第3話

 この世にはとても珍しい学園がある。生徒が妖怪ばかりという学園だ。近年になって、日本中で妖怪の赤ん坊が大量に出没した。そして今、彼らは人間社会に溶け込んで暮らしている。


 ただし、一応の管理が必要という事で、政府が主導して、妖怪たちは一か所の地域に集められた。そりゃそうだろう。人というのは、自身と大きく異なる存在をそれだけで嫌悪する動物なのだ。妖怪たちが好き勝手な場所に住んでいたら、『妖怪達を追放せよ』というヘイトデモだって、ごくごく普通に起きる事だろう。


 そんな事態になる事も怖れ、設けられた特区に集められているわけだ。


 なお、妖怪たちの誕生する過程についてはまだ不明な点が多い。というか、殆んどが謎。


 例えば、日本海にて漁船がアンコウ漁を行っていたところ、亀の甲羅に乗って玉手箱を抱えた幼女が網にかかっていた、という事例だったり、とあるお屋敷で家主がテレビを見ていた時、ふと視線をずらすと存在感が極めて薄い赤ん坊が寝転んでいたり、繊維工場の機械になぜか絡まっていた鶴を助けたところ、ドロンと人間の赤ん坊の姿に変身したりと、妖怪たちの誕生は、多種多様な形で行われるのだ。


 ペルについていえば、妖怪のくせに見た目も中身もまるで人間そっくりである。ただし、誕生については不明とされている。とある場所でペルとそっくりな男の子が生まれた、という以外は。ペルの妖怪名はドッペルゲンガー。ある日、出入りの絶対にできない密室、都市銀行の巨大金庫内にペルは突如として姿を現わした。監視カメラの映像で何度確認しても、本当に突然だったのだ

 ペルの本体ともいえる人間と出会えば、その人を『背乗り』する等の新しい能力が発現されるかもしれないが、ドッペルゲンガーであるペルにも現在の生活がある。現在の生活をわざわざ変えたいとは望んでいない。


 この日、ペルはいつものように所属している部の部室に顔を出した。部室内には、すでに桃子がいる。桃子は悩んでいる様子だ。ペルは彼女に声をかけた。


「どうしたの?」


「うん。私はね。鬼を倒したいのよ。本能的に、猛烈に鬼を倒したいの」


「あっ、そうなの。そういやあ。こないだ、頭に角が生えた赤ん坊が見つかったらしいね。どこだっけなー。ニュースでやってたよ。おばあちゃんがタケノコを掘ろうとして、角をひっぱったら、タケノコじゃなくて鬼の角だった。そういう生まれ方だってね」


「そうなのよー。私ね、それを聞いてさ、いてもたってもいられなくなってさ。ねえねえ。退治したいよぉ。退治がしたいんだよぉぉぉ」


「いや、無理だから諦めて。鬼、まだ赤ん坊だし……」


「ペル君、そんな冷たい事を言わないでおくれよぉぉ。キビ団子あげるから、鬼退治に付き合っておくれよー」


 桃子は、ポケットから『キビ団子』を取り出し、ペルに渡そうとしてきた。


 ………………。


「桃ちゃん。キビ団子で僕に、家宅侵入並びに幼児虐待の罪で、留置所に行くのに付き合えっていうのかい! それは嫌だからね! 絶対に嫌だからね!」


「お願いだよー。ぱくぱく」


「さらに、食べかけのキビ団子で僕を釣ろうっていう点が、舐め過ぎているっ! 鬼は君の心の中にいるよ!」


「がーん。鬼は、私の心の中に……いるっ」


「何も罪を犯していない幼児を虐待したいと思うその心こそ、鬼の心だ。いや、鬼よりも酷いね。クズの心だっ!」


「う……うぅぅぅ。私の心は、鬼以下のクズだったのね……生きている価値もないのね」


「いや、そこまでは言ってないけど」


「なら、お願いがあるの」


「うん、いいけどさ……」


 今、ペルは鬼のお面を被っている。節分の時期がやってきたら、豆とセットで売られている、あの紙で作られた鬼のお面である。


「鬼はー外! 福はー内っ!」


 桃子はペルに豆を投げつけてきた。これは……普通に、痛いぞ。


「いたたた。もっと加減してくれよ」


「鬼はー外! 福はー内っ!」


「痛いつーの! 桃ちゃん、力加減をしてっ!」


 ペルは桃子のリクエストに応じ、鬼の面を被り、豆を投げつけられていたのだ。


「鬼のくせに、口答えするなぁぁぁ。鬼はー外。福はー内。鬼は……」


 ガラガラ。


 ドアが開いて、他の部員が入ってきた。般若だ。般若は、いつも厳つい形相のお面を被っている。とある民家の倉庫にあった般若の面が、ガサガサと動いていたので調べたところ、女の赤ん坊がお面に顔を当てた状態で横になっていたのが、彼女の誕生のなれそめだ。生まれた時から、お面と共にある。


 なお、お面と顔がくっついているわけではなく、実際の顔はかなりの美形らしい。しかし、彼女は素顔を見られることを、裸を見られることのように恥ずかしいと思っている節があり、お面を滅多に外さない。鬼の赤ん坊が見つかるまでは、現存する唯一の鬼でもあった。


「あらら、ペル君と桃子。何をしているのですか? 今日は節分ではありませんよ」


「ちょっと、桃ちゃんのフラストレーションの発散に付き合ってあげてたんだよ。なあ、桃ちゃん。君の望んでいた本物の鬼がきたよ」


 と、本物の鬼の妖怪である般若を指して言った。しかし、桃子は、さっ、とペルの後ろに隠れる。


「やだよー。こいつキレたら怖いんだもん」


「でも、鬼退治がしたいんじゃなかったのかい?」


「そりゃ、したいさ」


「………………」


 般若は無表情に、というか、お面なので表情は分からないが、じっと、桃子を見つめていた。


 桃子は、おそるおそるといった様子で袋の中の豆を握って、般若に向かって投げた。


「えいっ!」


「………………」


「えいえいっ!」


「………………」


「えいえいえいえいえいっ!」


「………………」


 般若は無言ながらも、豆をぶつけられて怒り心頭中である事が見て取れた。そっと、ペルが桃子から離れたその直後、般若はずんずんと桃子との距離を縮めてきた。


 桃子は焦り、後ずさる。


「きゃー。怒っちゃった? 怒っちゃった? おこおこ? ごみーん、般若ちゃん」


 桃子が壁まで後退したところ、般若は桃子の顔のすぐ横の壁に、手のひらをぶつけた。壁ドンだ! コンクリートの壁にヒビが走った。そしてお面を桃子の顔に近づけ、どすのきいた声で言った。


「なにすんじゃい、ごらああああああ」


「す、すみましぇーーーん」


 ジョロロロロと、桃子ちゃんの股の辺りから、水分が流れ落ちた。


 ………………。


 再び部室のドアが開くと今度は、のそのそと大きな海亀に乗った女性が入室。乙姫先生である。乙姫先生は4年前に試験に合格し、教職員の免許を習得。現在はこの学園の教師を勤めている。そして、この部の顧問でもある。乙姫先生は地味な服装ながらも、ナイスバディーの持ち主で、生徒たちからの人気も高い。


「おほほほほほ。騒がしいですが、何かありましたか? あらあら。お豆がたくさん落ちていますわね。これは一体なんでしょう……」


 乙姫先生がそう言いながら、床に落ちている豆に手を伸ばした時、ある事に気づいた。玉手箱から煙が出ている!


「先生っ! 玉手箱が! 玉手箱の蓋が、ずれてます!」


「あららら、これはいけませんわ。大変にいけません」


 玉手箱の隙間から黙々と煙があがり続けた。その煙を受けて、大人の色気ムンムンな乙姫先生は幼女に、大きな海亀は小さなミドリガメへと、それぞれ姿を変えた。


 ………………。


 幼女化した乙姫先生は、にこにこ顔で、豆を拾いをしている。


「わーい。お豆さんだ、たーべよっと。ぱくぱく。おいちー」


「あの、先生、落ちている豆は、ばい菌がついていますので……」


「うるちゃーーーい、ペルくん! さては、ペルくんも、落ちている豆を狙っているんだね。でも、あげないよーだ。べー。これは全部、ちぇんちぇーのなんだからねー」


 幼女化した乙姫先生とミドリガメは、一生懸命に床に落ちている豆を食べていた。乙姫先生は訳ありで、携帯している玉手箱を定期的に開放しなくてはいけないらしい。現在のような幼女化は大抵、家で行っているそうだが、こうして学校でも時折イレギュラーで玉手箱を開けてしまい幼女になる事があった。まあ、それ以外では乙姫先生もペルと同じく普通の人間とほぼ同じだ。亀に乗って、のそのそ、と移動する以外は……。

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