『峠を走る人③』
次の緩やかな右コーナー。そして左のヘアピン。辛うじてCBの前を抑え込む事に成功した。
だが、正直言って自分が情けなかった……。バイクの性能は負けてはいない。と言うより明らかにこちらが勝っている。それなのに俺はこいつを引きなせない。理由はわかっている。腕が劣っているからだ。その事実が何よりも悔しかった。
次のコーナーはRの緩い右のスプーンカーブ。そこで俺はミスをした……。
ハングオンで張り出した膝先にセンターへ設置されていたガイドポストが触れたのだ。
僅かに緩むスロットル。アクセル全開のタイミングもずれてしまった。ラインが大きくアウトへ孕み車速が落ちた。
その隙を突きイン側を黒い妖精が抜けていく。
一瞬だけ確かに見えたバイザーの中は笑ってなどいなかった。強い
俺はそのままバイクを道路脇へと止めた。
暗闇の中、後には走り去って行く甲高いエキゾーストが響いていた……。
「なあ、店長。どうやったらもっと速く走れるようになるんだよ」
翌日の俺は港のバイク屋の港屋へやって来ていた。
「お前はまだそんな事言ってるのか。速くなりたかったらサーキットに行け。サーキットなら速く走っても安全だし、お前より速いやつはごまんと居る」作業をしながらゴリラ店長が答える。
「それじゃ、駄目なんだよー。サーキットにはあいつが居ない」
「あいつって誰だよ」
「俺のライバルだ。ものすごく上手くて、ものすごく速い」
「お前な、そんな事ばかり言ってるといつか事故るぞ」
「はあ、つまんねぇー」
「あのな、バイクに乗ってる以上は速く走るなとは言わねえが、程度ってものを考えろよ」
「へいへい」
「おい、ギヤオイルとブレーキパッドの交換終了したぞ」
「ん、ツケといて」
「ツケはきかねえよ! 払えねえならバイク没収っだ!」
「うお! ウソウソ払うって!」
それからも俺は週末ごとに峠に行き腕を磨いた。
そして、あの日から黒い妖精は頻繁に週末の深夜に現れるようになった。見かけるたびに俺はバトルを申し込んだ。しかし、一度も勝てなかった。それでも何度も後ろに付いて行くたびに次第に奴の走りを理解していった。
実際にはブレーキング・コーリング速度・加速どれを取ってもこちらが勝っている……。それでも俺は一度も勝てないのだ。そして、奴との一番の違いはその連携のスムーズさにある事に気が付いた。一連の動作が流れのように繋がっている。対して俺の走りはぎこちない。一つ一つの動作がバラバラなのだ。確かにこれでは勝てる訳は無い……。
だがこれは明らかにストリートの走りではない。コーナーを一つずつ攻略してコンマ一秒のタイムを競うサーキットの走りだ。こいつは一体どれだけの走り込みをしたのだろう……。
これは一朝一夕に真似できる類のものでは無い。膨大なトライアンドエラーを繰り返して身に着ける物なのだ。やはり俺もサーキットを走らなければ勝てないのだろうか……。
だが、それが判っても俺には諦めることが出来なかったのだ。
そして、俺は今の自分に出来る事をして対抗しようと決意した。
効果の怪しいオイル添加剤に始まり。Jhaチャンバーを付けて。キャブ周りにも手を入れた。スプロッケトの歯数を減らし、ヘアピンをパワーバンドで走れるようにもした。
それでも、黒い妖精には勝てなかった……。何とか食らいつく事だけはできるようになったが、それだけだった。
「もういい加減にしろよ」
周囲の皆は口を揃えてそう言った。だが俺は諦められなかった。
せめて一度だけでも良い、奴の前を走りたい。ただそんな思いで俺は禁断のパーツに手を出した……。
〝公道使用不可のスリックタイヤ〟
サーキット内でしか使用の許されないグリップ力の高いタイヤだ。勿論こんな代物をあのお堅いゴリラ店長に見せる訳にはいかない。公道を走れば整備不良で切符を切られる代物だ。中古で購入したホイールに別のバイク屋で履かせてもらった。
週末、自宅でホイールごと入れ替えてスリックタイヤに履き替える。そのまま峠へと向かった。三度ほど山頂まで往復してタイヤを温める。
そして、アタック!
それはとんでもないグリップ力だった。普通に寝かせて旋回するだけならどんな状況でもグリップが保てる。まさに路面にタイヤが張り付いている様だった。恐ろしく食いつき震えるほどの旋回力を得た。しかし、同時に俺のNSRは更に曲がらないバイクになってしまった。
ブレーキング終わりで起き上がろうとするバイクを強引に寝かせ、スロットルを開けて意図的にリアタイヤをずらしながら加速状態でコーナーへ侵入する。言ってしまえばそれだけなのだが、さらに旋回速度が増したNSRではそれはとんでもなく集中力のいる作業だった。恐らく勝負は一回コッキリ……。二度目は集中力が続かない。
その日はそのまま家に帰った。
翌週の週末の深夜。俺はスリックタイヤで峠の駐車場へとやって来た。その日は何となく予感があったのだ。
〝今日は必ず黒い妖精が現れる……。〟
ここに来るまでにタイヤも十分に温めた。軽量化のためにガソリンは五リットルしか入れてない。
その時、タイヤを冷まさないためにヘルメットを脱いで駐車場をぐるぐる回る俺の耳に甲高い音が聞こえて来た。
――間違いない、黒い妖精だ……。
俺は急いでヘルメットを手に取って被った。
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