「そういうのなら『ペル』って、日本人らしくない名前を付けないでよ。ドッ『ペル』ゲンガーの『ペル』から安直につけたんだろうけどさー」


「だったら、日本男児じゃなくて、人間!」


「僕が人間じゃなくて、ドッペルゲンガーだと、たった今、言ったばかりだよね。お母さんがそれ、一番知ってるんだよね!」


「もうもう。あーいえば、こういう。こういえば醤油ー! お母さん悲しいわ。こんなキカン子に育てたわけじゃなかったのに」


「何だよー僕の人格否定かよー。くだらないギャグを交えて人格否定すんなよー。というか、僕は別に不良とかそんな子供になったつもりはないんだけど」


「でもね、お母さんは知ってるわ。ペル君がとってもとってもいい子だってことを。うふ。だから、妹の事は頼むわ。この子、この歳になるまで、ずっと山の中で育ってきたから。ただし、山奥でも不法投棄で捨てられてたテレビやら太陽光発電機やらを使って、テレビ番組は見てたようで、日本語は話せるからね。じゃ、お母さん、仕事だから。あとは、よろぴくしなちくー」


 そう言って、母は玄関のドアをばたんと閉め、逃げるように出ていった。


 部屋にはペルと前髪で顔を隠している少女が残された。妙に居心地が悪い。


「な、なあ。あんたは、良かったのかよ。突然、養子になんてされて?」


 ペルがそう聞くと、少女は再び肩を揺すって泣き始めた。涙がポタポタと床に落ちる。


「うおっ。な、なんで泣いているの?」


「わ、わだず。こ、こんなに優しくされたの、生まれてはじめてでじだ。だがら、胸がいっぺーで」


「分かった分かった。つまりは、嬉しいって思っているわけね?」


 こくりと頷く。


「にしても、テレビで日本語を覚えたという割には、何だか、田舎臭い日本語だけど……」


「じづは、ちょくちょく、村のお人らが、わだすの所をたずねてきますて、囲碁ちゅうもんや将棋ちゅうもんを打たせてもらってました」


「ふーん。なるほどね。きっとお爺ちゃんとかお婆ちゃんとか、そういう人が多かったんだろうね。その喋り方から察するに」


「そーですぅ。なんと、頭の聡明なお方で。もしよろしければ、一局、勝負させてくだせー」


「いや、僕は将棋とか囲碁とかは出来ないから。つーか、スーパーファミコン時代のゲームソフトでまったく勝てなくってさ、それっきり手をつけようとも思っていないんだよ」


「そーですか……」


「うん……」


 会話が止まった。気まずい時間が流れた。とりあえずペルは、頭に浮かんだ質問を投げかけた。


「ね、ねえ。君ってさ。妖怪なんだって?」


「そうですー。妖怪ですー」


「でさー。君ってどんな事ができるの?」


「………………」


 少女は黙り込んだ。


「おーい。君って妖怪なんだよね? だったら、何かしらの特殊な能力を持っているんだよね」


「わだず、色々な事ができるだす。コーラさ、あるだか? コップなみなみのコーラは」


「あるよ! コップにコーラを入れればいいわけね」


 ペルはコップにコーラを注いで、彼女の正面のテーブルに置いた。すると、彼女はそのコップを手に取って……。


「ゴキュゴキュゴキュ。ぷはー」


「お、おい。ただ、美味しがってるだけじゃないか! 単に飲みたかっただけかい。それなら、最初からそう言ってくれ」


「……うぅぅぅぅ」


 少女は、肩を振るわせて、涙をポタポタと落とし出した。それを見て、ペルは焦る。


「別に責めたりはしてないからね。このコーラ、僕が働いて買ったわけじゃなくて、母さんが働いた金で買っているわけであって、僕の所有物であるとかそういうわけじゃ……」


「な、なるほど。お兄さんの特殊能力は、人に寄生する、という能力なんっすなあ。すげーです。さすがはお兄さんですなー。さすおにー。さすおにー」


「おい、お前。僕を馬鹿にしてないか? 学生はなみんな、親に寄生しているだよっ! 学生時代が終わっても、ニートとして親に寄生してる人も、世の中には、たっくさんいるんだからな」


「わだずには、そんな、人に寄生するだなんで、おそろすーことはできねえですー。さすがお兄さん! さすおにー。さすおにー」


「お前、お前だって戸籍上は僕の妹になったんだから、同じく僕の母さんに寄生するって事になるんだぞ! それが嫌なら、家に……いや、山に帰れよ」


「……うぅぅぅぅぅ」


 少女は再び、肩を震わせて泣き出した。少しきつく言い過ぎたようだ。


「面倒な奴だなぁ、君って子は。まあ、とりあえず、さっきの発言は取り消すよ。家にいてもいいからね。ただし、母さんが帰ってきたら、ちゃんと話し合って納得させてもらう。つまり僕は納得させてもらいたいわけなんだ。君だってさ、ある日突然、家族が出来るって言われたらどう思うんだい? すぐに受け入れる事ができるのかい? 今、まさにそんな心境なわけなのさ」


 ペルは妹を椅子に座らせた。本日は日曜日だ。これといった予定もない。戸籍上にて妹となったこの少女の身の上話などを、ゆっくりと聞きたいと思った。


「っで、君は一体何者なのさ? 妖怪名は、なんなの?」


「わだずの妖怪名ですか? わだすの妖怪名はですね、妖怪名『将棋打ちさん』と言いますだ」


「なにそれ? 将棋を打つ専門の妖怪さん? 僕は聞いた事がないな。ぬらひょん姉さんが所属していた百鬼夜行というグループがいて、そこにめちゃくちゃたくさんの種類の妖怪がいるみたいだけど、その中の妖怪なのかな?」


「わだず、時々、妖怪名『囲碁打ちさん』とも呼ばれてますた」


 ………………。


「それ、妖怪名と違うから! なるほど、時々やってきたオジイチャン、オバアチャンに、そんな風に呼ばれていたのね。それは、単なる『あだ名』だからねっ」


「うぅぅぅぅぅ………………」


「泣かない泣かない! いい加減、慣れてくれ。僕が責めているわけでない事を分かってくれーい」


「……はぃ」


 彼女は、目をごしごしと擦った。


「まあ、妖怪名はどうだっていいさ。僕の妖怪名は『ドッペルゲンガー』なんだけれど、それを知ってもらったとして、何がどうこうなるわけでもなし。ただ、どう呼べばいいのか分からないから、名前だけは教えてね?」


「名はなかったのですが、戸籍に登録する必要があると、さっきつけて貰った名前があります」


「ああ、そうなの。えーと……『白面』?」


 ペルは戸籍調本の氏名欄を見て言った。


「そうだす。それがわだずの、名前です。『白面』『金毛』『九尾』『狐』『玉藻』『妲己』の中から好きな方を選んでくれと言われますて、最初に言われた『白面』を選んだ次第です」


「そうなんだ。どっかで聞いたような名前もあったような気もするなあ。でもまあ、僕が覚えていないということは、マイナーな妖怪なんだろうね」


「わだずは、お兄さんに比べて、とるに足らない妖怪ですぅ。将棋と囲碁をする以外の能力は殆んどないに等しいのですよ。これまでずっと人に寄生して、平気な顔をして、ヌクヌク生きていたお兄さんの方がすごい。さすおにですーさすおにーさすおにー」


「だからそれはもうやめろって! 妹に本当になるんだったら、白面ちゃんも、人に寄生するんだからね! あとさ、さっきから白面ちゃん俯きながら話してるでしょう? 前髪が顔を覆っていて、どんな顔してるのか分からないから、とりあえず、顔を見せてくれない?」


「そ、それだけは、ご勘弁を。わたず、超美少女なので、お兄さんなのに、惚れられてしまうだー」


「そんなに自信があるのかーい! 大丈夫。僕は別に面食いというわけでもないし、妹になった相手に手を出すような変態でもない。というか、初対面の相手に惚れられたり、って普通は心配しないからねっ」


「でも……でも。わだずの顔を見たら、後悔するかもしれないっぺ。いや、絶対にする! これまでの経験でわかっでるんだー」


「後悔なんてしないさ! むしろ、顔も見た事のない妹が出来て、そんな妹とずっと暮らしていくという方が後悔する」


「そして、わだずの顔を写メで撮って、学校の先輩さに、見せて、わだずのパンティーをとって来いと命令されるんだ。月日が経つごとに、わだずのパンティーが無くなっていくんだーな。う、う……うぅぅうぅぅぅぅ」


「だから泣くなつーの。君は変わった子だね。とても変わっている! 僕の所属している部にも、変わり者ばかりがいるけど、それに負けず劣らず白面ちゃんも変わったちゃんだ。もー、強引に見るからっ。顔、見せてくれよ!」


 ペルは彼女の顔を見ようと、強引に、彼女の前髪を持ち上げた。


 すると……。


「う、うわあああああああああああああ」


 驚いて後ろにひっくり返った。


「な、なんだそれは……」


「わだずの顔、見てしまったなー。お兄さん、とんでもない事をしでかしたなー」


「白面って。のっぺらぼうって意味だったの?」


 妹の顔は、ただ、真っ白なだけの平らだったのだ。


「のっぺらぼうじゃないだすよー。うふふふ。正体はこれだす」


 妹は前髪を再びおろすと、顔から何かを取り外し、それをテーブルの上に置いた。お面だ。


 ペルが見たのは、白色のお面だったようだ。


「うふふふ。お兄さん、びっくりしただっすか? ただのお面だすよ」


「び、ビックリなんて、してねーよ」


「でも、涙が出ているような……」


「こっちから、そっちの顔は見えなくても、そっちからは僕の顔が見えるなんて、卑怯だぞ。うわあああんうわあああん」


 ペルも涙脆いのであった。


 なんにせよこの日の夜、母が帰宅した後に家族で話し合いをした。そして白面は正式に妹として迎え入れた。なお、顔を前髪やお面で隠している理由については『テンプテーション』という自動的に働く恐ろしい能力を保持しているためだという。彼女の顔を見た者は、彼女に心を奪われたヘビーストーカーとなるのだ。まさに、恋の狂人に変えられてしまう事を意味する。


 母によると、赤ん坊の頃に発見された妹は、ブラックな研究施設で育てられていたが、幼くしてこの能力を発動するようになると、施設の研究員たちから結婚を熱烈アタックで迫られたという。そして、いつしか研究施設内で、彼女を巡っての奪い合いが勃発した。幼い妹はそれに恐怖を覚え、山の中に逃げた。顔を隠していたのには、ちゃんとした理由があったのだ。なお、その研究施設は違法実験ばかりを繰り返してきたという事が表に出て、幹部らが逮捕され、現在はもうない。


 ところでだが、仮面をかぶりながらコーラを飲むという技術。よくよく考えれば、すごい能力だ。


 どうやら、只者ではない妹が出来てしまったようだ。

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