『胡蝶の宿②』


 俺はバイクの荷物を下ろし、部屋の準備ができる間、玄関脇に置かせてもらう事にした。準備の出来る二時間程カメラを持ってこの集落を見て回る事にした。


 と言ってもここは整備された観光地ではない。あまり見るところはなさそうだ。取り敢えず俺は輝陽館の前の坂を上り神社に行ってみる事にした。


 石段には赤い鳥居がいくつも並んで立っている。あまり神道には詳しくないが、この形式はお稲荷さんなどで良く見かけるものだ。名前も大明神と入っているのでお稲荷さんの神社なのだろうか? 鳥居をくぐり石段を登ってみる。


 朱色に塗られた立派な拝殿が見えてきた。境内に入ってすぐに手水屋ちょうずやがある。柄杓ひしゃくで手をすすいだ。手水屋の横に祠のような建物が設置されている。その祠の中には紐が付けられた沢山のアワビの貝殻とマジックペンが置いてあった。参道の反対側を見ると絵馬殿にアワビの貝殻が沢山掛けてあるのが見えた。どうやらこれは絵馬の替わりのようだ。絵馬殿の方を覗いてみる。


 ――おや??? 書かれた絵馬は『子供が授かりますように』や『彼氏・彼女が欲しい』と書かれた物ばかりである。学業成就や家内安全といった文字はほとんど見かけない。


 拝殿の横の案内版に何か書いてある。なになに……ご神体は陰陽石……ご利益りやくは縁結びと子授かりと書いてある。


「……」成る程、この神社はそう言う神社なのだ。ちなみに陰陽石とは男女の陰部に似た形の石を指す。別段珍しい事では無い、日本中にそれを祀る神社は沢山ある。珍しい宝は祀られるのは自然な事なのだ。


 俺は拝殿で手を合わせ、一応念のためにアワビの絵馬も書いておいた……一応念のため……内容は勿論『彼女が欲しい』である。


 境内の端でこの温泉町を見下ろした。輝陽館の他にも同じ規模の木造の建物が東と西に二軒建っているのが見渡せる。どの建物も坂に建てられているせいか高い石垣の上に建てられている。来るときに見た商店以外のお店も見える。

 こうして見ると情緒もあって結構立派な温泉街なのに、人の姿は全くと言って良いほど見当たらない。


「もっとうまくPRをすればいくらでも客を呼べそうなのに、勿体ない」俺は一人そう呟いてからこの神社を後にした。



 まだ時間は少しある。上から見えたお店に行ってみる。

 坂を下り一旦県道へ出てお店の見えた東の方へ歩いてみる。そう言えばこの集落には田んぼがあまり見受けられない。替わりに砂地の畑が沢山ある様だ。

 のんびりとした風景が広がっている。向こうの方に農作業をしている人が見えた。結構なお爺さんの様だ。畑を鍬で掘り返し何かを収穫している様だ。ああ、これはニンニクだ。葱かと思っていた。


 県道から高い石垣の建物の角を右へと曲がる。この建物の玄関の石灯篭に〝霧雨温泉大吉旅館〟と書いてある。建物は木造三階建なのだが一部にコンクリートの壁も見える。増改築を繰り返したのか全体的に雑多な印象を受ける建物だ。輝陽館のような格式は無い代りにドヤ街の飲み屋のような親しみは湧いて来る。まあ、先にこちらに来たら宿泊を申し込んでいたかどうかは微妙な所だな……。

 俺は大吉旅館を通り過ぎ隣に見える店舗へ向かった。


 その店舗には暖簾のれんが掛かり『千両ちぎり茶屋』と書いてある。嵌め込みガラスの引き戸の中に赤い布を掛けた縁台が設置されていて、そこで老夫婦がお饅頭を食べながらお茶を啜っている姿が見えた。引き戸を引いて店内に入ってみる。


 広い土間に縁台が三つ並べて置かれ奥には長机の座敷も見える。レジの周辺の棚には値札の付いた民芸品が置かれてる。


「いらっしゃいませ!」レジの後ろから若い女性の声がした。慌てた様子でメニューを持ってフリルの付いた可愛らしい割烹着エプロンを着た十代らしき少女が飛び出してきた。「あの、お食事ですか。それとも、お茶ですか」たどたどしい声でそう聞いてきた。

「ん?」食事はこれから宿で取る。なので……「お茶だけ」と答えた。

「でしたらこちらへお座り下しゃい!」噛んだ……。そして真ん中の縁台を指さした。


 俺は言われるまま縁台に腰かけた。


「これ! メニューです!」少女は手に持ったメニューは渡さず、一枚物の厚紙のメニューを差し出してきた。


 恐らくお茶と食事ではメニューが違ったのだろう。


「ありがとう」

「ご注文、お決まりでしたら、お声を掛けてください」そう言い残すと飛ぶような勢いで慌ただしくレジの裏へと消えて行った。


 メニューの最初にはお饅頭のメニューが書かれている。通常のものだけでなくリンゴ餡や酒饅頭、長芋饅頭などもある。どれも二つセットでお茶が付いている様だ。それ以外にもお汁粉や餡蜜、かき氷も書いてある。飲み物は特上煎茶に抹茶にコーヒー。それ以外にもコーラやリンゴジュースと書いてある。


 俺はリンゴ餡の饅頭とコーヒーを注文した。

 運ばれてきたお饅頭を食べながら店内を物色する。建物の年代は江戸時代だろうか、太い柱に太い梁。どれも煤を吸い込んで黒く光っている。屋根はトタン葺きになっていたが元は恐らく茅葺屋根だったのだろう。店の奥の座敷は食事用だろう。長机がいくつも置かれ一列に並んで座る様になっている。レジの向こうは厨房の様だ。


 レジの周りにはお土産のお饅頭の箱が積み上げられている。そして、後ろの棚にはこの辺りの民芸品だろうか……。津軽塗の箸や万年筆、津軽ビードロのグラスに津軽こけし、電動こけしにピンクローターが売られている。


「あれ……???」――今、何か見えてはいけないものが見えた気がする……。

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