第二十五話 瞳のカメラ

「素晴らしい! 素晴らしい心意気ね! 学園の最下級生でありながら、キャラと世界観の投影においては頭一つ出ている成瀬さんが、更にその一つ上を目指したいというその心意気! 私は以前にも増して熱く燃えるあなたに、ひどく感激しています!」

「あ、ありがとうございます」


 かのんによる“Smiley Spica”新作ドレスお披露目ステージが終わった次の週のこと。

 個別レッスン室で向かい合った少女と女性……つまり、あゆみと演技講師の葛籠つづら阿国おくに先生。

 その片割れである阿国先生は、感激の衝動が許すままに、あゆみの手をとりブンブンと上下に振り回した。

 突拍子のない行動にあゆみは一瞬驚いたものの、表情に出すことはなく、むしろ笑って礼を口にしていた。


「ただただ悲しいのは、私はこれから仕事が入っていて、成瀬さんのレッスンをしてあげられないこと。ごめんなさいね。私が以前演じた忍者のように、分身することができればよかったのだけれど。そこで、代わりにとある人を紹介しましょう!」

「紹介? 先生がお知り合いの役者さんでしょうか?」

「いえ、全く別のお仕事をされている方ですよ」


 そう言ってにこにこと笑う阿国先生に、あゆみはよく分からず首を傾げてみせる。

 そんなあゆみに笑顔を向けたまま、阿国先生は懐からスッと一枚のメモを取りだすと、あゆみへと手渡し、しっかりと頷いた。

 そのメモはどうやら地図のようであり、隅の方には今日の日付と時間が記されていた。


「これは?」

「その人が待ち合わせに伝えてきた場所と時間のメモ。忙しい人だから、いつもこうして指定してくるのよ」

「えっと、つまりこの時間に行かないと、怒られるってことですよね……?」


 言いながらあゆみが時計を確認してみれば、その時間まではあと一時間もない。

 さらに、指定場所までは走って四十分近くかかる場所で……とにかくすぐに出なければ間に合わないのは確実だった。

 そんなわけで、あゆみはすぐさま阿国先生へ「ありがとうございます! いってきます」と頭を下げて、走り出したのだった。


☆☆☆


 ぜえはあと息を切らしながらも、なんとか約束時間の数分前に指定場所にたどり着いたあゆみ。

 そんなあゆみに「ギリギリだけど、指定通りに来たわね」と、細身の男性が妙に艶やかな仕草で近づいてくるのだった。


「よく来たわね、成瀬あゆみ。このアタシに呼ばれて来るなんて、いい度胸をしてるじゃない。誉めてあげる」

「……え、えっと、その」

「なぁに、その歯切れの悪さ。もしかして、アタシが誰か知らないってワケ? もう、阿国ちゃんったら、伝えた上で来させてって言ったじゃない」


 少し気を悪くしたような雰囲気を出しつつも、男性は「まあ、いいわ。行くわよ」と一人歩き出していく。

 突然の行動に“えっ?”と驚いていたあゆみへ、半身振り返った男性は「早く着いてきなさい」とだけ急かして足も止めない。

 そんな男性の行動に少し不安が頭をよぎったものの、あゆみは“頑張るって決めたんだもん”と、意を決して後をついていくのだった。


 十数分ほど歩き続け、男性が足を止めたのは、ドラマなんかによく出てくるような倉庫の前。

 刑事ドラマや任侠モノ、はたまた青春ドラマなんかにも登場するような少し古びた倉庫であり、なにやらその付近には多数の人が忙しそうに作業を行っていた。

 「ここは……?」と、あゆみが首を傾けていると、男性は「行くわよ」と、人が多くいる方へと歩きだす。

 説明ひとつなく動く男性に、あゆみはまた不安がよみがえってきたけれど、ぶんぶんと頭を振ってその不安をかき消し、男性の後ろをついていくのだった。


「あ、須藤さん。おはようございます!」

「おはよう。作業は順調?」

「うっす。今日のリハ前には全部終わるペースっす!」

「良いペースね。でも、気を抜かないように。緩んだところから崩れちゃうんだから」


 男性……もとい、須藤の言葉に作業員はキリッと表示を締めて、「はいっ」と元気よく返事をする。

 そのスムーズな受け答えに、作業員が須藤のことを信頼していることが分かり、あゆみは少し驚くとともに、その印象を改めるのだった。


「お昼過ぎから、ここでドラマの撮影があるの。あなたも役者なら分かるでしょうけど、ドラマの撮影はとても時間がかかるわ。だから、夕方のシーンでも、リハーサルは昼から行ったり、屋内の撮影なら朝からしたりもするの」

「はい。初めての撮影の時に聞いて、驚きました」

「ええ、それに役者さんによっては、非常に忙しい方もいらっしゃるから、ミスなんてあまり出せないわよね? アタシ達裏方も同じ、その一回を最高のものにするために、手なんて抜けないの」


 言われてあゆみは周囲を見回す。

 そこにはたくさんの、本当にたくさんの方が汗を流しながら、現場のセッティングをしており、須藤の言葉と同じことを全員が思っていることは明白なくらい、誰一人欠けることなく真剣な顔を見せていた。


「こんなにたくさんの人が……ひとつのシーンを作るのに関わってくれていたんですね」

「ええ、そうよ。それに関わっているのはアタシ達だけじゃないわ。メイクスタッフさんに、衣装スタッフさん。それに撮影側のスタッフさんも。みんなが“最高”を作り上げるために力を出しているの。そして、それはドラマの撮影だけじゃない。雑誌のピンナップ撮影だって、バラエティ番組だって……インタビューに、ステージ。全てが、たくさんの人の手で作り上げられているの」

「……はい」


 今までのステージを思い返してみても、それはよくわかる。

 あゆみ達の使うスタァプログラムも、たくさんの人の手によって作られているプログラムだ。

 ステージで着るドレスはもちろん、ステージだってステージデータを作ってくれているデザイナーさんがいる。

 だからこそ、余計に……“失敗なんて出来ない”と思ってしまうのも、無理はないだろう。


「ダメね。あなた、分かってないわ」

「えっ?」

「さっきも言ったけれど、アタシ達は“最高”を求めているの。最良じゃなくて、最高をね。そのためには、あなたらしさが何よりも大事なの」

「わたしらしさですか?」


 須藤が何を言いたいのか読めないあゆみは、困惑した顔で首を傾げる。

 そんなあゆみに少し呆れたような顔を見せながら、須藤は「あなたのステージ、アタシも見させてもらったの」と急に話を変えた。


「阿国ちゃんにお願いされた後にね、一応確認しておこうと思って。フレッシュアイドルカップのステージ、とても可愛らしくて良かったわ」

「あ、ありがとうございます」

「世界観の表現も、歌の余韻も……しっかりと勉強して合わせてるっていうのが伝わるステージ。でも、それだけだったわ。あのステージから見えたあなたの姿は、歌やステージの世界観に染まってしまっていて、あなたらしい輝きが見えてこなかったわね。審査点数も、それを表すような点数だったみたいだし」


 あゆみらしい輝き……その言葉に、あゆみはビクッと身体を震わせ、顔を俯かせてしまう。

 なぜならそれは、あゆみが探していた答えに他ならなかったから。


 あゆみは落ち込んでいるかのんに、ずっと言いたかった。

 “かのんちゃんは、誰よりも楽しそうで輝いていたよ”と。

 だからこそかのんに、“Smiley Spica”からオファーが来たって驚かず、むしろすぐに祝福できたのだ。

 そしてそれはツバキも同じ想いだったから、“ライバルだ”と言い切ったのだろう。


「“世界に自らを合わせること”それだって才能だから、出来る人と出来ない人では雲泥の差があるけれど、この業界でトップと呼ばれている役者さん達はその一歩上を行っているの」

「一歩上……」

「世界に合わせて自らを変化させるだけでなく、自らの解釈でそのキャラクターを作り上げ、魅せる。それはドラマでも、ステージの上でも変わらないわ」

「自らの解釈で、キャラクターを作り上げる……?」


 須藤の言葉を繰り返し、理解しようと思っても、あゆみの思考はなかなか纏まらない。

 しかし、それも仕方がないことだろう。

 なぜなら、その技術を持つものは皆……トップと呼ばれる役者達ばかりなのだから。


 そんなときである。

 元々騒がしかった倉庫の中が、更に騒がしくなったのは。


「あら、来たわね。作業の方は……うん、大丈夫そう。さて成瀬あゆみ、あなたへの指導はここまでよ。もうすぐ撮影が始まっちゃうから」

「えっ!」

「阿国ちゃんには伝えておいたんだけど、アタシ、こう見えて忙しい人なの。ごめんなさいね」


 あゆみを置いて離れていく須藤の背中に、あゆみはなにも言えず、ただ見送ることしか出来なかった。

 そうしてあゆみは、騒がしさを増していく倉庫の中で「ありがとうございました」と頭を下げ、そっとその場を後にしたのだった。


☆☆☆


「なるほど。須藤さんがそのようなことを。……ふふ、須藤さんらしい指導の仕方ね」

「須藤さんらしい、ですか?」

「ええ、あの方はステージやセットに向き合ってとても長いベテランの方ですから。セットを通して役者やアイドル達を支えてくださっている。だからこそ余計に、自分たちの期待以上のものを魅せてくれる役者やアイドルを、何度も見てきているのよ」

「……須藤さんは“最高”を求めている、と。でも、わたしのステージは“最良”ではあるけれど、“最高”ではないと言われました」


 須藤と会ってから数日後。

 落ち込んだように話すあゆみに、阿国は“あら……”と少しばかり呆気にとられ、“それで今日のレッスンは、テンションが低かったのね”と一人納得した。

 しかし落ち込んでばかりではレッスンにならない。

 だからこそ阿国は、あゆみに対して「では“最高”とは、なんなのでしょう?」と問うのだった。


「“最高”は……世界観をしっかりと表現しながらも、自分らしさを損なわず、さらに良い物へと昇華出来ている状態、ですよね?」

「ええ、その通り。しっかりと理解出来ているようですね。では成瀬さん、あなたに足りないものはなんでしょう?」

「わたしに足りないもの……。それは、」

「きっと成瀬さんには、もう分かっていることだと思いますよ。あとは、自らの中でしっかりとそれを把握すること。それが一番重要なことでしょう」


 言いよどんだあゆみに、阿国はふっと笑みを見せ、そう言ってレッスン室を後にする。

 一人取り残されたあゆみは、阿国の残した言葉を口の中で反芻し、ただ天井を仰いだ。


「わたしに足りないもの……それは自分自身。それも時に、人とぶつかることも辞さない、強い想いを持った自分。かのんちゃんのように、誰もが惹きつけられてしまうような笑顔や、ひなちゃんの歌。つばめさんのダンスに、ツバキさんの技術力。みんな違うけれど、それぞれに人を惹きつけて止まない魅力があるから」


 その点、わたしはどうなのか……。

 演技力を磨いて輝こうと思っても、その道にはわたしよりももっと凄い人がたくさんいる。

 だからわたしなんかが……と、そこまで考えてあゆみは大きく頭を振った。


「ダメ! 弱気になっちゃダメ!」


 かのんちゃんも辛い時期に負けず頑張って、ステージの上で笑顔の花を咲かせたんだから!

 わたしは、かのんちゃんの隣りに立っていたい……輝くかのんちゃんの隣りで輝いていたい!

 “だからお願い、わたしに力を貸して!”と、あゆみはモバスタに表示した“Dreaming Girl”の“リトルフラワーコーデ”へ、想いを込める。

 そして、グッと力を込めて足を開き、「弱気になんて……負けないんだから!」と叫んだ。


☆☆☆


 しかし、そう叫んだところで問題が解決するわけでもなく、一日中気を張っていたあゆみは、夕食のタイミングでぐでーんと肩を落とし、疲労感をその身に宿していた。

 その疲れっぷりは、端から見ていても尋常では無く、一緒にご飯を食べていたかのん達も、互いに目配せで“どうしようか?”と相談してしまうほど、対応に困ってしまう。

 そんな中、突如かのんが「そうだ!」と何か思いついたような声を上げ、「今日、私はつばめちゃんの部屋に泊まるね!」と謎の宣言を放つのだった。


「つばめちゃん、良いかな?」

「大丈夫。私は一人で部屋を使ってるから」

「えっ、えっ? じゃあ今日の夜はわたし一人……?」

「そこは、私の代わりにー……ツバキが私の部屋に!」

「……ちょっと待ちなさい、かのん。その話は全く聞いてないわ」


 困ったというよりも、半ば呆れているような顔で、かのんへとツバキが言葉を返すが、当のかのんはまるで悪戯が成功したような笑顔で「言ってないもん。と言うよりも、いま思い付いたから」と言い切るのだった。

 それにツバキは反論しようとして……かのんの意味深な笑みと頷きを見てしまう。

 結果、かのんの言いたいことを理解してしまったツバキは「……わかったわよ」としぶしぶ引き下がるのだった。


「みなさんはお泊まり、楽しそうなのです~」

「じゃあひなちゃんもこっちにくる? 私と同じベッドで良ければ、一緒に! つばめちゃんもいい?」

「ん、大丈夫。ただ、私は朝に自主トレしてるから、もしかすると起こしちゃうかも」

「自主トレ! おおー、私も一緒にしていい!?」

「構わない。なら四時前には起きて」


 予想よりも早い時間だったからか、かのんは「うぐっ」と固まった後、「が、がんばる」と辛そうな顔で口にした。

 そんなかのんを見ながら、ひなは「がんばってください~」と完全に我関せずの姿勢を貫いてみせる。

 笑うひなの姿に、「え、えぇ~!? ひなちゃん~!」なんてかのんが泣きついて、あゆみも含めた全員が笑うのだった。


「さて、それじゃ私は先にお風呂に入ってから、あゆみの部屋に行くわね」

「あ、私も行く! ツバキ待ってー!」

「もう、仕方ないわね……」


 せっせとご飯を食べるかのんに優しく微笑みつつ、ツバキは椅子に座り直す。

 急ぎつつも、かのんはモグモグとしっかり食べ……「美味しかったー!」と食べ終わるのは、それから十五分が経ってからだった。


☆☆☆


「あゆみ、入るわよ?」

「あ、はい。どうぞ」


 みんなと夕食を取ってから二時間後、ツバキは枕だけ持ってあゆみの部屋へとやってきた。

 そこにはすでにかのんはおらず、ツバキが「かのんは?」と聞くと、「さっきつばめさんの部屋に向かったよ」とはにかみつつ教えてくれる。

 “なら遠慮はいらないわね”と、ツバキはかのんのベッドへと枕を置いて、縁に腰掛けるのだった。


「それで、あゆみ。今度はどうしたの?」

「え? なんでもないよ、大丈夫」

「なんでもなかったら、あんなに疲れた様子でご飯は食べないでしょう? 聞いてあげるから話してみて」

「あ、あはは……」


 笑って誤魔化そうとしたあゆみの目を、ツバキはじっと見つめたまま何も言わない。

 「あはは……はは……」とぎこちなく笑うあゆみだったが、外れないツバキの視線に、「あは……はぁ……」と力なくうな垂れるのだった。


「ツバキさんには、敵わないなぁ……」

「私だけじゃないわ。かのんもひなも、あのつばめだって、今日のあゆみを見たら、何かあったって気付くわよ」

「そ、そんなにおかしかったかな?」

「逆に、おかしくないって思ってたことに驚きよ……」


 呆れたように言ったツバキに、「あはは……」と、あゆみは恥ずかしさを隠すみたいに笑う。

 そして、そんな顔で天井を仰ぐと、「はあ……」と大きく溜息を吐いたのだった。


「わたしは“最高”じゃなくて、“最良”なんだって。それもきっと、私に自信がないから」

「自信がない? たしかにあゆみは、かのんみたいに謎の自信でグイグイ行くタイプじゃないけど……」

「あはは、かのんちゃんはスゴいよね。いつだって間近でずっとキラキラ輝いてて、私の……一番の憧れは、かのんちゃんだから」


 そう言うあゆみに、ツバキは何かを言おうとして……「そうね、かのんは凄いわ」とベッドのシーツを撫でた。

 顔は慈しみに溢れていて、かのんが成長することをとても楽しみにしているような、そんな気持ちが雰囲気として溢れ出ていた。

 しかしツバキは「でも」と同じ顔のままあゆみへと視線を戻し、「それはあゆみ、あなただって同じことよ」と言い切るのだった。


「かのんだけじゃない。正直、ひなもあゆみも……まさかここまで私の心を熱くしてくれるアイドルが現れるなんて、入学前には思ってもみなかったわ。今私が立ち止まらず先を見据えていられるのは、あなた達に負けたくない、その気持ちがほぼ全て。……自分に自信がなくて、“最高”になれない? そんなもの、あなたの輝きが作り上げた景色を見てから言いなさい」

「……わたしが作り上げた景色?」

「ええ、そう。私には私の輝きが、かのんにはかのんの輝きがある。その強さや色は違ったとしても、あゆみにはあゆみの輝きがある。だからこそ、あゆみというアイドルの輝きに人は惹きつけられ、集うの。そうして作られた景色は、あゆみにしか見ることが出来ない……あゆみというアイドルでしか作る事が出来ない景色だから」


 ツバキの顔は優しく微笑んでいたものの、その瞳は熱く燃える炎を奥底に宿していて、射貫かれたあゆみは、まるでたった二人だけの世界に迷い込んでしまったような、不思議な感じを覚えていた。

 “ああ、すごいな。カッコいいな”なんて、そんなチープな言葉でしか言い表せない自分に恥ずかしくなりつつも、あゆみは早くなる鼓動を押さえるみたいに胸元をぎゅっと握りしめた。

 そんなあゆみの横へとツバキは移り、そっと肩を抱いてから「今は弱くてもいい。でも忘れないで。あゆみにしかない、あゆみだけの輝きを」と小さく呟くのだった。


☆☆☆


「……おはよう、カノン」

「おはよぉ~……。つばめちゃん、早いね~」

「自主トレに行くから。カノンは眠かったら寝てて良い」

「ううん、いくよ~」


 ベッドの上で背伸びして、かのんは大きなあくびを晒す。

 そして、半ば寝ぼけ眼のままベッドから出ようとして、「んん~……おじいちゃん」と寝言を呟くひなに微笑む。

 ふわふわとした可愛らしい女の子なだけに、寝顔もまるで天使みたいな可愛さで、かのんだけでなくつばめも思わず笑顔になってしまう。


「ひなちゃんは寝かせてあげようかな……っと」

「私は廊下で待ってる。準備が出来たら来て」

「はーい」


 寝ているひなを起こさないように小声で話し、つばめは静かに部屋から出て行く。

 そんなつばめを見送ってから、かのんはベッドを降りて、昨日の夜に準備しておいたトレーニング用の服に着替えると、静かに部屋を出て行くのだった。


 そして二人で寮の外へ向かうと……寮の入口そばに立つ、ツバキの姿をみつけた。


「ツバキ、おはよー! 早いね」

「ツバキ、いつもはいなかったはずだけど」

「ええ。いつもなら部屋でストレッチをしてるんだけど、部屋が違うからなんだか変な感じで、外に出てきちゃったわ」

「そうなんだ。二人とも起きる時間早いなぁ……。私もあゆみちゃんも、普段はもっとのんびりだよー」


 驚いたように話すかのんに、ツバキは少し呆れたような顔を見せながら「どうせ、かのんはいつもギリギリなんでしょう?」とからかって見せる。

 フレッシュアイドルカップが終わってから数日は鬼気迫る勢いで自主トレに励んでいたかのんも、春風との会話以降、その頻度を下げ……今となっては、夕方に少し走る程度に抑えていた。

 というのも、あの時期に無理をしすぎた関係で、マイク先生から“自主トレすんなら、誰かと一緒にしやがれ!”とお説教を受けたからだった。


「んー、でもやっぱり身体を動かすのは好きだなー!」

「かのんはもう少し演技とか歌とか、そういった技術面も頑張らないとダメだけれど」

「うぐっ……がんばりまーす……」

「でもカノン。前に比べてダンスが上手くなってきてると思う」


 ツバキとつばめに左右挟まれながら走るかのんは、表情をころころ変えながら、楽しそうに学園の周りを走っていく。

 ステージのこと、パフォーマンスや歌のこと、守秘義務もあるからあまり話せないけど仕事のことなどなど……三人は互いに言葉を交わしながら、走り続ける。

 そしてその話題は、ついにあゆみのことへと移るのだった。


「あゆみちゃん……昨日、大丈夫だった?」

「ええ、問題ないと思うわ。と言っても、朝に話したりはしてないけれど」

「カノン、ずっと気にしてた。そわそわしてて、正直少し面倒くさかった」

「ええ!? つ、つばめちゃん!?」

「冗談。私も心配してたから」


 表情を変えることなく放たれる言葉に、ツバキもかのんも「え、えぇ……?」となんとも言えない声を出す。

 しかしその後、ツバキは何かを思い出したみたいに「ふふ……っ」と笑いだし、かのんを余計に困惑させるのだった。


「つ、ツバキ……?」

「ごめんね。ちょっと昨日のかのんを思い出して」

「昨日のカノン? ツバキ、詳しく」

「ええ良いわよ。……あのね、昨日かのんと一緒にお風呂へ行ったときのことなんだけど、」

「わー!? わ、わー! ツバキ、それは秘密にしてってー!」


 走りながら話そうとしたツバキの口を、かのんは塞ごうと、大きな声を出しながら手を伸ばす。

 そんなかのんに笑いつつ、ツバキは「仕方ないわね。続きはまた今度」とつばめに伝えつつ、かのんの手を躱した。

 つばめは二人のじゃれ合いを見ながら「楽しみ」と呟いて、ステージ以外では殆ど変わらない表情を、笑みに変えるのだった。


「今度もダメ! もう……! ほら、寮に着いたよ!」

「はいはい。それじゃ二人とも、また食堂で」

「はーい! つばめちゃん、ひなちゃん起こしにいこう!」

「ん、行こう」


 汗を拭きながらそう言って、ツバキと別れた二人は、つばめの部屋へと向かう。

 到着したつばめの部屋では……未だに幸せそうな顔で寝ているひなの姿があった。


☆☆☆


「本当にやるのね?」

「うん、やってみる。自信なんてないけれど……今のわたしを、わたしが知っておきたいから」

「そう。なら私は止めないわ。その代わり、手伝えることがあったら、いつでも言って」

「ありがとう、ツバキさん」


 ツバキがあゆみの部屋へと戻ると、そこには何かを決めたような顔でベッドに腰掛けるあゆみがいた。

 普段とは違う雰囲気のあゆみに少し驚きを感じていたツバキは、そのあゆみから飛び出してきた言葉に、さらに驚かされてしまった。

 それは……“あゆみ単独のステージイベントをやる”という、あゆみの決意だったから。


「それじゃ、まずは……スケジュールを確認して、先生に伝えましょう」

「うん! がんばるね!」


 そう言うあゆみの表情は、昨日とは違う。

 まるでツバキの熱が伝播したみたいに、挑戦しようと、そう思っているような笑顔だった。


☆☆☆


 あゆみが決意してから、早くも二週間が過ぎ去っていた。

 その間、あゆみは普段のレッスンに仕事……それに加え、イベントの準備にも大忙しで、まさに息つく暇もない日々を過ごしていた。

 そんな日々でありながら、こうして今日イベントが開催できたのは、あゆみを支えてくれた仲間達のおかげ。


(ありがとう、かのんちゃん。ツバキさんやひなちゃん、つばめさんも)


 街の広場にある会場はお世辞にも良い場所とは言い難いけれど、今のあゆみに取っては最高のステージ。

 仲間達やイベントスタッフの皆さん、学園の先生方など……たくさんの人が、あゆみのために準備を手伝ってくれたステージだから。


(ああ……そうなんだ。須藤さんが言っていた、みんなが“最高”のために力を使うって、こういうことだったんだ)


 そしてそれは同時に気付かせてくれる、あゆみのステージが“最高”になるための最後のピースは、あゆみ自身が精一杯パフォーマンスすること……。

 曲のイメージに沿うように演じるんじゃなくて、みんなが支えてくれた“成瀬あゆみ”というアイドルの精一杯のパフォーマンスだと。


「怖いけど、がんばる。……だから、一番近くで力を貸してね」


 力を抜けば折れてしまいそうな膝に気合いを入れて、あゆみはモバスタにピンク基調の可愛らしいドレスを表示させる。

 それは、夢へと頑張る少女のためのブランド“Dreaming Girl”の“リトルフラワーコーデ”。

 大輪を咲かせる花を目指す、つぼみのためのドレスだった。

 トップデザイナー“夢見せいじ”の温かさがたっぷり詰まったドレスに、あゆみは小さく微笑むと、「……よし」とまっすぐ前を向く。


「成瀬あゆみ。信じて、私の夢」


 目指したい輝きとは違う弱い輝きだけど、私だけの輝きを、絶対に輝かせてみせるから!

 そう決意を胸に刻み、あゆみはゆっくりとした動きでゲートをくぐるのだった。


☆★☆決意表明のステージ -成瀬あゆみ- ☆★☆


 あゆみがステージに姿をあらわすと、会場が大きな歓声で包まれた。

 その熱量と力に、あゆみは始まったばかりだというのに、嬉しさで泣きそうになってしまい……必死に涙をせき止める。

 そして一言「来てくださってありがとうございます」と頭を下げて、今日のための新曲“Blooming bird”を開始するのだった。


  ――


   春の木漏れ日の中

   私に送られる ピッピッピのラブレター

   キラキラを跳ね返して 飛ぶあなたを追いかけた


   スイスイと空を駆け、せせらぎを飛び越えて

   知らない街もひとっ飛び

   ずんずんと進み行く 風をすり抜けて

   振り返るあなたの顔が見えた


   「さあ、次は君の番」


   歩いてきた道は

   霞んで見えない ずいぶん来たね

   闇と光の ピアノタイル

   スキップしながら行く道を

   楽しむように選んでいこう。


   ほら みて

   空が広い


   飛び立とう 地図なんて無いから


  ――


「ありがとうございます」


 曲が終わると共に頭を下げれば、たくさんの歓声と拍手が広場を埋め尽くす。

 そのことに喜びを感じつつ顔を上げれば、あゆみの視界にはたくさんの笑顔が溢れていた。

 “最高を届けられただろうか”なんて……そんなことはもう聞かなくてもわかるほどに、観客はみんな良い笑顔で笑ってくれていて。

 だからこそ――


「……わたしは、自分自身がアイドルとして輝けているのか、自信がありませんでした。学園の友人達はみんな、ステージの上でキラキラと輝いていて、わたしはずっと彼女達に憧れていたんです」


 今日という日に、私は少しでも変わりたい。

 突如語られはじめたあゆみの言葉に、観客達はみな“おや?”と思いつつも耳を傾ける。

 不思議な空気の中、あゆみは少し照れたように言葉を紡ぐのだった。


「わたしには一番の友達がいます。わたしと同じアイドルで、一番近くで輝いてくれる、わたしにとっての太陽で一番憧れている女の子。わたしにはない輝きで、一緒に居るだけで楽しい気持ちにさせてくれる……私の大好きな友達です」


 観客席であゆみの言葉を聞いていたかのんは、心の中で「あゆみちゃん……」と小さく零す。

 要領を得ない話だけれど、ただ一人ステージの上で話すあゆみから、誰一人として目を離すことができず、静寂の中、あゆみの声だけが空気を震わせていた。


「そんな友達の近くに、わたしはいたい。彼女がわたしを照らすなら、わたしも輝いて、彼女を照らせる存在でありたい。だから自信なく俯くのは、もうやめにしたい。いえ……もうやめたい! だから皆さん、どうかわたしを見守っていてください。アイドルとして、女優として……輝くわたしになるために!」


 言い切って、勢いよくあゆみは頭を下げる。

 ずっと響いていたあゆみの声が静まると、広場はシーンとした静けさが支配した。

 “呆れられちゃったかも……”と、あゆみの胸に後悔が広がり始めた時、「当たり前だァ!」と、男性の声が響き、それに呼応するように「俺も応援するぞ!」「私も!」と、沢山の声で広場が埋め尽くされる。

 その声に、あゆみがゆっくりと顔を上げれば、さっきまでと変わらない笑顔が視界に広がっており、一度は止めた涙を流しながら、あゆみは「ありがとうございます……!」と再度頭を下げたのだった。


☆★☆次回のスタプリ!☆★☆


 ファンと共に輝くことを決めたあゆみのステージは、メディアにも大きく取り上げられ、新しいアイドルの形として認識され始めた。

 そんな中、かのんとつばめに、少し特殊なオファーが舞い込んでくる。

 そのオファーは……学園中を巻き込む大事件、その始まりだった。


 第二十六話 ―― 結成!ほっぷすてっぷ探検隊! ――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る