閑話:田舎の商店


 峠を抜けて開けた田舎道へ出た。

 道は長い直線と緩やかなカーブが続く。


 ここで丁度、八時を過ぎた。うん、大体予定通りだ……。

 この辺りまで来れば、もう朝の通勤渋滞は無いだろう。

 愛車のXLR250Bajaの走りをクルージングモードに切り替え、ゆっくりと景色を楽しみながら走ることにした。


 田植えの始まったばかりののどかな田園風景が広がっている。朝の光を浴びた田んぼがキラキラと輝いている。シーズンを終え閑散としたスキー場。牧場に放たれ草をはむ牛達。それらの過ぎ去っていく光景を眺めながらただのんびりと景色を楽み走り去る。


 僅かに気温が上がってきた。肌寒いくらいの温度だったのが、日に当たっていると温かく感じる。

 陽だまりの心地よさを感じながら僕はバイクを走らせた。



 しまったな……少しお腹が空いてきた。峠の下のコンビニで何か買ってくるんだった。

 この辺りには本当にお店が無い。時折、ドライブインや食堂を見かけるが、朝のこんな時間に開いてやしない。

 そう、朝早くに家を出た僕はまだ朝食を取っていなかった。

 仕方ない、次の自動販売機で何か買おう……。


「おや?」


 少し先に例の赤と白のパン屋の看板が見える。ヤ○ザキパン。看板の一部が色褪せていて読めない。

 こんな所にお店があったなんて知らなかった。僕はバイクを止めた。


 この店は田舎でよく見かける類の商店だ。

 こんな時間なのにもうお店を開けている。と言っても鍵を開けて電気を付けているだけなのだが……。店員の姿はどこにも見当たらない。

 入口のコカ・コーラやペプシのシールの張られたガラスの引き戸を開けて店内へ入る。


「うお!」


 目の前にいきなり麦わら帽子が吊るしてあった。

 店内を見るとモンペや作業着が無造作に棚へ置かれている。その横にはビニール傘。その下に長靴。そして山積みの軍手。その同じ棚へカップ麺や鯖の缶詰も箱のまま置かれてる……。


 うん、田舎にある商店ではよく見かける光景だ。全てが雑でなのに機能的な配置である。


 そう言えばコンビニエンスストアは、こう言った田舎の商店をモデルにして作られたと言う話を聞いたことがある。この一軒に生活に必要な物が全て揃っているのだ。ただし、奥の方にコンビニでは見た事の無いハスクバーナのチェーンソーやロビンエンジンのポンプを売っているのが見えるのは愛嬌だろう……。


 店内を見回す。

 こう言うお店では生鮮食品はレジの近く、手の届きやすい所にあると相場は決まっている。お目当てのパンを探す。

 レジ横にあるよくアイスクリームが入れられている冷凍ケースに牛乳が入っているのが見えた。酪農の200mlパック入り牛乳を取り出す。


 それでパンはどこ? あ! あった。

 レジの真ん前の籠棚に入ってた。と言っても種類は4つ。食パン、ロールパン、アンパン、メロンパン。

 僕はアンパンとメロンパンを手に取り、牛乳と一緒にカウンターへ置いた。


「すみませーん!」奥へ向けて声を掛ける。

「あい」


 擦りガラスの引き戸を開けて腰の曲がった小さなおばあちゃんが出て来きた。戸の向こう側は居間になっている様だ。炬燵と点けっ放しのテレビが見えた。

 おばあちゃんがカウンターを一瞥して言う。


二百八十にしゃくはちじゅう円……」


 多分パンが一個百円で牛乳が八十円だろう。僕は財布から三百円を取り出しお釣りを受け取った。


 お店を出てバス停の手作りベンチへ腰かける。牛乳へストローをぶっ刺しメロンパンを開ける。

 どこかでチチチチとヒバリが鳴いている。のどかな朝のひと時。その声を聞きながら、僕はメロンパンに齧り付いた。


 そう言えば、別れた彼女もライダーだったので一緒にツーリングに出たときには、よくこうやって外でパン食べていたな。

 そんな時、普段は気丈な彼女も僕の陰に隠れて恥ずかしそうに俯いて食べていた。まあ、今となっては良い思い出だけど……。


 ん? 道路の向こうの通学中の黄色い帽子の女子小学生と目が合った。近くに学校があるのかな?

 挨拶して来たので、取り敢えず手を振り返す。小学生が嬉しそうに声を出して笑ってる。

 そしてアンパンの袋も開けて齧り付く。うん、やっぱり朝はしっかり食べないといけない……。

 パックの牛乳を飲み干し、バス停の柱に据え付けてある一斗缶のゴミ箱の中へパンの袋と一緒に放り込んだ。


「よし、行こう」


 バイクにまたがりキックを蹴ってエンジンを掛ける。

 ヒバリの声はエンジン音にかき消された。


 もう少し先に行けば道は下りになる。そこを下り切れば日本海だ。

 そのまま日本海側を北上してお昼までに街に辿り着きたい。


 僕は再び国道を北へと向けて走り出す。


 程なく平地の田園風景は終わりを告げて、下りの峠道へと差し掛かる。

 気持ちを切り替えて、走りをツーリングモードに戻す。

 ただし先程までと少し違うのは、ここは下り坂。

 エンジンブレーキを長めに掛けて、ブレーキの負担を減らす。同時にコーナーの立ち上がりの加速も控えめにしてスピードを上げ過ぎないように注意する。


 下り坂が苦手なライダーは多い。僕もロードのバイクに乗っている時はそうだった……。


 知らないうちに速度が上がる。ブレーキを掛ければいつもより余計に前につんのめる。フロントに荷重がかかり過ぎてバイクの旋回力が落ちコーナーリングで孕んでしまう。特に重い荷物を乗せてるときや身体のこわばる寒い日、雨の日などは顕著に現われる。


 だが、何のことは無い、こんな時こそ基本に立ち返るべきなのだ。

 適度な減速、適正スピードでのコーナリング、控えめな加速。下りまで無理して攻める必要はないと割り切れば何と言う事は無い。

 いつもより少し余計に気を使って、慎重に走ればよいだけである。


 自分が気持ちいいと感じる走りが適正速度。そう自分に言い聞かせて淡々と作業の様にコーナリングを続ける。

 そうやって慎重に走っている内に、次第に緊張がほぐれスムーズにコーナリングできるようになる。

 そして次第に気持ちいいと感じる速度の幅が広がっていく。


 下りの恐怖心が無くなってきたら今度は走りをブレーキ重視からスロットルワーク重視へ切り替える。

 スロットルを開けるタイミング、開き方を少しずつ変えて試していく。


 実は下りが怖いからと言ってスロットルを開けずに走ろうとするのが一番危ない。オフロード初心者がよくやるミスである。フロントに荷重をかけたままコーナリングすると大抵フロントタイヤの方から先に滑ってしまう。そして転倒のお決まりのパターンだ。

 なのでコーナリングの立ち上がりは僅かでもスロットルを開ける様にして走る。しっかりと減速しブレーキングが終わったら、いつもより少し上体を引いたままコーナリングし、そして緩やかに加速。リアへ荷重を移しながら、トラクションを掛けてマシンを起こし走り抜ける。これなら万一の時にもリアの方から滑り出す。テールのスライドの方が対処はしやすい。ただし、加速しすぎないように注意。


 こうやって探る様にして自分の走りを見直していく。一つ一つを見直して体に覚え込ませる。


 何せ先は長いのだ、時間は腐るほどある。



 そう、安全運転は一つの技術の終着点でもあるのだと僕は思っている。



 え? その先に何があるかだって?

 それは、北海道の広大な大地だろう。


 そこが僕を待っている!

 事故なぞ起こしている暇はない。

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