005:迷
最低限の家事や風呂などを済ませ部屋に戻った。カーベラは・・・どうやら押入れの中で寝ているらしい。
当然明日からも学校に行かなければならない身の俺は課題を終わらせなければならないという今日最後の試練があった。量自体は少ないのだがどうしてもやる気が起きない。いつの間にか自分の手元には漫画が開かれていた。これだけ読んだらさっさと終わらせよう・・・
ん?おかしい。気づいたら3冊ほど漫画が手元にある。そして時間は1時間ほど進んでいた。
「――――っ」
押入れから鼻をすするような音が聞こえた。あまり使っていなかった分、拭いたとはいえ、埃が押入れの中で広がっていたのかもしれない。
「おーい、大丈夫か?」
返事はない。しょうがないので少しばかり開けて中を見ることにした。何だかいけないことをしている気持ちになってしまう。
「おーい。大丈・・・」
「―ぁさん。」
押入れを開かなければ決して聞こえない程度の音量で彼女は何かを呟いた。おそらく彼女はこう呟いた。彼女が首にかけるペンダントを触りながら『母さん』と。
まただ。彼女の手を取らなかった時のあの顔が頭をよぎる。目蓋に焼き付いていて取れない。
目の前にいるのは異世界からきた魔法を使う少女ではない。可愛い顔をした普通の少女でもない。ただ不安に駆られて泣いている女の子だ。
異世界などまだ信じられてはいない俺がいるのは確かだ。当たり前だろう。これまで『普通』を『普通』に過ごしてきた俺にとっては「はいそうですか。」と飲み込める話ではない。
異世界や魔王などは一旦、吹き飛ばそう思考から排除しよう。そうだ、そんなこと、今はまだどうでもいいのだ。目の前にいる少女は不安に駆られて泣いている。そしてその一因に自分があるのだろうということが俺を・・・
そして予想は確信へと変わる。
「母さんっ 」
今度ははっきりと聞こえた。『母さん』と。
「――――――」
しばし空白の時が生まれる。いや違う。時だけではない視界も聞こえる物も感覚もそして思考も一時空白という名の一撃に襲われた。時が止まる。視界が止まる。聴覚も止まる。感覚も止まる。思考も止まる。
そして一時役割を失った体の器官たちはしばしの空白の後、次々に活動を再開し始めた。時がまた進み始める。視界に寝ているカーベラの姿が映し出される。カーベラの寝言、いや不安の塊が口に出てそれが耳を介して俺の脳に届いた。開いた押入れの感触が手に戻る。そして、後悔に俺は呑まれた。
あの時、目の前の少女の手を取れば良かったのだろうか。だが、彩芽の存在が気にかかってそれを押し殺す。彩芽は、妹は親が忙しいから俺が面倒を見ないとダメなのだと。
いや違う。確かに妹は大切だ。だがそれは事の本質ではない。俺が少女の手を取らなかったのは“恐怖”故にだ。その口実に彩芽を利用したに過ぎない。
「――――――」
口だけは動かない。空白を経てもなお一向に働こうとしていない。そもそも何を口に出せばいいのかがわからない。
そして、押入れの扉をしめた。
その夜は課題も手につかないまま寝てしまった。いや、ベッドに横になったというのが正確な表現だ。そして、よく眠れなかった。眠くても目を閉じると彼女のあの顔が、彼女の泣いて伏している姿が交互に浮かんでくる。
それは俺の脳が限界と悲鳴をあげて意識が切れるまで続いた。
異世界人が降ってきたので、匿ってしまいました。(改稿済) 大福 @road-daifuku
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