第六話 こんにちは、もうひとりのわたし

「ツバキ、いっくよー!」

「わ、ちょっとかのん、待って! あゆみごめんね。今日もかのんのレッスンがあるの」

「ううん、大丈夫。かのんちゃんをお願いします」

「うん。それじゃ、またお昼に」


 教室の椅子に座ったままのあゆみに手を振って、ツバキは駆け出していったかのんを追いかけて、教室を出て行く。

 かのんは毎日のレッスンが楽しくて仕方がないみたいに、寮の部屋に戻ってからも、毎日あゆみに“これが出来たけど、これが難しい”みたいに報告をくれていた。

 もちろんかのんに付き合うツバキも、“仕方ない”みたいなスタンスを取りつつも、なんだかんだかのんとのレッスンを楽しみにしているみたいで、あゆみと話す内容は、もっぱらかのんの事ばかりだった。


 けれど、あゆみは――


「ヨゥ、ステップガール! 暗い顔は似合わないぜ、ベイビー」


 モバスタを片手に考え込んでいたあゆみの元へ、マイク先生がギターをかき鳴らしながら近づいてきた。

 あゆみは一瞬呆気に取られたものの、「マイク先生、すみません」と、笑みを浮かべた。


「なんだ悩み事かァ、ベイビー。そういや、お前はまだオーディションの応募、一件もしてなかったなァ」

「……」


 その言葉にピクッと反応はしたものの、無言で俯いたあゆみを見て、マイク先生は“まァしょうがねェか”と、あゆみの肩に手を置いた。

 驚いたように顔をあげたあゆみに、マイク先生は「悩むのは悪いことじゃねェぜ、ベイビー」と笑った。


「少なくとも、無謀チャレンジャーなスタンディングフラワーよりは全然、な……」

「あ、あはは……すみません」


 “まァ、悩んだらいつでも相談にきなッ!”とマイク先生はギターを響かせ、あゆみに背を向け教室を出て行った。

 軽快に去っていったマイク先生を見送りつつ、あゆみはまたモバスタへと視線を落とす。

 そんなあゆみの手の中のモバスタには、たくさんのオーディションが表示されていた。


☆☆☆


「ワン、ツー! ワン、ツー! ワン、ターン」


 一緒に踊るツバキの声に合わせながら、かのんはクルッと身を翻す。

 そして、直後にあるラストの決めポーズをビシッと決めた。


「うへぇ……もう踊れない。なんでツバキはそんなに楽そうなの~」

「かのんは無駄な力が入りすぎなの。体力は私よりあるんだから、その辺りをちゃんと覚えないと」

「うん~、がんばる~」


 息ひとつ乱さないツバキの言葉に返しつつ、かのんはへにょんと床に倒れ込む。

 そんなかのんの姿にツバキは呆れた様子で息を吐いて、ドリンクを手に取った。


「ほら、かのん。水分補給も忘れないでね」

「ん、ありがと。……っはー! 生き返ったー!」

「ホント美味しそうに飲むわね。まぁ、分からなくはないけど」

「この時のために生きてるって感じだよね」


 花が咲いたみたいに笑うかのんに、「なによそれ」とツバキは笑いつつ、何かを思い出したように「そういえば」と口にした。


「あゆみの様子、ちょっとおかしくない?」

「あゆみちゃん? んー、少し元気が無さそうな感じには見えるけど……」

「同じ部屋なんでしょ? 何か聞いてたりしないの?」


 ツバキはかのんの目の前に座り、そんなことを聞きながらずいっと身を寄せる。

 しかしかのんには特に思い当たることがなく、「今日のお昼に訊いてみようよ」と答えることしか出来なかった。


 そしてそんなレッスンの時間から一時間後、かのんは待ちに待ったお昼ご飯を食べるため、学園に併設されている食堂へと来ていた。

 “何にしようかな、何にしようかな”と、ウキウキ気分で列に並ぶかのんに苦笑しつつ、ツバキもまた列に加わる。

 二人とも料理を受け取り、食べる席を探していると、食堂の隅の席で一人座っているあゆみを発見した。


「あゆみちゃん、おつかれさまー! ここ、座っても大丈夫?」

「あ、うん。大丈夫だよ、かのんちゃん。ツバキさんもお疲れ様」

「うん、ありがとう」


 あゆみの隣りに座ったかのんに続き、ツバキはかのんの対面へと座る。

 そこで、料理を載せていたトレーを置いたツバキが、あゆみの前には何もない事に気付いた。


「あら? あゆみはご飯、食べないの?」

「……うん、ちょっと食欲無くて」

「あゆみちゃん、何か悩み事でもあるの? 力になれるかは分からないけど、もしよかった話して欲しい」

「ええ、もちろん私も相談に乗るから」

「かのんちゃん、ツバキさんもありがとう。でも大したことじゃないから」


 そう言って力なく笑うあゆみに、かのんとツバキは顔を見合わせ、大きく溜息を吐く。

 そしてかのんは一気にご飯を平らげ、驚いているあゆみの手を取った。


「ツバキ、片付けお願いしてもいい?」

「うん。いってらっしゃい」

「ありがと! 行ってくる」


 状況についていけてないあゆみの手を掴んだまま、かのんは足早に食堂を後にする。

 そんな二人を見送りながら、ツバキは「がんばれ、かのん」と呟いた。


☆☆☆


 どたどたばたばたと校舎の中を抜け、靴を履き替えた後、外へと飛び出したかのんは、足を緩めることなくどんどん進んでいく。

 靴を履き替えるために途中で手を離してはいたものの、あゆみはかのんがどこに連れて行こうとしてるのかが気になって、そのままついていくことにした。


「かのんちゃん、どこに行くの?」

「えっと、確かこっちの方に……あ、見えてきた」


 寮に向かう途中の道を、少し逸れた先。

 そこには、入学式の夜、かのんがキセキと出会った庭園があった。


「……学園にこんなところがあったんだ」

「うん。入学式の日の夜に、キセキ先輩と会った場所だよ」

「そう、ここが……」


 ツバキの相談をした時、かのんはあゆみにその時のことを話していた。

 だからこそ余計に、この場所がかのんにとって大切な場所だということを、あゆみは知っていた。


「ねえ、あゆみちゃん。なにがあったの? もしかして私には話しづらいこと?」

「……ううん、違うよ。ただ、話すのが少し、恥ずかしかったの」


 庭園の中央にある洋風な東屋の中で、隣り合わせに座った二人。

 心配そうに訊いてきたかのんに、あゆみは少しはにかみながら、ぽつりと話し始めた。


「わたし、どうすればいいんだろうって。みんながオーディションに向けて頑張ってる姿をみて、わたしも頑張らなきゃって思うのに、どうしたらいいのか分からなくなっちゃったの」

「むぅ? どういうこと?」

「うーん……かのんちゃんはキセキ先輩みたいなアイドルになりたいんだよね?」


 話がよく分からず首を傾げていたかのんに、あゆみは突然、そんなことを訊く。

 その質問に、“やっぱり何の話か分からない”とかのんは思いつつも、「うん。そうだよ」と頷いた。


「ツバキさんはお父さん達とは違う、自分だけの道を行きたいって言ってたよね」

「うん。たしか」

「でもね、わたしはアイドルとして、どうなりたいのかが、全然思い付かないの。だから、オーディションも何を受ければいいのか分からなくて……。ね? 全然大した理由じゃないでしょ?」


 「心配掛けて、ごめんね」と照れたように笑うあゆみに、かのんは「んー……」と渋い顔を見せる。

 そしてかのんは数秒ほど悩んだ後、「それってすごく大事なことなんじゃないかな」と呟いた。


「え?」

「だって、目標は大事だもん。野球でもサッカーでも、あの学校には負けたくないとか、あの子には負けないとか、小さくても目標がないと練習に身が入らないよ。私だって、大きな目標は“キセキ先輩みたいなアイドルになりたい!”だけど、その前に“ツバキに追いつきたい”って目標があるから。だから頑張れるんだ」


 なんて、キラキラ輝く瞳で言った後、かのんは笑う。

 そんなかのんの姿を見て、あゆみは“やっぱりかのんちゃんはすごいな”と思った。


「でも、その目標ってどうやって決めれば良いのかな……」

「んー……。分かんないから、とりあえず好きなことをしてみたら良いんじゃないかな? オーディションにしても、練習する曲にしても、あゆみちゃんが好きって思うものに手を付けてみるとか」

「好きなもの……うん、考えてみるね。ありがとう、かのんちゃん」


 少し光明が見えたのか、かのんへと笑顔を見せるあゆみ。

 その笑顔に、かのんは少しだけ安心して、「それじゃ、ツバキのところに戻ろっか」とあゆみの手を取った。


☆☆☆


 かのんとあゆみが庭園で話をしてから、すでに一週間が経過していた。

 しかし、未だにあゆみは自分がどのオーディションを受ければ良いのか、今日も教室で一人、悩み続けていた。

 もっとも、正確には……“このオーディションを受けて良いのか”を悩んでいた。


(大好きなドラマ――“あしたのひるごはん、なにたべたい?”の新キャラクターオーディション、気にはなるんだけど……)


 “あしたのひるごはん、なにたべたい?”は、作家きねづかとみこが描く、通称“あしたべ”と呼ばれる青春ホームドラマ。

 お父さんが早くに亡くなってしまった沢渡家の母“せつこ”と娘“こまち”が、お弁当を通じて親子の絆を紡ぐお話であり、第一期放送時から視聴率が高く、今回第二期が作られることになった作品だ。

 もちろん、あゆみも大ファンであり、原作であるコミックスも全巻集めていた。


(かのんちゃんは、好きって思うものに手を付けてみたらって言ってたけど)


 オーディション参加受付は今日の終わりまで。

 “これを逃したら、もうこのドラマには関われないかもしれない”、そんな気持ちもあって、オーディションの登録直前まで進めるものの……あゆみはそのページを消してしまう。


「はぁ。やっぱり自信ないよ、かのんちゃん……」


 そんな風にひとり呟いて、机へと身体を預ける。

 “ほんと、どうしようかなぁ”と悩みつつも、あゆみの意識は少しずつ眠りに落ちていった。


 それからしばらくして、あゆみはゆっくりと目を覚ます。

 眠っていた自分に驚き、机から顔を上げると、すぐ隣にはかのんが座っていた。


「あ、あゆみちゃん。起きた?」

「うん。かのんちゃん、どうしたの? 何か用があったなら、起こしてくれたら良かったのに」

「んー、特に用はなかったんだけど、待ってようかなーって」


 そう言って笑ったかのんは、「待ってる間、モバスタを見てたら面白いものを見つけたんだー」と、突然モバスタの画面をあゆみの方に近づける。

 そこには、先ほどまであゆみが見ていた“あしたのひるごはん、なにたべたい?”のオーディション詳細の画面が映し出されていた。


「あゆみちゃん知ってた? “あしたべ”の新キャラオーディションだって! あゆみちゃんこのドラマ好きだったよね!」

「うん。知ってるよ」

「知ってたんだー! じゃあもう応募した?」

「ううん、してないよ。……その、わたしが受けてもいいのかなって」


 テンション高く聞いてきたかのんに対し、あゆみは少し困ったみたいな顔でそう返す。

 そんなあゆみの言葉に、かのんはキョトンとした顔を見せて「え、受けてもいいでしょ?」と首を傾げた。


「別に年齢と性別以外は応募条件とかもないし、受けちゃダメとかないと思うんだけど」

「あ、えっと、そういう意味じゃなくて……わたしなんかが受けていいのかなぁって」

「……? よくわかんないけど、あゆみちゃんがこのドラマに出てくれたら、私絶対見るよ? だって、あゆみちゃん、このドラマの話するとき、すごい楽しそうだったから。そんなあゆみちゃんが参加するんだもん。絶対良いものにしてくれる……ううん、良いものにしたいって思ってくれるはずだもん」


 そう言ってのけるかのんに、あゆみは本当に目から鱗が剥がれ落ちたような気がした。


「かのんちゃんって、やっぱりすごいね」

「え? いきなりどうしたの?」

「ううん。……わたし応募してみる。このドラマが大好きだから、それだけは誰にも負けない……よね?」

「うん! あゆみちゃんならきっと大丈夫だよ!」


 屈託なく笑うかのんに、あゆみは心の中で“ありがとう、かのんちゃん”とお礼を言って、オーディションへの参加を出す。

 その画面をかのんに見せて、あゆみは久しぶりに心から笑ったのだった。


☆☆☆


「放っておいてよ! 私は別に誰かと友達になりたいわけじゃない!」


 あれから数日が経ち、“あしたべ”オーディションはついに演技の項目へと進んでいた。

 椅子に座って自らの順番を待つあゆみの前では、他の参加者による演技がなんども行われており、あゆみはずっと“みんなすごいなぁ”と感心しっきりだった。


(この新キャラクター“みき”は、海外赴任した両親と離れ、両親の知り合いが大家をするアパートに引っ越してきた女の子。寂しがり屋だけど素直になれず、主人公の“こまち”にキツく当たっちゃう性格……。わたしとは全然違う女の子)


 “自信がなくて、かのんちゃんが一緒に居ないとすぐダメになっちゃう私とは全然”……なんて思いながら、あゆみは心の中で小さく笑う。


(でも、今日のわたしは、わたしじゃないから! 自分を消して、“みき”になるんだ)


「では次の方、お願いします」

「はい」

「自分の名前を言ってから、演技を始めてください」

「……綺羅星学園、成瀬あゆみです。よろしくお願いします」


 椅子から立ち上がり、名乗った後に深く頭を下げる。

 その瞬間、あゆみの頭の中から“あゆみ”が消えた。


「……放っておいてよ。私は別に、誰かと友達になりたいわけじゃない……!」


 豹変したあゆみの雰囲気に、審査員はおろか、他の参加者も息を飲む。

 しかし、当のあゆみはそんなことなどいざ知らず、そのまま演技を続けるのだった。


☆☆☆


 人気ドラマ“あしたのひるごはん、なにたべたい?”の第二期新キャラクター発表会の舞台裏で、あゆみはドキドキ高鳴る心臓を抑えようと息を整えていた。

 そう、二週間前に行われたオーディションでは、なんとあゆみが合格をもぎ取ったのだ。

 そんなあゆみのために作られた特設ステージで、あゆみは今日パフォーマンスを披露することになっていた。


「ダメ、ドキドキが収まらない。いまだに夢なんじゃないかなって思っちゃうけど……」


 あゆみが手に握るモバスタには、特設ステージに合わせて用意されたドレス――“リトルフラワーコーデ”が表示されており、これが夢ではないことを如実に表していた。

 ピンクを基調とし、花開く前のちいさなつぼみをイメージしたドレス。

 それは、あゆみの好きなブランド“Dreaming Girl”が手がけてくれた、この日のための特別なドレスだった。


 そんな素敵な出来事に感謝していれば、ついにその時がやってくる。

 あゆみはドキドキと高鳴る心を受け入れて、モバスタをセットした。


「成瀬あゆみ! 信じて、私の夢」


 そう言って、あゆみは開いたゲートへと飛び込む。

 自分を信じてくれた幼なじみの顔を思い浮かべながら。


☆★☆“あしたのひるごはん、なにたべたい?”特設ステージ -成瀬あゆみ- ☆★☆


 飛び込んだ先に広がっていたのは、体育館を大きくしたようなステージ。

 大人気ドラマの新キャラクター発表会ともあって、本当にたくさんの人が会場に来てくれていた。


「みなさん、初めまして。“あしたのひるごはん、なにたべたい?”の新キャラクター“みき”役の成瀬あゆみです! 今日はよろしくお願いします」


 あゆみがそう言って頭を下げると、開場からは歓声と拍手が返ってくる。

 そのことがすごく嬉しくなって、あゆみは笑顔を浮かべたままパフォーマンスを始めた。

 少し切なくも、愛しい人への願いを歌うラブソング“悠久ロマンチカ”を。


 ――


   私の紡ぐ ステップの物語

   あなたに見せたい もう一人の私

   情熱的で でもどこか儚げで

   あなたの知らない もう一人の私


   いつだって 二人は一緒にいた

   だけど時は無情に 二人を遠ざける


   ねぇ、私はここにいるわ

   あなたを見ているわ

   ひたむきで 輝いた あなたを見ているわ

   いつかまた二人が ともに夢を見て

   並んで歩ける


   そんな日をずっと 待っている

   道よ交われ ロマンチカ


 ――


☆☆


「あゆみちゃん、すっごくキラキラしてる」

「ええ、そうね。情感たっぷりで、まるで本当に愛しい人がいるみたいに聞こえるわ」


 あゆみのステージを応援に来たかのんとツバキは、普段とは全然違うあゆみに驚きつつも、そのパフォーマンスに心を昂ぶらせていた。

 それは他の観客も同じだったようで、中には顔を赤らめている人も見え、会場全体があゆみへと視線を引き寄せられていた。


「フゥ! こいつァ将来有望だぜェ。カミシロもうかうかしてらんねェなァ?」

「ふふ、私も負ける気はありませんから」


 楽しそうに笑うマイク先生とツバキを見て、かのんは“私ももっと頑張らないと”と気合いを入れ直す。

 そんな風に、三者三様、あゆみに対して思うところを持ちながらも、無事あゆみのステージは幕を閉じたのだった。


☆★☆次回のスタプリ!☆★☆


 オーディションに合格し、めきめきと頭角を現しはじめたあゆみ。

 呼応するように、元々有名だったツバキも負けじとレッスンに励んでいた。

 そんななか、かのんはまだオーディションに合格することができなくて……。

 

 第七話 ―― 合格へのターン ――

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