『胡蝶の宿⑬』
それからすぐに
俺は湯船に浮かび空を見上げた。
やばかった……。理性がぶっ飛びそうだった……。とにかく疲れた。恐らく今日一番の疲労感だろう。お風呂がこんなに緊張する物とは思わなかった。
「それにしても瑞樹の奴一体どう言うつもりなんだよ……」何やら面倒事の匂いがする。これは帰って聞いてみないといけないな……。
俺は湯から上がり体を拭いて服を着た。そして源泉の湯を後にした。最後に神社にお参りして輝陽館へと帰ろうとした時、丁度、雨が降り出した。
俺は慌てて石段を下りてそのまま坂を駆け下りた。裏口を開けて調理室から休憩室へ。そこにまだ瑞樹は起きていた。女将さんとヘルプの人達もそこに居た。
「お帰り、御影君」瑞樹が明るく声を掛けてきた。
「ちょっと話がある」俺は真面目な顔をしてそう言った。
「何、どうしたの」
「人に聞かれないところがいい」
「だったら、遊戯室へ行きましょ」
俺達は二階へ上がり遊戯室へと入った。扉を閉めて後ろを振り返る。
「なあ、瑞樹お前はどう言うつもりなんだよ」俺は瑞樹に詰め寄った。
「どうって、何が……。源泉で何かあったの」
「夢見姫が居た。そして背中を洗われた」
「ちっ、麗奈の奴。実力行使に出て来たか……ま、まさか御影君は手を出した?」
「いいや、すんでのところで思いとどまったよ」
「ふ~、よかった……。なら、問題なし」
「おい、どういうことだよ。説明しろ」
「わかった、説明する。でも、時間が掛かるからちょっと座って待ってて」
そう言い残し瑞樹は遊戯室から出て行った。暫くして瑞樹は缶ビールとおつまみを持って戻ってきた。俺達は座敷に座って話始めた。二人で同時に缶ビールを開ける。
「まず何から話そうかな……。私と彼女は同い年です」
「それは夢見姫からもう聞いた」
「夢見姫は役名で本名は
「うん、それで」
「それで……うーん、私は麗奈に外の世界へ目を向けて欲しかったのです」
「外の世界?」
「うん、私も麗奈も隣村で育って碌に他のところを知らないんだよ。だから、外から来た人と話してちょっとでも刺激になればと思ったんだよ」
「ふーん、それで」
「それで麗奈がいつもお風呂に入りに行く時間に御影君に行ってもらおうと……」
「あのな、そんな事は自分でしろよ」
「もう、したわよ。何度も。でも……喧嘩になっちゃって……」
「それで俺に行かせたのか。それは無理だろ」
「そんな事無いよ御影君なら」
「どうして」
「だって、御影君は麗奈の元彼によく似てるもん。雰囲気が」
「……」
それはどう言う理屈か俺にはよくわからない。そう言う物なのだろうか。
「それに御影君は彼女の元彼ほど屑じゃない」
「なんだそれ、どう言う事だよ」
「彼女の元彼は女を他所に沢山作って最終的に逃げ出したのよ。だから、御影君ならと思った……」
何となく話は見えてきた。瑞樹が何を考えているかは相変わらず判らないが、夢見姫が冷たい態度でからかってきた理由は少しわかった。俺に仲良くなってほしいと言う事なのだろうか……。
「だが、それは無理だ。それに、何か間違いがあったらどうするつもりだったんだよ」
「間違い? 起こさないでしょ御影君なら」
「あのな、信用してくれるのは嬉しいが、結構ヤバかったぞ。特に今日は」
「絶対やめてよね。もし何かしたら即、警察呼ぶからね」
「だったら、自分で何とかしろよ」
「それが出来たら苦労しないわよ……私だって……ねえ、お願い、彼女の話し相手にだけでもなって欲しいの」
「……」
くっ! 無茶言いやがって。そもそもその話では最初から俺を利用しようとして近づいて来てるじゃないか。思いっきり面倒事押し付けやがって……。
俺はグビリとビールを飲んだ。外の雨が本降りになった様だ。外から激しい雨だれの音が聞こえてくる。
「俺が居るのはあと三日だぞ。そんなの意味がある事なのか」
「だって外の人間の方が話しやすいこともあるじゃない……」
確かに、後腐れない人間関係なら愚痴も言いやすい事は有るだろう。それでも俺にそれが出来るだろうか……。人生相談やってるんじゃないだぞ。
「……だから出来れば彼女の本音を聞き出してほしいの」
「まったく、無茶ばっか言いやがって……」
それから少し話をして俺は眠りに就いた。山門の明かりはすでに消え、窓の外には雨が降っている。その音を聞きながら俺は目を瞑った。
次に目覚めると瑞樹が枕元に座っていた。外は雨が降っている。気温もやや肌寒い。
「お早う、御影君」
「お早よ。いつも起こしてもらって悪いな。でも六時にタイマーセットしてあるから自分で起きるぞ」
「いやー、サービスだよ。モーニングサービス。若い女の子に起こしてもらった方が良いでしょ」
「まあ、お前が良いなら良いけど……」
俺は体を起こして伸びをした。そして朝食の準備を手伝いに一階へと降りた。
銀杏の間のお客は粗方夜のうちに帰ったみたいだ。秘書らしき四人のスーツの男だけが朝食を食べに来ていた。
今日は御客さん全員の朝食が終わり、残っていた他の旅館から来たヘルプの人達五人と大広間で朝食を取る事となった。今朝のメニューはアジの開きに〝いものおづけばっと〟と言う味噌汁だった。つるつるとしたイモ餅。大変美味しかった。
その時、ヘルプで来ている瑞樹の前に座る女性が話しかけてきた。
「ねえ、貴方はどなた」
少し気怠そうな雰囲気を纏った三十代の女性である。
「俺は少しの間バイトでここを手伝っている一条御影と申します」
「あらご丁寧。私は扇屋の若女将の
「加奈姉!」瑞樹が割り込んできた。
「どうしたの瑞樹ちゃん」
「ちょっとの間手伝ってもらってるだけだから変な目で見ないでよ」
「は~い。ところで瑞樹ちゃん。瑞樹ちゃんは若女将に戻らないの?」
「今、良いでしょ、そんな話」
「ふーん、そっか。だったらまた今度ゆっくり話しましょ」
「……」
それから俺達は黙って食事を終えた。ヘルプの人達は別館の銀杏の間と北館二階の梅の間の後片付けに向かい、俺達はお風呂の掃除に向かった。
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