002:論より証拠 証拠より膝枕

「いい加減、帰らせてもらいますよ」

 目の前のあたふたしている少女にそう告げる。


「な、何で? 何で何も起こらないの?ちょっとむかついたから服を少しばかり燃やそうとしただけなのにっ!」

 かなり聞き捨てならないことを言われたような……


―ストン

 公園の硬い土から響いた音が俺の耳に届いた。

 もう冬明けの5時をすぎてあたりは陽が落ち始める。街も公園も闇に包まれ始めていた。落ちたものの姿も形も良く見えない。人間らしきもの、としかわからなかった。


 なぜ闇に包まれ始めていったと表現したのだろうか。この場合暗がりと表現するべきだ。いや、違う闇こそが適切だった。禍々しく、飲み込まれてしまいそうな圧が、闇がそこにはあった。

 それが感じさせるのは「死」だった。


「“シャイニング アロー”!」

 例の少女は手を前にかざし、そう告げる。彼女の手には光が次々と集まりそれらは一本の矢となって闇を撃ち抜いた。

 少女は、いやカーベラは堂々とした眼差しを撃ち抜いた闇に向けていた。

「もう、追手が放たれていたのね。」

 取り残された俺の思考が遅れて現実に、今に追いつく。


「……どう?信じてもらえた? もう一度言うわ。私の名前はカーベラ。元の世界ではこれでも有名な魔女だったのよ?どうか魔王から私の世界を救って欲しいの。」

 彼女はドヤ顔で自分の魔法の凄さを俺に示して来た。だが今はそれどころではない。


「あ、あぁ……」


 先程の恐怖は今までに感じたことのある種類と全く異なるものだった。それは“死”への恐怖。本当の弱肉強食の世界に突如置かれたという感触。それは紛れも無く初めて感じたもので、そして感じたくなかった。

「大丈夫?私もこんなにすぐ追手が来るとは思ってなかったんだけどね。ここにいると危険かもしれないわね。どこかに移動したいな。」

 あぁ、脳が考えるのを止めようとしている。目の前が暗くなっていく。

「だ、大丈ぶ・・・」

 現実が、様々な感覚から消えていき、あたりは黒くなっていった。


 逃げた現実が視界の中に鮮明に姿を作っていく。

「気がついた?」

 何だろうか。後頭部に柔らかな感触がある。ずっとすがっていたいような感触だ。ぼんやりしていた視界がはっきりすると目の前にはカーベラの顔が見えた。

「寝ている間、ずっとこうしてくれていたのか?」

 俺は膝枕をされている。

「いや、まあそれは・・・ そう、地面に頭をつけると痛いと思っただけだから。」


「君はカーベラなんだな」

 今起きたことをそのまま突っ返すほど俺は小さいやつではない。おそらく彼女は自称では無く本当にカーベラなのだ。

「そうよ?だから言ったじゃない」

 カーベラはそう言って微笑む。やっぱり、カーベラは可愛かった。

だが、いつまでもこうしている訳にはいかないので姿勢を戻す。


「落ち着いた?」

 心配してくれているのがわかる視線で見つめられる。

「ほんとに、どういうこと何だよ。最初の“フレア”とか唱えてたのは置いといて、あの光っていた弓は何?そもそも何で降ってきたの?」


 本当に何なんだ。

「まぁ当然思う疑問よね。確か、この世界に魔法ってないんでしょ?」

 魔法が使えているのならこの世界はどれだけ変わっていたことか。

「・・・“フロート”」

 急に立ち上がったカーベラはそう呟いた。

「うん、こっちはやっぱり大丈夫ね。」

 もう彼女が浮いたことに対して大きく反応する気力はなかった。ただカーベラが浮いているという事実を認識する。


「じゃあ一から説明するね。私の世界の住民は皆の想像を信じる力によって現実へ物理的に逆らい魔法を行使することができるの。」

 イメージ力で魔法を使う?

「最初に唱えたフレアは他人や他のものに影響を与えるから、私個人のイメージだけでは特に何も起きないんだけど、私の世界では魔法自体が小さい頃から触れる文化、文明であり魔法が効かない者なんていないと思う。」


「じゃあ何で今、浮くことができたの?」

 あぁ、失敗した。自ら質問してまった。どんどん自分が引き下がれなくなっていくじゃないか。

「答えは簡単よ。それが自分にだけ影響を与えるから。私が落ちてきたときも思ったより軽かったでしょ? あなたの世界ではあるのかしら、精神的に自分を追い詰めて体に支障が出ることとかない?」

 確かにこの世界でも過度のストレスから体を壊すことは多数ある。

 なるほど何となく魔法に対するイメージは理解できそうだ。

「病気の人が『生きる目的!』な感じのを見つけて寿命が長引いたとかたまに聞かない?これも自分が生きることをイメージしてるのが理由。イメージは思えば思うほど力が強くなりますよ。その分魔力を使うけど。」

 魔力?集中力的なものか?

「落ちてきたのは……私をこの世界に送ったやつに文句を言ってくれないかしら? 少しは理解できた?」

 そういえば、まだ聞いていないことがあった。俺がこのような状態に陥った原因だ。


「なぜ俺なんだ?」

「“俺”というのは些か自意識過剰な気がするけど、この世界の住民だからよ」

「・・・最初の魔法が効かなかったように俺はイメージが足りなくて魔法が効かないってことか?」

「その通り。ただ、物理的な攻撃は結局変わらないけどね。それに私がここに落ちてきたのも何かの縁よ」

 さっきまでセクハラだの言っていたのはどちら様なんでしょうかね。


「改めて言うわ。我々は助けを求めてる。私の手をとってくれない?」

心の底からこの現状を理解して飲み込もうとしている訳ではないが、流石にカーベラの話を拒絶することは俺にはできない。

 頭の中で期待感と恐怖心が戦ってしまっている。

 ずっと本やテレビの中にあった世界。現実を忘れさせてくれた世界。何も楽しみがなかった俺を酔わせてくれていた世界。

 その世界が“現実”として俺の前に今迫っている。だが、それは「死」と隣り合わせになるかもしれない世界だった。


 悩んだ、悩んだ末に決断する。

「俺は、怖がりだ。さっき“死”を感じてもう腰が引けてる。俺にはそんなことは無理だと思う。ごめん。他言はしないし心配しないでくれ。」

「そう・・・ 私も無理にと言うつもりはないから安心して。急にこんな事言われても信じられないことの方が多いものね。」


 カーベラは去った。カーベラは特に責めることもなく去った。だが、去る直前のカーベラの不安そうな表情を俺は見てしまった。去る直前のあの顔が、表情が目蓋の裏に突き刺さり焦げて残った。

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