アマビエを描く男(鬼娘の百物語番外編)

久世 空気

アマビエ

 日本に緊急事態宣言が出て、俺が自宅でやることもなくぼんやりしていると、高校時代の友達Kから連絡があった。ちょうどお前のことを思い出していたと冗談を言ったがあまり乗ってくれず、とりあえず会って話したいと言われた。新型ウィルスが猛威を振るっている今、あまり外出したくなかったが、徒歩で行ける範囲のKの実家に帰省しているとのことだったので散歩がてら、人の少ない道を選んで会いに行った。出迎えてくれたKは記憶よりも肉が半分ほどそげ落ちたように痩せていた。

「高校の時の携帯番号をまだ使っててくれて良かった」

 とKは言いながらコーヒーを出してくれた。

「ああ。お前・・・・・・の家も大分変わったな」

 躊躇しながら家のことを言ってみる。Kも変わったがKの実家も様変わりしている。イラストレーターのKの仕事に合わせて改装したのか、アトリエ風に仕事部屋が広く取られ、居住スペースと完全に仕切られているようだ。Kの両親は早くに亡くなり、この家は空き家になっていたのだが、いつの間にか戻ってきていたらしい。今回連絡があり初めて知った。

「帰ってきたのは、あの絵を発表して有名になったからか?」

 俺が聞くと一瞬Kの表情が曇った。

「どうしたんだ?」

「うん、実はそのことでお前に聞きたいことがあって」

 Kは自分に入れた、まだ熱そうなコーヒーをごくんと飲んだ。

「お前は、オカルトとか怖い話とか昔から詳しかったよな」

「そうだな、今でもそういう系の雑誌なんか読むよ」

「だったら教えてくれ。アマビエは本当はどういう妖怪なんだ?」

 質問の意味を捉えかねて俺は言葉に詰まった。

「アマビエ・・・・・・それは、お前の方が詳しいんじゃないか?」

 そう、Kはアマビエで有名になったと言っても過言ではない。彼が1年前にネットにあげた1枚の絵が世間の目にとまったのだ。SNSに投稿した半漁人のような、不気味でまがまがしくも美しいイラスト。Kはそれに「夢に出てきた予言の海獣」と短いコメントを入れている。最初は誰も見ていなかった。だが数ヶ月後そのイラストに誰かが「これはアマビエという妖怪ではないか?」と言い出した。その頃から感染が拡大しつつあった新型ウィルスの不安が話題に拍車を掛け、一気に有名になった。妖怪好きなら知っている、そうでなければあまり馴染みのない妖怪だった。だがKのイラストとともに疫病封じ妖怪として拡散され誰もが知る妖怪になった。「Kが描いたアマビエが新型ウィルスに効く」嘘か真か、そんな噂が出回っている。Kのアマビエのイラストには高値がつけられ、創作依頼が1000人を超えたと聞いている。K自身もテレビや雑誌のインタビューで見ない日はない。彼らがKのイラストに注目するのはそのセンスや技術だけではない。Kがイラストを発表したのは新型ウィルスが発表される数週間前で、さらにK自身それをアマビエという妖怪だと知らなかった。そういった内容のインタビューを聞いた人が「本物を見たんだ」と思い、さらにイラストの依頼が殺到した。

 Kは何度もインタビューや取材を受けているはずだ。もはや忘れたくても忘れられないくらいアマビエの情報はKの中に蓄積されているだろう。なのに何故今更そんなことを聞くんだ。

「確かに、俺はアマビエについていろいろ聞いたし、調べたよ。でも怖いんだ」

「どういうことだ? 本当はアマビエなんて見てないとか?」

「違う。それは違うんだ。俺は本当にあの妖怪を見た!」

 Kが声を荒げる。昔の彼からは考えられない姿だ。俺があっけにとられているのを見てKはすぐに申し訳なさそうな表情になった。

「すまない。あれを見てから、何かおかしいんだよ」

「状況が分からん。一から説明してくれないか」

 Kは「わかった」と言いつつも、しばらく逡巡し「ここだけの話にしてくれ」と念を押して話し始めた。

 

 高校を卒業してからKは専門学校でイラストやWebの勉強をし、東京に出た。昔から絵がうまかったし、K自身も自信があったと思う。就職して仕事をしながら自分の絵を描いていたそうだ。だが慣れない仕事に一人暮らし、思うように絵を描く時間も取れず、Kは次第に焦りだした。そんなときに同じ専門学校出の友人が某スマホゲームのキャラクターのデザインを担当したことで名前が売れ始めた。Kの焦燥感は限界を超え、彼は絵を描くために仕事を辞めた。それによって絵を描く時間は増えた。自分を売り込むために営業もした。しかしすぐに仕事がもらえるはずもなく貯金はみるみるうちに減っていき、生活が立ちゆかなくなった。見通しの甘い自分に嫌気がさし、また、体調も崩し、Kは地元に帰ることにした。空き家になっている実家は近くに住む叔父が管理していた。叔父にだけ連絡し、Kはひっそりと実家に帰還した。何をするでもなく数日過ごした。

 Kは何も言わなかったが、おそらく彼は死ぬつもりだったんだろう。ただ決心が付かなかったのか、地元に戻ったことで生きる気力が戻りかけたのか、Kは何をするわけでもなく1ヶ月一人で過ごしたそうだ。そんなときに彼はそれに出会った。

 人のいない朝方、Kは地元の海辺を散歩していたらしい。寒い朝だった。静かでまだ薄暗い。だからそれが現れたとき、幻覚だと思ったそうだ。起きながらにして夢を見ているんだと。それは岩場から顔を出した。白い髪と爬虫類のような目、そしてくちばし。長い爪で岩をひっかくようにして登っていた。見ていると体が岩の上にあわらになった。虹色のつやつやした鱗が宝石のように見えたという。足はない。ひれのようなものを引きずって、ずるずると爪だけで岩を登りはじめた。


「それは、確かにアマビエのようだな。それが夢だったのか?」

「いや、夢じゃなかったんだ」

 え? と俺は聞き返した。


 それは突然Kに気づき振り返った。目が合う。Kはそこで「しまった」と焦ったそうだ。見てはいけないものを見てしまったと。Kは後ずさり距離を取るときびすを返して実家に走り帰った。実家には叔父が来ていて、白い顔で息せき切って戻ってきた甥に驚いていたそうだが、腫れ物に対するように何も聞かれなかったそうだ。叔父は惣菜をお裾分けしてくれ、朝食に一緒にそれをいただいたそうだ。


「夢じゃなかった。もし夢だったら現実との境目が分からない。つまり俺の頭がおかしいことになるんだ」

 きっぱりとした口調に俺は言い返す言葉がなかった。

「・・・・・・じゃあ、あの絵のタイトル『夢に出てきた予言の海獣』っていうのは?」

「夢には出てきたんだよ。その日の夜」


 それはすぐに夢だと分かったらしい。Kは夢の中で黒い水面に立っていた。そしてその水の深いところから光が泳いできて水面から顔を出す。

『私はア――というものだ』

 と、それは言った。よく聞こえなかったがKは浅くうなずいた。

『これより先、疫病が――……、私の写し絵を――人々に、見せよ……』

 やはり聞き取りにくい。しかし話は終わったのか、それは再び水に潜った。しばらくゆらゆらと煌めく髪が水中で揺れているのが見えていたが、徐々に暗い水の中に消えていき、真っ暗になった。そこでKは目を覚ました。


「まるで神のお告げだな」

 俺は特に意識せずにつぶやいた。しかしKは思いの他その言葉に食いついた。

「そうだろう? 妖怪じゃないんじゃないか? あれは本当に妖怪なのか?」

「どういうことだ?」

「あれを描いてから、俺の人生が変わったんだ。いや、俺そのものが俺じゃなくなった。俺が描いたものを、皆がありがたがる。他の誰でもない、俺だ」

「それは、お前がパイオニアだと皆思っているからだよ」

「それがおかしいんだ。アマビエなんてものは最初からいたんだよ。俺が描く意味がない。でも俺じゃないといけなくなった」

 何が言いたいのか分からない。Kの呼吸は徐々に荒くなり、目は血走ってきた。それでもKは俺に訴え続ける。

「アマビエが存在するなら、最初から人間の前に出てきたら良い。出てきてウィルスなんて吹っ飛ばせば良い。でもしない。俺が描かないといけない。俺が描かないと皆納得しない。逆に俺が描いたものなら皆喜ぶんだ。俺が何を言っても喜ぶんだ。俺が『こんな気持ち悪い妖怪』と言っても『恐怖に打ち勝ち人々を救うために筆を執った』と言われる。インタビューごとに違うことを言っても気にしない。新しいお告げがあったと解釈するやつまで現れる。あれは俺をどうしたいんだ? 俺を使って何がしたいんだ? 俺は、何を描かされているんだ?」

 そう言ってKはバタンと床に倒れた。体が震え、過呼吸を起こしたように口を開いて苦しそうに息をしている。顔は真っ青だ。俺は慌てて救急車を呼んだ。救急車が到着し、Kが担架で運ばれているとKの叔父が現れた。サイレンを聞いて慌てて駆けつけたらしい。俺は経緯を説明し、連絡先を交換し、後をお任せして帰路についた。Kの叔父は普段から彼の不摂生を気にしていたらしく、何度も頭を下げられてしまった。

 俺は家に帰って妖怪図鑑や妖怪関連の雑誌をめくってみた。アマビエの記述はそれほどない。似たような妖怪の話はいくつかあるが、似ているだけで特別これといったものも見つからなかった。ただ俺は気になることがあった。

『神のお告げ』

 自分が言った言葉だが、結構的を射ているのではないだろうか。柳田国男が「妖怪は神が零落したもの」と言っているらしい。妖怪と神は遠いようで意外と近いのかもしれない。そうなるとKが見たアマビエがKに何をさせたかったのか。

 アマビエはKを使って神になろうとしている。

 一度そう考えてしまったらそうとしか考えられなくなってしまった。Kに自分の姿を描かせ、大勢に見せ、アマビエの話が出回った。Kが言ったとおり、誰もがKを先導者だと思っているし、Kの言葉を自分たちを導くものだと信じている。そしてアマビエが守ってくれると信じている。それはすでに妖怪の役割ではない。

 SNSを見るとすでにKが入院した情報は出回っていた。人々はKがアマビエを描くために体調を崩したという美談を作り上げていた。そしてKの回復をアマビエに祈っていた。

 1ヶ月後、Kは復活した。俺には叔父さんから退院時に連絡が来ただけだった。Kはすぐにアマビエを描くのを再開し、世間は沸いた。新型ウィルスも収束し始め、徐々に日常を取り戻しつつある。

 Kは何を考えているのだろうか。一度だけ連絡をしたが返事はない。

 アマビエを妖怪と言う人は今はいない。

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アマビエを描く男(鬼娘の百物語番外編) 久世 空気 @kuze-kuuki

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