『胡蝶の宿⑲』


「それを瑞樹がチラシを配った事でトラブルを起こしたんだな」

「……そこまで、わかってしまいましたか……」麗奈は小さく息を吐き呟いた。

「俺は最初から夢見姫に違和感を感じてたからな。ここの温泉の人達がみんな知ってる話なのにパンフレットには載せてないのは変な話だ。それに宣伝のためにポスターやチラシを配って制裁を受けるのも何か変だと思った」

「そうですか……夢見姫の伝説が座敷の中だけで言われる分にはよかったのですが、一般の人の目に触れればすぐに嘘だと見抜かれますから気を付けていたんです」

「それを瑞樹が駅前でビラにして配ってしまったと」

「はい、偶然にチラシを手にした大学教授から連絡があって。事情を詳しく聞かれる羽目になりました。その人は何でも戦後すぐにこの地で郷土史を書いた事があるらしく、その時に無かった話がどこから出て来たのか知りたかったそうです」


「それでか……。でも、どうして瑞樹はそんな事をしたんだ」

「彼女たちは信じてるのです。本物の伝承なのを。そして、その伝説こそがここが遊郭として誕生した理由だと疑っがていません」

「どう言う事だ」

「白拍子と言うのは当時の遊女なんです」

「成る程……」遊女が見つけた温泉だから遊郭になったと言う事か……。多分そう教え込まれて育ったのだ。

「そして、私たちの世代で夢見姫の伝説が作り話なのを知っているのは私だけなのです」

「上の世代の人間が村人全員を騙してたんだな」

「ええ、でも、私が引き継いだ時点でこの伝説は消えて行くことが決まっていたんですよ」

「それはどうして」

「こんな適当に作られた話ではすぐに嘘だとバレてしまう。それならいっその事、最初から無かった事にしようと言う訳です。次第に舞台に呼ばれなくなり、そっと人の記憶からも消えて行く……。数年かけて徐々にそうなる予定でした」

「それを逆に嫌がって瑞樹はポスターとチラシを作ったんだな」

「ええ、彼女にとってこの物語はここが遊郭だった正統性を与える拠り所だったのです」

「でも、それだったらすぐに瑞樹に事情を話して辞めさせれば……「もう夢見姫の伝説は終わってしまったのです」……終わった?」

「はい、大学教授から連絡があって直ぐ中止する事に決定しました。これ以上大事になれば取り返しがつかなくなりますから」

「……そう言う事か。君がすぐに夢見姫をやめてしまっては瑞樹の所為で急遽中止になってしまった事がバレてしまう……。だから、君は夢見姫を一人で続けていたと言う事か」

「はい、本来であれば、もう舞われる事の無かった夢見姫です。一昨日は輝陽館の早苗さんから急に連絡があって最後に舞うことが出来ました」

「女将さんが……」女将さんは多分組合の中でも地位が高い人なのだ。だからそんなことが出来たのだ。そして恐らく瑞樹が若女将をやめさせられたのも、夢見姫の騒動を見せたくなかったからと考えれば筋が通って来る。「成る程、だから君はワザと瑞樹を遠ざけたのか」

「はい……彼女のいない間に事情が変わって私が引退した事しようと……」

「成る程な」大体の事情は分かった。何のことは無い、二人が互いの事を思ってすれ違ってしまったと言う事だ……。


「あの、それで、この話は瑞樹には内緒でお願いします」

「うん、わかった」


 だが、どうなのだろう……。互いを思い合った結果、二人共が傷つきあう。それが正しい事とは俺にはとても思えない。それでも瑞樹に話さない方が彼女の為なのだろうか……。俺には判断がつけられない。


 俺は湯船に肩まで浸かり空を見上げた。雲の合間に星々が瞬いているのが見える。

 ここでは俺は旅人であって只の傍観者だ……。だから口出しすべき問題ではないのは判っている……。


「はぁ~」大きく息を吐きながら腰を起こした。「俺はそろそろ輝陽館へ戻るよ。今日は話が出来て楽しかった」

「はい、私も少し気が晴れました」


 それから服を着て俺は山門を押し開いた。


「あの、明日もここにいらしてくれませんか」湯船の中から麗奈がそう声を掛けてきた。

「ん? いいけど」俺は振り向き答えた。

「最後に私の舞を見て欲しいのです」

「わかった」


 ギギギと山門は重たい音を立てて閉じた。


 それから俺は神社にお参りし、輝陽館へと向けて歩いた。裏口を開けて休憩室に行ってみると瑞樹座布団を枕にして眠っていた。


「おい、瑞樹。起きろよ」俺は瑞樹の方を優しく揺すって彼女を起こした。

「んんん……もっと優しくして……んか! あ、御影君。お早よ」

「お早よじゃないよ。消灯時間過ぎてるんだから部屋に行って寝ろよ」

「んん、御影君を待ってたんだよ」伸びをしながら瑞樹が答えた。

「いや、寝てただろ」

「ちょっと横になってただけだよ。それで麗奈には合えたの」

「最初からわかってるんだろ。彼女はお前を待つために毎晩あそこに来てるんだ。だから俺を寄越して行けないと伝えたかったんだろ」

「うん、まあね」


 ――こいつ、あっさりと認めやがった。まあ、今更どうでもいいか……。


「……んで、彼女、何か言ってた」

「明日、夢見姫ゆうみひめを舞ってくれるそうだ」

「そっか、よかったね」

「なあ、明日は一緒に行かないか。彼女の舞を見る為に」

「うーん、それはちょっと無理かな……やっぱまだ気まずいし……」

「もう、これが最後の舞になるかもしれないぞ」

「そんな事はさせないよ。あの娘の舞は私が守る」

「お前な……」


 やはりこう言う事なのだ。麗奈を守りたいそう言う思いが彼女を動かした。だとするとこのまま麗奈が夢見姫を辞めてしまってもきっと何かの問題が……。

 それから俺は今日の麗奈との会話を適当に誤魔化して伝え、遊戯室へと戻り眠りに就いた。

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