『拾ったバイクと元ヤン彼女⑮』


 コンビニで引継ぎに手間取り少し遅い時間になって、僕は美香さんの家である久留世モータースへとやって来た。美香さんは相変わらず作業台の上へと座りテレビを見ながらコーヒーを飲んでいた。


「こんばんわ」

「おう、光一。来たか」

「はい」

「これ証書とシールな。証書は防水ケースに入れってから標識交付証明書と一緒にして工具入れに入れときな。んでシールはナンバープレートの左上に張りな」

「はい」


 僕はカブに近寄りサイドカバーを外し、車載工具と一緒に書類を仕舞った。次に持って来たバッグからナンバープレートを取り出し左の上にシールを張った。ねじを締めてカブに真新しいナンバープレートを取り付ける。


「おお!」思わず声を漏らした。


 これで、ついにこのカブも大手振って公道を走れるようになった。


「良かったな」美香さんが言ってくれた。

「はい! それもこれも美香さんのお陰です」僕は頭を下げた。

「別にいいよ。気にすんな」


 そして、僕は美香さんの方を向き真っ直ぐに目を見つめた。


「それで美香さん。改めてお願いがあります」

「ど、どうしたんだよ、そんなに改まって……」


 美香さんが動揺している……。むう、これは面白い。ついでに先日のお返しをしよう……。


「真面目に僕の話を聞いてください。大切な話があります」そう言って僕は両手で美香さんの肩を抑え、真っ直ぐに目を見つめた。

「はい!」


 僕は大きく深呼吸し、そして、一気に伝えた。


「美香さん、どうか僕にバイクの修理を教えてください!」

「ふえっ!」


 何故か美香さんは素っ頓狂な声を上げた。そのまま、固まっている……。おや? 少し予想と違う。


「えーと、だから僕に修理を教えてください」

「それって、ププププロポーズか……」

「いえ、違いますよ。何言ってんですか。弟子入りの話しですよ」

「はあ……?」


 美香さんは赤い顔で下を向きプルプルと震え始めた。


「勘違いするような話し方してんじゃねえ!」


 グーで殴られた。これは理不尽だと思う。


「別に改まって言う事じゃねえだろが! 普通に言えば普通に教えてやるよ」

「いえ、そうでは無くて、もっと本格的に……」頬が痛い。


「ほう……。なーる程な、チナっちの奴に何か吹き込まれやがったな」

「まあ、そうなんですけど……。でも、僕は本気でバイクの修理を習いたいと思っています」

「ふん、まあ、おめーがそう言いだすのは最初から分かってたけどな」

「え? わかってたんですか」

「ああ、おめーのそのカブを見る目が捨てられた子犬を見る様な目をしてたからな。そうやってバイクに感情移入する奴は間違いなく深みに嵌っていくんだよ」

「バレてましたか……」

「だけどな、光一。バイクの修理って言っても実際には面倒な事も多いし、体力も使うんだぞ」

「それは、わかってるつもりです」

「仕事にするつもりなら、楽な仕事じゃねーぞ」

「覚悟してます!」


「ふーん、良いだろう。なら、あたいがみっちり仕込んでやるよ」

「はい、よろしくお願いします」


 それから、美香さんと話し合い、コンビニのアルバイトは夜のシフトに移動させてもらって当面続け、昼に美香さんの働くバイク屋に行って見習いをすると言う話しになった。


「松見のおっさんにはあたいからも話しておくよ。まあ、すでにチナっちが言ってるだろうけどな……」

「そうなんですか」

「ああ、あいつはそう言う女だよ」

「そうですか……」それはそれで怖い話だ……。


「ああ、それからコレおめーにやるよ」そう言って美香さんは照れ臭そうに赤いジェットヘルメットを差し出した。

「ヘルメット? 原付だからいらないですよね」

「馬鹿、バイクに乗るならメットは被るもんなだよ。あ、あたいのお古だけどな……」そう言って美香さんは照れ臭そうに横を向く。

「ありがとうございます」

「そんじゃ、気―付けて帰りな」

「はい」


 外はすっかり日が暮れていた。僕は暗くなった夜道を愛車のカブに乗って走り出した。

 街灯すら碌に無い山道。気の早いカエルの鳴き声が聞こえてくる。僕のカブは坂道を駆け上がって行った。


 峠の頂上からは満天の星空が見渡せた。疎らに明かりの灯る田園風景。ようやく暖かくなり始めた夜風が吹き付けて来る。真上にはおとめ座のスピカ、うしかい座のアルクトゥールス、しし座のデネボラを結ぶ春の大三角……。北の空にはおおぐま座の北斗七星が瞬いていた。


 始めてバイクに乗り出したこの日の夜空を僕はきっと忘れない――。


 僕はバイクを拾った。

 それは畑の隅で雨に濡れ今にも朽ち果てていこうとしていたスーパーカブだった。

 しかし、そのカブは修理を教えてもらい、僕の手で息を吹き返したのだ。

 今ではこうして元気に野山を駆けている。エンジンが鼓動のように小さく震えてる。血液の様にオイルが巡り僕の足元をほんのりと暖かくする。僕に沢山の感動を与えてくれる。バイクで走るというのはきっとこういう事なのだろう。


 この時、僕はこの先もバイクに係り続けていこうと決意した……。



 こうして、僕は美香さんの働くバイク屋を手伝う様になり、美香さんは久留世モータースの再建に向けて動き出した。


 その後、暫くして久留世美香さんは結婚した。お相手はあの福山さんだった。彼は大学で勉強していた経営学を元に再開した久留世モータースを大いに盛り上げたそうだ。

 ちなみに福山さん……現:久留世充くるせみつるさんにれば『生島さんにうまく騙された』そうである。コンビニの駐車場から襟首を美香さんに掴まれて引きずられていく福山さんを見て、生島さんは小さな声でドナドナを歌っていたのが印象的である。本物の牛が連れていかれる時にさえ、歌っていなかったのに……。ごめんなさい、少し責任を感じる……。


 そんなある日のこと、家に帰ると家庭裁判所からの通知が届いていた。僕の戸籍の入れ替えが無事認められたのだ。

 その時から僕は母方の姓である『広重』を名乗る事になった……。



 俺はその後、美香さんの働いていたバイク屋に勤めることとなり、いつしか周囲から広重店長と呼ばれるようになっていた。

 そのお店の名は、この街の埠頭の一番近くに建っているお店と言う事で〝港屋〟である。




『拾ったバイクと元ヤン彼女』――完。


 ※原付のヘルメット着用義務化は1986年からです。

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