『峠を走る人②』
結果を言えば惨敗だった……。
コーナリングも立ち上がりも全く
これでも俺はこの峠で負けたことは無かったのだ。少なくとも自分ではそう思っていた……。
何故だか当時それが無性に悔しかったのを覚えている。別にこんな所で速さを競う意味など無いと言うのに……。
だが俺は、翌日、港屋に行きVT250Zを下取りにして発売されたばかりの,88NSR250のローンを組んでいたのだった。
そして、翌週になって届いたそのバイクは実にとんでもない代物だった。
勿論、最初にイグナイタのコネクターは引っこ抜いた。情報は雑誌を読んで知っていた。このバイクに乗る為の儀式のようなものだからである。
ガチガチに硬いフレームにぶっといタイヤ。軽い車体にアホになる程のパワー。
「何これ、俺に突き刺されと言ってんの」思わず愚痴をこぼしてしまった。
そして、乗り始めてすぐに判った。兎に角このバイクは曲がろうとしないのだ。
普通に街中を走っている分には問題ない。しかし、一旦峠に入りスピードを上げてコーナーに侵入すると全くリアタイヤが言う事を聞いてくれない。無理にパワーを掛けてスライドさせると一気にタイヤが滑り出し止まらなくなってしまう。
そのまま俺は転倒した……。
――うん、何だこのバイク。レーサーレプリカって何? 俺は割れたアンダーカウルを背負って泣く泣く港屋へと引き返した。
それからは思考錯誤の連続だった。
ライトは汎用の丸目ライトに交換してカウルは全て取り去った。ハンドリングの軽さを補うためにステアリングダンパーを取り付けた。週末の度に峠に通いただひたすらにコーナーを攻めた。
そして、次第に理解した。
このバイクの特性は思いっ切りブレーキを掛け、フロントに荷重を乗せたまま寝かせ、そしてスロットルを開けてテールを流す……。本気でホンダの開発陣の正気を疑った。まるでバイクがもっと速く、もっと前へと叫んでいるように感じた。
恐らくサーキットのセッティングをそのまま公道にフードバックさせたのだろう。安全運転とは真逆の発想。恐ろしく速いが震えるほど危険なバイク……。それが,88NSR250と言うバイクだった。
この峠には同じ型のNSRも何台かは居たが、誰もコーナリング中にスロットルを開けようとはしなかった。当たり前だ。普通コーナーでアンダーが出ればスロットルは閉じるものだ。このバイクがおかしいのだ。
しかし、まともに峠を走れるようになった頃、俺にはもう敵はいなかった。
この峠でも主流を占めていたTZR250。古株のRZ250Rに350R。最近増え始めた4ストロークのFZRにCBRにGSX。どれも何なく引き千切れるようになっていた。
そんな頃、またしてもあいつが現れた。〝黒い妖精〟
最近では平日の深夜に現れていた様だ。駐車場でギャラリーたちが騒いでいるのが聞こえた。黒い妖精と言うあだ名もその時知った。俺はNSRのエンジンを掛けた。
俺はそいつが上ってくる前に駐車場を飛び出して峠下の直線へ向かった。正直言ってダウンヒルでは勝負にならない。それがこのバイクの特性だ。とにかく速く走る為にアクセルを開けなければいけない仕様なので下りは恐ろしく苦手なのだ。仕方ない……。
下の直線でUターンして妖精を待つ。
〝フォー〟と甲高い音を響かせて峠をバイクが降りて来る。直線の先にヘッドライトが見えてきた。フォンフォンと吹かしながらシフトダウン。
ボッボッボッボッ……。アイドリング状態の妖精が目の前でUターンした。
「よお! 勝負しようぜ!」俺はメットのバイザーを跳ね上げてそう叫んだ。
無言の妖精がライトスモーク色のバイザーの中で微笑みかける。
――笑ってやがる! こん畜生! すぐに笑えなくしてやるよ! 俺は務めて冷静を装いながらメットのバイザーを閉じた。
黒い妖精が左手を上げて軽く手を振る。前に行けと言う合図だ。
俺は迷わずスロットルを全開にした。
派手に白煙を上げながら俺のNSRは加速する。二速・三速までフロントタイヤが浮いてくる。タンクに胸を押し付けてそれをこらえる。あっという間に眼前に左のヘアピンが迫ってきた。
俺は迷わずフルブレーキングした。フロントサスが沈み込む。そのままねじ伏せる様にバイクを寝かしハングオン。スロットルを開け放つ。コーナーのインサイドを舐めながら甲高いエキゾーストを上げて弾丸のようにコーナーを抜けた。
「どうだ!」
バックミラーに後続車のライトが映る。引き離せていない……。俺は愕然とした。だが、前を抑え込めたのは事実だ。負けてはいない!
右のR35のコーナーが迫ってきた。次は前を抑え込むなど考えない。最も理想的なアウトインアウトのコース取りで引き離す!
シフトを二つ落としてコーナーへと差し掛かる。ブレーキングからのハングオン。スロットルを開けていく。グリップ状態を保ったままのNSRが加速していく。そしてクリッピングポイント過ぎたところでスロットル全開。フロントタイヤを僅かに浮かせながら俺のNSRはさらに加速した。直後、バックミラーにライトが映り込む……。離せていないだと……。
「……」
今のが俺に出来る最高のコーナリングだった……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます