閑話:渋滞


「それにしても、この辺りえらく様変わりしているな……」


 僕は峠を越えて日本海へと辿り着いた。

 前にここを通り抜けたときは対向二車線の狭い道路だったのが、何やらバイパスの工事をしていたり道幅が広がっている。まあ、渋滞が少なくなるのは嬉しい事だ……。しかし、今、僕は絶賛、工事渋滞に嵌っている最中だ。


 実は何気に、渋滞はツーリングライダーの天敵だったりする。

 大きくはみ出しふらつくほどの重さの荷物は、すり抜けや追い越しを容易に許してくれない。どうしても、ゆっくり走る車の後ろについてストップ&ゴーを強いられるのだ。これが辛い。

 ただでさえ重さで運転が難しくなっている所に、ゆっくりと走らされると車体が余計に不安定になるのだ。更にバイクは止まる度に車体を足で支えなくてはいけない。

 これがもし真夏だったとしたら、逃げ場のない渋滞の中、照り付ける太陽、フライパンの様に熱せられたアスファルト、周囲の車が出す熱を帯びた排気ガス、これにバイクにはエンジンと言うストーブを抱えて走ることになる。正に地獄の様な責め苦を味わわされるのである。今はまだ気温の低い六月で良かった……。


 そんな渋滞への対処法は、ただ一つ、「とっとと、あきらめろ!」である。

 渋滞に嵌ってしまえばもう、早々にあきらめて耐えた方が良い。 正確に言えば、車間距離を多めに取って身体全体でバランスを保つようにして鼻歌でも歌いながら心に余裕を持って走る。である。そして後は耐える。これは忍耐力が試されているのだ! と自分に言い聞かせながら……。


 いや、本気で対処するつもりなら、渋滞の無い裏道を使うとか、高速道路を使うとか方法はあるのだが。僕はこれを好まない。何かに負けた気分になってしまう。それに以前、渋滞を回避したつもりで裏道へ入り、より長い渋滞へ巻き込まれると言う苦い経験を何度もしてきたのだ。あまりなじみのない道で迂回しようと考えない方が良い。


 だけど、太平洋側の東京、名古屋、大阪の延々と続く渋滞に比べれば、日本海側の渋滞はそんなに大したものでは無い。それを見越して僕は、日本海側を北上するルートを選んだのだ。



 工事中の一方通行を超えれば渋滞は無くなった。これでしばらくはこのルートの渋滞はないだろう。


 しかし、時刻はすでに十時半。予定より三十分はオーバーしている。まだ体がツーリングに慣れきっていないせいで休憩を多くとり過ぎたのも原因だろう。


 時折、左手に望める春の日本海は、見慣れた内海より波は荒く色は落ち着いて、それがどこか寂し気で、そして美しく見えた。そんな景色を眺めながら、僕はのんびりと車の流れに付いて行く。


 思い出したかのように海を渡る風が吹き付けて来て、海岸線のウミネコが舞い上がる。

 せわしなげにミイミイと空に響くウミネコの声に僕はヘルメットの中で笑みを浮かべた。そう、僕は猫好きである。大好きな猫が空を飛んでいる姿を想像して微笑んでいる。

 煌めく海に、青空を飛ぶ白い猫……。



 街に近づくと渋滞と呼べるほどの交通量は無いが、頻繁に信号に引っかかりはじめた。さらには道路工事の片側通行。雪の多い日本海側では、春先に大きな工事をすることが多いと聞いたことがある。それの影響だろうか? あちこちと頻繁に工事をしている。


 思う様に前へ進めない。心の中にじりじりとした焦りが生まれる。

 そもそもツーリングと言うのは予想通りいかない物なのだ。距離を走れば走る程何かしらのトラブルに巻き込まれる物である。それでも自分が余裕を持って立てたと思っている予定が少しずつ遅れていくのには焦りを隠せない。


 そんな時は……。


 僕はおもむろに道路脇にある駐車スペースにバイクを止めた。エンジンを切りヘルメットを脱ぎ、道路わきに設置された公衆トイレへ駆け込んで用を足す。外にある手洗いで手を洗い、その後、水を掬って顔を洗う。リアバックの上にかけたネット隙間のタオルを引っ張り出して顔を拭いた。


 こんな時は逆に休憩を挟む。時間ばかりを気にして焦って走っても良いことは無い。走りを楽しむにはまず心の余裕が必要なのだ。

 僕は腰のポーチから禁煙していたはずの煙草を取り出し愛用のイムコライターで火を点けた。


「ふぅ……」


 吐き出した紫煙が海風にたなびいて消えて行く。

 そう言えば、禁煙の約束をしたのは彼女とだったことを思い出した。いや、煙草を買って持って来ている時点で既にアウトなのだが……。



 結局、街に着いた時にはすでに十二時を超えていた。

 約一時間の遅れ。ここまで来れば最早焦っても仕方のない時間になる。しかし、予定は組み直す必要がある。

 このまま行けばキャンプの予定地までに日が暮れる。そしてキャンプ出来る場所を探すのに苦労する事になるだろう。

 取り敢えずそのままバイクを走らせ、街の中心へ着いた頃にはすでに十三時を回っていた。

 広い駐車場のあるコンビニを見つけバイクを乗り入れお茶とのり弁を買った。勿論「温めで!」で。


 バイク横の地面に地図を広げ、車止めのブロックへ座って弁当を食べる。時折車が近づいてきてぎょっとした表情で眺められるが気にしない。空腹を満たす事、先の道路を確認する事が優先なのである。


 実はソロライダーの中にはカロリーメイトやチョコバーなどで済まし、お昼を食べないと言う人も結構多い。そんな時間が有ったら距離を稼ぎたいと言う事らしい。仕事をしている休日ライダーの人に多いタイプの様だ。

 しかし、僕は現在無職である。あまり時間を気にする必要はない。なのでお腹が空けばご飯を食べるし、眠くなれば昼寝だってする。バイクで走るには無理をしてはいけない。


 弁当を食い終わり、コンビニのごみ箱へ捨ててから、再度地図に目を通す。折角日本海まで来たのだから出来れば海岸線でキャンプを張りたい。しかし、街の近くではキャンプをする場所を探すのは難しい。なのでその手前、国道を外れた海岸線に目を付けて置き、一旦そこを目指す事にした。

 煙草を一本ゆっくりと時間をかけて吸い、お茶のペットボトルの残りはリアのネットに挟んだ。

 ヘルメットを被り、バイクにまたがりエンジンを掛けた。アクセルを開けて走り出す。


 それからも何度かの渋滞や道路工事に合いながら、街を抜けた時にはもう十五時を回っていた。

 ここからは交通量の比較的少ない海岸線を走る。

 左手に日本海、右手に山々を望みながら次の街を目指す。この辺りは道幅も広く周囲に大きな建物なども無いので視界が開けている。そして、道路は直線部分が多くコーナーもなだらかでスピードに乗って走ることが出来る。



 右手には若草色に萌える緑の山の稜線。

 左手には寂し気な色を湛え波打つ海原。

 春の匂いを帯びた暖かな午後。

 その二つを分かつ真っ直ぐに伸びたアスファルトの路面を風を受けてただ走る。


 僕はまだ見えぬその先へ向けてスロットルを開け加速した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る