『胡蝶の宿⑪』


 その後も続々と人がやって来た。俺と瑞樹は布団を客室へと運び込み準備を終えた。そして、休憩室に戻って見ると大勢の人でごった返していた。


「他の旅館のヘルプの人達よ」瑞樹がそっと教えてくれた。

「なあ、手伝わなくていいのか」

「いいのいいの、私達は宿泊客の方を何とかしなきゃなんだから」

「そっか……」

「どうやら、ここに居ると邪魔になりそうね。ねえ、ちょっと私の部屋に行かない」

「え?」


 休憩室の隅にある急な階段を上ると、遊戯室の隣にある大きな部屋の中へ出た。部屋の中は間仕切りされ普通の民家の様になっている。一番北が女将さんお部屋でその一つ手前が瑞樹の部屋だそうである。


「昔は従業員用の大部屋だったそうだけど、今は人いないから私達だけで住んでるの」

「ふーん」

「こっちよ」


 開いた扉の先は六畳ほどの板の間の部屋だった。窓には水色のカーテンが掛けられ、窓際にはベッドが置いてある。そして、散らかっていた……。ゲーム機に雑誌に少女漫画……服や下着も無造作に投げ散らかしている。


「少しは片づけろよ……」

「てへ、すぐ片付けるからちょっと待ってて」


 ――いや、もう見てしまった後だし……。可愛く言っても無駄だし……。仕方なしに俺は瑞樹の片づけを手伝った。


「何で美少女系のゲームばっかなんだよ!」「いいじゃない、趣味なんだから! 絵、綺麗だし、可愛いし」

「なぜソフトボールとバレーボールのトロフィーがある」「高校時代、掛け持ちしてたの。あとソフトテニス部もね」


 俺は適当に片づけ座るスペースを確保して落ちていた雑誌を手に取った。瑞樹も途中で片づけるのをやめ少女漫画を持ってベッドへダイブした。


「おい、何故俺を部屋へ呼んだんだよ。何か話したいことがあったんじゃないのか」俺は瑞樹を問い詰めた。

「んん? 無いわよ別に。外に居たら手伝わされるの目に見えてたから連れて来ただけだよ」

「だったら、それは手伝わないといけないのじゃないか」

「いいのよ、今休憩中だから」

「あ、そう」


 俺は近くにあったクッションを手に取りそれを枕にして横になった。目の前には紺のスポーツブラが落ちている。無防備すぎて逆にやる気が無くなった。


「ねえ、御影君。今晩も源泉のお掃除任せられないかな」突然、漫画を読みながら呟く様に瑞樹は言った。どうやらこれが本命の様だ……。

「嫌だな。でも、どうして」

「今日は人の出入りが多いから多分私はいけない」

「明日にすればいいじゃないか」

「組合の人が来るから今日掃除しなかったことがバレちゃう。ねえ、いいじゃない、滅多に人こないんだし、来ても女性なんだから役得だよ」

「お前な……」確かにあの露天風呂は最高だ。それに女性の裸を見ても誰にも咎められないのなら問題は無いか……。「まあ、いいか。わかった、やるよ」

「やった。約束よ」


 こうして、俺は夜に源泉の掃除をすることを約束させられた。

 それから一時間ほどだらだらと過ごし一階へ降りた。暫くフロントで瑞樹と待っていると今日の宿泊客が現れた。二人で四名の家族連れを客室へ案内しフロントへ戻ろうとした。


 その時、にわかにロビーの方が騒がしくなった。女将やヘルプの人達が一列になって待って居るのが見えた。

 輝陽館の扉を開けてスーツの一団が雪崩れ込む。その後に続いてやや恰幅の良い男が入ってきた。テレビかどこかで見たことある顔だ……。右手を軽く上げお辞儀している皆の前を通り過ぎていく。


 俺と瑞樹は通路の端に寄り、道を開けて頭を下げた。スーツの一団が目の前を通り過ぎる。

 そして、最後に二人の年配の女性に連れられた白い和服の女性が現れた。

 頭に烏帽子、腰に白鞘の太刀。緋色の袴に神主が着ている真っ白な水干と呼ばれる衣装。しづしづと男たちの後を付いて行く。


「彼女は夢を見せる姫と書いて夢見姫(ゆうみひめ)。白拍子と言われる踊りを舞うここの伝統芸能なのよ」瑞樹はそう説明してその女性に軽く会釈した。


 しかし、俺はその女性の顔にくぎ付けとなった。――昨晩、源泉の湯に入ってきたあの女性だ……。


「どうしたの、御影君」小声で瑞樹が聞いてきた。

「あ、いや、何でもない……」

「当ててみましょうか。『昨日裸を見たのはあの女だ』とか、思ったんでしょう」

「な……」

「ま、今あそこへ入る資格を持ってる人は少ないからね。気にしない気にしない。向こうも何とも思って無いから。戻りましょ」


 俺達はフロントへと引き換えし、次のお客の到着を待った。

 三十分ほど待ち現れた宿泊客を南館二階へと案内し、それから夕食の準備を手伝った。今日のメニューは毛ガニとウニの刺身である。夕食が楽しみだ。

 そして、大広間で配膳をして客が現れるのを待った。その間にも今日は厳吾さんと和子さんはヘルプの人達のために賄い料理を作り続けている。大量に積み上がったおむすびに鳥のザンギに卵焼き、けの汁と一緒に二階や銀杏の間の控室へと運ばれていく。本当に今日はやたらと忙しい。俺と瑞樹の仕事量は昨日とそんなに違いはないはずなのに……。


「今日は宿泊客が少なくて助かったな……」と思わず俺は愚痴を言った。

「あら、違うわよ」

「何?」

「今日はこちらにあまり客を回さずに、新館の方へ泊ってもらったのよ」

「え? どう言う事」

「ほら、西の方へ建ってる〝霧雨温泉扇屋ホテル〟あっちがここの新館で、この輝陽館は本館なのよ。言ってなかったっけ」


 ――聞いて無い。そう言えば大吉旅館の反対の方角にも大きな建物が見えていたな……。

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