『拾ったバイクと元ヤン彼女⑪』


「え~っと、確かカブのワッシャーはM12だったよな……」美香さんが作業場の隅で段ボール箱を漁りながら呟いた。「お! 在ったこれだな」


 美香さんは段ボール箱の中から銀色のワッシャーを取り出した。


「でも、どうして急にオイル交換をするんです」

「オイル交換はエンジンが温まってる時にやんだよ。でもあんま熱いと火傷っすから丁度今くらい温めてやんだよ。それにちょっと気になった事があってな……」

「気になった事?」

「ああ、取り敢えずエンジンの下のドレンボルトをこいつで外せ」

「これは、何ですか」

「ラチェットレンチつって、一方向にしか回らないレンチだ」

「はい、わかりました」


 僕はエンジンの下に付いている大きなボルトをレンチで回した。ボルトが外れた瞬間にダラッとオイルが垂れて来る。


「コーヒー牛乳みたいな色してますね……」


 カブの下から垂れて来るオイルは妙に白っぽい茶色をしていた。


「ああ、乳化だよ」

「乳化?」乳化と言えばマヨネーズみたいな物だろうか……。

「オイルに水分が混じるとこうなんだ。エンジンのメカニカルノイズが大きかったからオイル切れしてるかと思ったが、乳化の所為でオイルが回らなかったんだな。これもあんま酷くなるとエンジンが焼き付いたり、錆の原因になるんだ」

「それ、大変じゃないですか」

「ああ、でもマメにオイル交換してりゃ大丈夫だ」


 オイルが出なくなるまで暫く待ってキックを何度か蹴って完全にオイルを絞り出す。ワッシャーを交換してドレンボルトを手でしっかり締め付ける。最後だけラチェットレンチで少し増し締めした。

 作業場の奥に置いてある大きな缶から美香さんがジョッキにオイルを入れてきた。


「ほら、さっきのと全然色違うだろ」

「本当ですね。綺麗な琥珀色してます」

「まあ、エンジンに入れるとすぐに黒くなっちまうんだがな。カブのエンジンはオイル交換だけしっかりやってりゃそう簡単には壊れねえんだ」

「そうなんですか」


 美香さんはオイルキャップを開けてエンジンにオイルを注いだ。半分以上のオイルを注ぎ一旦キャップを戻しオイルレベルを確認する。


「ほら、ここの先にオイル付いてるだろ。オイルはこの上の線まで入れんだ」

「はい」


 何度もオイルキャップを抜き差しし、レベルを確認しながらオイルをつぎ足す。上限ピッタリで入れるのを辞めてオイルキャップを締めた。


「よし、光一。レッグシールドを付けな」

「はい」


 僕は最初に外したカブの外装取り付けた。これで一応元の状態に戻った。


「出来たな。だったら光一。シェイクダウンしようぜ!」

「え? シェイクダウンって何ですか」

「んだよ、試走の事だよ」

「いやいや、まだ登録もしてないですよ」

「ウチの駐車場の中だけなら問題ねえよ。それにな……」


 そう言いながら美香さんはこちらを向てニヤリと笑いながら言い足した。


「バイクってのは乗って走ってなんぼだろ?」



 僕達はカブを作業場のガレージから押していき店の裏手にある駐車場へと移動した。

 外はすでに真っ暗になっていた。街灯すらあまり無いここの夜空には驚く沢山の星が瞬いている。その星を見ながら僕はカブのエンジンを掛ける準備を始めた。


 キーをオンにし、チョークを少し下げ、キックを軽く二回踏み込んで、ゆっくりとキックが一番重くなるところまで踏み下げる。一旦戻し、そして、一気に蹴り込んだ!


 〝ドルン!〟軽い音を立ててエンジンが始動する。暫くしてエンジンの回転が上がってきたらチョークを戻す。左手のボタンを押してライトを点灯した。


「そんじゃ、チェンジの仕方を教えるが、こいつは旧式のチェンジになってんだ。だから、その状態から左足踵を踏み込むと一速だ」

「はい」

「次に爪先一回踏み込んでニュートラルに戻って、もう一回爪先で二速。もう一回爪先で三速に入る」

「一速・ニュートラル・二速・三速ですね」

「そうだよ。そこから踵二回踏めばニュートラルに戻る」

「はい」

「カブは遠心クラッチだから自動でクラッチは切れる。そんでチェンジを上げていくときは、一旦スロットルを閉じて、チェンジを上げてからまたスロットルを開ける。んで、落とすときにはブレーキを掛けながら一回ずつ踵を踏む。まあ、後は走りながら覚えな」

「はい、それじゃ行きます」


 バイクには免許取得の講習時に一度、スクーターに乗っている。さらにカブの走り方については実は福山さんに聞いていた。彼は以前やった酒屋のアルバイトで古いカブに乗っていたそうだ。なのでカブにクラッチが無いことや三速のミッションである話は聞いていた。そして、イメージトレーニングは済んでいる……。


 左足の踵を踏んで一速へ入れる。ゆっくりとスロットルをひねり徐々にエンジンの回転数を上げていく。


 〝ググッ〟と言う感じに僕のカブは走り出した。

 

 想像していたものとは全く違う。走っている! 僕を乗せて! 小さなエンジンが唸りを上げて! そのことが単純に嬉しい。僕は広い駐車場をカブに乗ってグルグルと回った。


「おい、そろそろチェンジ上げろ!」美香さんに怒られた。


 いけない、テンションが上がり過ぎて忘れてた。僕はスロットルを閉じ爪先を踏み込んだ。一回、二回。そして同時にスロットルを開け放つ。

 ガンと音を立てカブが加速した。おお! しまった、アクセルを開け過ぎた……。僕は慌ててスロットルを閉じた。一瞬、前につんのめる。


 あれ? カブってこんなロデオみたいな乗り物だったの……。


 今度は徐々にスロットルを開けていく。軽い音を立てて次第にカブが加速していく。面白い。


 エンジンの回転数が上がり速度が上がったところで一瞬スロットルを閉じ爪先を踏み込む。〝ガッ〟今度はゆっくり速度が上がっていく。


 美香さんは駐車場の隅で空を見上げて煙草を吸っている。僕は楽しくて駐車場を何周もグルグルとグルグルと回り続けた。


 真上には春の大三角形。北の空には北斗七星が瞬いているのが見えた。

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