『拾ったバイクと元ヤン彼女⑩』


「よう、光一。これ使いな」


 そう言って美香さんは黒いゴムのリングを投げて寄越した。

 黒くてテカって何故かヌメヌメしている。


「何ですかこれ、いやらしい物……」

「ちげーよ、オイルパッキンだよ。んでこっちはガスケットだ」

「そうですか、良かった」

「おめー、そりゃどう言う意味だよ。あたいがこんなんでもさすがにそれは傷つくぞ」

「いえ、美香さんは美人で胸もおっきくて魅力的ですけど、僕の師匠ですから」

「うっぐ……ん、まあ、そりゃ、何だ。あんがと……」


 美香さんは赤くなった顔を隠すように横向きぶっきらぼうにそう答えた。この人意外に打たれ弱いのかもしれない……。


「でもこのパーツ、新品ですよね」

「ん? ああ、まあ、気にすんな。あたいが今手伝いに行ってるバイク屋の在庫に丁度それがあったんだよ」

「悪いですよ、後でお金払います」

「まあ、そう言うんなら今度請求するよ」


 在庫と言う割にはこのパーツは随分と新しいものに見える。もしかすると美香さんが事前に注文を入れて置いてくれたのかもしれない……。


 僕は新品のオイルシールを使いキャブレターを元の通りに組付け始めた。外したオイルシールとガスケットを一か所に集め美香さんに教えて貰いながらパーツが残らない様にしっかりと組み上げた。


「んで、このネジがエアースクリューとスロットルスクリューな。エアスクリューが混合気の濃度の調整。スロットルスクリューがアイドリングの調整をするんだ」

「えーと、それは……」

「まあ、それはエンジン掛ったあとで教えてやる。エアを一回転半ほど戻して、スロットルを二回転戻しな」

「はい」


 言われた通りに二つのネジをドライバーを使って反時計回りに戻す。


「よし、そんじゃエンジンに組み付けるか」

「はい」


 僕は前の手順とは逆にマニホールドにキャブを付け、スロットルバルブを閉め込んで、エアクリーナーを嵌めた。最後に燃料系のチューブを差し込んだ。


「よし、次はタンクだ」

「はい」


 燃料ホースをつなぎボルトを締めてタンクを固定する。


「もう一回タンクキャップを開けろ」

「えーと、それは」

「只のガソリンだよ。ちゃんと修理出来てりゃこれでエンジンが掛かんだ」

「え、そんなに簡単に直るもんなんですか」

「あのな、バイクてのはちゃんとガソリンがエンジンに行って、火花が飛べば一応動く様になるもんなんだよ」

「そう、なんですか……」


 とてもバイク屋の発言とは思えないが、美香さんがそう言うのならそうなのだろう……。


「よし、キャブんとこのガソリンコックをオンにして、左側のチョークレバーを少し押す」

「はい」

「キーをオンにして、キックを二度ほど軽く蹴り込んで、キックが一番重くなるところでキックを戻す。そんで一気にキックを踏みつける。やってみ」


 僕はカブに跨ってゆっくりキックを踏んだ。一回・二回……。そしてキックが一番重くなるところでキックを戻し、一気に蹴り込んだ。


 〝バルーン!〟 軽い音を立ててエンジンが掛かった! パタパタと回り続ける。


「んで、どうよ。自分の修理したバイクが動いた感想は」

「…………」


 何だろうこの感覚……。機械なのだから修理すれば動くのが当たり前だ。なのに、何かが違う。プルプルと手に伝わる振動がまるで生き物の様に感じる……。


「感動しました……」

「な、バイクってのはそう言う乗り物なんだよ。自分で直せば愛着も湧くし、逆に人の好みに合わせていじる事も出来る。そう言うとこが楽しいんだ」

「はい……」


 僕は自分の両手を見つめた。命を吹き込む。機械に対して言う言葉ではないかもしれない。しかし、桜の木の下で朽ち果てようとしていたカブは、今、蘇った。たぶんその事実に感動したのだ。僕はギュッと拳を握り込んだ。


「おい、いつまでも感動してねえでチョーク戻せ」

「あ、はい」


 僕は慌ててキャブの左側にあるチョークレバーを戻した。

 美香さんがそのすぐ横にあるエアスクリューにドライバーを当てる。


「このエアの調整は本格的にやろうとするとちょっと難しいからあたいがやんよ。まあ一番簡単な方法を教えると、こうやってちょっとずつ締めたり開けたりして一番アイドリングが高くなるところを探す……。そこから少しだけ締めると適正位置なんだが、その加減は経験で覚えるしかねえんだ」

「はあ」

「今日はあたいがやっとくから、次からは自分でやりな」

「はい」


 その後、美香さんはスロットルスクリューも回してアイドリングの調整も行った。


「よーし、ちょっとスロットル開けてみ」

「はい、あれ、動きが渋いですね。スロットルが戻らない」

「ちっ、インナースロットルも直さねえと駄目か」


 そう言うと美香さんはハンドルに付いたスイッチボックスを手早く分解しアクセルグリップを外した。


「グリスが腐ってんな、ちっとそこのウエス取ってくれ」

「はい」


 そして、ハンドルの中のスライドするパーツを取り出してスプレーを拭きながら汚れをふき取った。そして最後に別のスプレーを吹き付けて組み込んだ。


「あれ、そこにはリチュウムグリス塗らなくていいんですか」

「スプレーグリスだよ。昔はこんなもん無かったから何でもイモグリ塗ってたけど、今時の修理は色々グリスを使い分けんだよ」

「へー、奥が深いですね」

「何でも一緒だよ。ドンドン新しもんが出てきて便利になって来る。その度に使い方を覚えなくちゃいけねえ。よし出来たぞスロットル回して見ろ」

「おお!」


 今度はすんなりと回った。

 ドルーン! ドルーン! とエンジンが軽快な音を奏でる。


「よし、ついでにオイル交換もやっちまうか」


 そう言って美香さんは作業場の隅から油で汚れたトレーを持って来た。

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