『峠を走る人①』
「なあ、店長。昔、俺が峠を走ってたのって何だったんだろうな」
俺の名前は
「何だよ、いきなり」
ごつい身体をしたこの店の名物店長の
「いや今ふと思ったんだが、昔、ガムシャラになって峠を走ってたのってどうしてだったか思い出せないだよ」俺は天井を見上げ呟いた。
「何言ってやがる。昔はフルカスタムのNSR250に乗って、週末になると目の色変えて走りに行ってじゃねえか」
「まあ、そうなんだけどな。今、思い出すとどうして当時はあんなに夢中になって走ってたのか思い出せないんだよな……」
「それが大人になったって事なんじゃないのか」
「そうなのかな……それって、何か寂しい気がするな」
「確かに当時はお前が一番落ち着くなんて言葉が似合わない奴だと思ってたがな。ハハハ」
「そっか……」
「よし、出来たぞ」
店長が手にしたレンチをウエスで拭いて工具箱へと放り込む。〝キン!〟店内に金属音が響き渡る。
俺は手にしたブラックの缶コーヒーを一気に飲み干した。
「まだ、ブレーキ交換したばかりだからな。当たりが出るまで飛ばすんじゃねえぞ」
「わかってるよ」
「それにしても、お前が限定解除してまで欲しいバイクがこれだったとはな……少し驚いたぜ」
「まあ、ちょっと、思い入れがあってな……」
俺は見つめた。
ホンダCB750F FCレッドホワイト……。
1980年代……日本はバイクブームに沸いていた。
次々と発売される革新的なテクノロジーのバイクたち。皆、その速さにあこがれを持っていた。そしてそんなライダーたちが峠に集まり速さを競い合っていたのだ。
CB750Fはその80年代前半を代表する、ホンダが最もホンダらしいバイクを作っていた時期のバイクである。直線を基準とした武骨なスタイリング。今時の750ccバイクと比べれば大柄な車体に細いタイヤ。乗り心地は意外にもマイルドで回せば回すほどパワーが出て来る。乗り易さと速さの両立をさせたスポーツバイクである。
店長がセルを回してエンジンを掛ける。
〝ヒュ、ボン! ボッボッボッボッ……〟軽い音を立ててエンジンは一発で掛かった。
CB750Fの水冷四気筒エンジンが低い唸り声を上げている。
――ああ、この音だ……。
俺がいつも走っていた峠には一つの伝説があった……。
〝黒い妖精〟
赤いCB750Fに跨った真っ黒なレーシングスーツを纏い黒いシンプソンのヘルメットを被った小柄な人物。そいつこそが当時その峠道の最速を名乗っていた。
スムーズな減速。素早い切り替えし。思い切りの良い加速。最初の印象は確かに速いがどれをとっても何の変哲も無い走りのライダーに見えた……。
しかし、ひとたび後ろに付いてみると判ってしまう。どのタイミングに置いても隙が無い。いや、このライダーにはミスと言う物が存在しないのだ。
ギリギリのタイミングのブレーキング。タイヤが僅かに滑るコーナリング。スピンしながらもグリップを保つ立ち上がり。全てに置いて正確で全てに置いて完璧だった。あまりに完成度が高過ぎて全ての動作が普通に見えていただけなのだ。しかし、誰もそいつに付いていけなかった。
週末の深夜になると時折姿を現し、何度か確認するように峠を往復し帰って行く。
俺が知っている中で最初にちょっかいを掛けたのはこの峠に来ていた柄の悪いガキどもだった。
RZ250RにTZR250、それにRG250Γ……。
当時、80年代も後半に差し掛かって峠は大柄な750ccバイクから、小柄で機動性に優れた2スト250ccのバイクが主流の時代に替わっていた。
彼らにして見ればナナハンバイクはただ図体のデカい獲物にしか見えていなかったのだろう。
峠下の直線でUターンしていたその赤いCB750Fの前後を挟む形で三台のバイクが追走する。そしてヒルクライムバトルが始まった。
「あいつら、エグイ事しやがるな……」俺は峠上の駐車場からその光景を眺めていた。しかし……。
最初は左のヘアピンカーブ。
ブレーキングであっさりとRG-Γが抜かされた。丁度車体一台分前に抜き出たCBがひらりと車体を寝かし、インベタでコーナリングを開始する。
僅かに遅れたRG-Γがコーナーへ侵入し慌ててアクセルを煽った。途端にテールグリップを失い暗い夜道にライトが踊る。何とか立て直した様だが後続のRZにも抜かされた。
次は右のR35コーナー。
先行しているTZRにCBが一気に迫る。インベタでコーナーを曲がるTZRに対して理想的なアウトインアウトでCBが食らいつく。しかし、次の緩やかな右コーナーでもTZRは前を譲らない。インをしっかり締めてCBのラインを塞ぐ。そのまま次の左のヘアピンカーブが迫ってきた。
アウトインインのブロックラインで走るTZR。それに外から覆いかぶさる様にCBが並ぶ。
その時、一瞬、CBのライトが揺れた……。
次の瞬間、僅かに孕んだTZRの内側をCB750Fの車体がすり抜けていく。
恐らくCBは強引にテールスライドさせて一気にコーナーを曲がって立ち上がり勝負に持ち込んだのだ。落ち着いて対処さえできていればTZRにもまだ目はあった。しかし格下と侮っていた相手に一瞬でも先行されたことに動揺したのだろう。TZRはその瞬間に戦意を喪失したのだ。悠然とした風格を漂わせCBがTZRを追い抜かしていく。
誰の目から見てもテックニックの差は明らかだった……。
その後、CBは三人を引きはがしそのまま峠を上ってきた。
あの三人の悪ガキどももこの峠では決して遅い方ではない。だが、相手が悪すぎた……。走りの次元が違うのだ。
峠を上った赤いCB750Fがこの駐車場に入ってきた。そして、クルリとその場でUターンをしてまた道へと引き返していく。
俺は思わず当時の愛車だったスぺ忠マフラーのVT250Zのエンジンを掛けた。
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