『僕と彼女の青い空⑧』


 僕達は国道439号線を東へ向けて走り出した。道はすぐに国道438号線へと合流する。この合流地点が剣山への登山口。剣山登山リフトの乗り場になっている。周囲には登山客相手の民宿や飲食店が立ち並んでいる。丁度お昼に通りかかったならここで昼食でもよいと思っていたが、まだ時間があるので先を急いだ。


 剣山を越えてからの下りの国道438号線は只々過酷である。さほど広くない一車線のワインディングがひたすら続く。作業の様にコーナリングを繰り返す。迫り来るコーナーの手前で減速し、バイクを寝かしてコーナーを曲がり、クリッピングポイントを過ぎたところでアクセルをふかして車体を立て直す。同じ動作を只々ひたすらに職人の様に繰り返す。このままではライダーとして悟りを開いてしまいそうだ……。

 なので、なるべく周囲の景色を楽しみながらゆったりとした気持ちで走り抜ける。

 森を抜け、深い谷間を走り、いくつかの集落を抜け東を目指す。一時間ほど走ると国道193号線に辿り着いた。

 あれ? いつも入れるガソリンスタンドが無くなっている……。そこにはコンクリートに覆われた壁だけが残っていた。


「どうしたの」音羽が減速しながら僕の横へと並び聞いて来る。

「どうやらここにあったガソリンスタンドが潰れてしまったみたいだ。仕方ないから隣町まで走るよ」

「わかったわ」


 四国の中心を走っていていつも問題になるのがガソリンである。大体ニ十キロに一件ぐらいはあるのだが辿り着いてみると人が居なかったり、休業中だったりする。ガソリンを求めてさまよっている内にガス欠……。なんて話もよく聞く。なので予備のガソリンの携帯は必須である。さらに緊急時にはストーブの燃料のガソリンも使用する。

 約五キロ程走った所のスタンドが開いていた。ガソリンを満タンに積み込む。来た道を少し引き返し、再度国道193号線へ乗り南下する。


 とても国道とは思えない細い山道。四国ではなぜかこんな不便そうなところにも多くの人が住んでいる。この道も普通に生活道路として利用されている様だ。不意に現れる民宿や喫茶店。一体どうやって生活が成り立っているのだろう。四国には謎が多い。


 山道を走り抜け峠のトンネルを越えて下りに入る。左手に看板が見える。〝剣山スーパー林道〟東コース案内である。本来であればスーパー林道の入り口は徳島県の上勝町にあるのだが、東側は舗装化が進んだためか、現在はあまり走る人が居なくなってしまった。そのまま通り過ぎ国道193号線をさらに下る。もう一度剣山スーパー林道の看板が見えた。ここから右へ上って行くのが剣山スーパー林道の西コース東出入口である。入口にバイクを止め音羽に声を掛ける。


「ここから約四十キロ未舗装路だから気を付けて」

「わかったわ」

「普通の車やバイクも走ってるからあまり飛ばさない様に」

「それは貴方のことよ。ケイ」

「む、確かに……。気を付ける」


 さて、久しぶりの林道だ……。と気合を入れて走り出しても、実際にこの林道には自家用車などが走っているので気を付けなくてはいけない。それに重い荷物も積んでいる。そんなに飛ばすわけにはいかないのだ。

 しかも路面も昨日の雨で荒れている。路面がぬかるみわだちが出来ている。雨が小川になって流れた跡や山から流れてきた小枝が落ちている。路面のコンディションは最悪に近い。僕はアクセルを開けて走り出した。


 ブレーキの制動距離を長めに取りしっかりと減速してコーナーに侵入する。リーンウイズ走法でバランスを取りながら最小限の傾きでコーナーを回る。クリッピングポイントを過ぎたところでアクセルオン。テールをスライドさせて車体を出口へ向ける。適度な所で車体を起こしグリップを回復させコーナーを出る。


 一見危険な走りの様に見えるが実はこの走法の方が路面の荒れた林道では楽なのだ。グリップを保たまま走るとどうしてもコーナーで車速が落ちてハンドルがふらつく。ふらつくのが怖いのでさらに車速が落ちると言う悪循環に陥ってしまう。

 なのでテールスライドさせてコーナーを一気に回る。車速が落ちないのでジャイロ効果で車体が安定する。と言う事である。速度を落とせば落とすほど不安定になって行く。バイクと言うのはそう言う乗り物だ。バックミラー越しに後方で泥をかぶった音羽が何か叫んでいるのが見えたが気にしない。僕は荒れた路面を蹴ってスーパー林道を駆け抜けた。


 少し走っていると道の先に建物が見えてきた。この林道内に建っているお店のファガスの森である。なぜかいつもタイミングが悪くお店が開いていないのが残念だがここのカレーは絶品との噂だ。キャンプ場も併設されているのでスーパー林道をがっつり走りたい人にはお薦めである。そして、今日も閉まっている……。臨時休業? 何故だ。開いていればここで昼食のつもりだったが仕方ない。先を急ぐ。

 ここからはしばらく尾根伝いに走る景色の良いポイントである。晴れていれば遠くの山並みまで見渡せるが、今日は小雨が降っているのであまり視界は良くない。ただ、遠くの山に霧が出ているので神秘的な雰囲気が漂っている。雨の日だってそう悪いことばかりではない。雨には雨の景色がある。僕は風景を楽しみながらのんびりとしたペースで進んだ。


 どうやら音羽も運転にずいぶんと慣れてきた様子だ。しっかりコーナリングにもついて来るようになった。走りに随分余裕が見えるようになってきた。


 ダートを走る場合実はこれが一番大事だったりする。恐怖心で体を硬くしてハンドルにしがみつく――車体が振られた時に何の対処も出来なくて転倒――初心者の良くやるパターンだ。反対に体の力を抜いて車体に任せて走る様にすればそう簡単には転倒しない。

 と言う事でそろそろペースを上げよう。早くお昼が食べたい。僕は音羽が付いてこれるギリギリの速度までアクセルを開けた。


 景色の良い尾根を、緑に囲まれた林を、樹々の間から漏れ出る霧を、夢中になって駆け抜ける。次第に雨も上がり日が差して暖かくなってきた。いいペースだ。


 その時、長い上り坂の先に何か見えてきた。奥槍戸〝山の家〟である。

 僕達はその坂を一気に駆け上がった。


 奥槍戸〝山の家〟は剣山スーパー林道内に在るログハウス風の村営休憩所である。 徳島県剣山トンネル東口にあり軽食を頂く事も出来る。この先で崖崩れなどがあればここで通行止めになるが、今日はゲートが開いている。大丈夫なようだ。

 バイクを店の前に止めレインウエアを脱ぎ店内に入る。少し遅くなってしまったがここで昼食を取ることにする。こちらの名物はオムライスカレーだそうだ。しかし、僕はいつももう一つの名物の山菜うどんを注文している。


 山菜のどっさり乗ったうどんが出てきた。毎回乗ってる山菜が違う気がする。季節によって違うのだろうか。二人で手を合わせ頂きます。


「ねえ、音羽。ここまでどうだった。スーパー林道」

「疲れたわ」


 そう答える彼女の顔はそんなに嫌そうな表情ではない。高校時代は真面目にバスケットをやっていたそうなので疲労にも耐性があるのだろう。いや、むしろ楽しそうだ。


「ここからは下りも多くなるしゆっくりと走るよ」

「ええ……」


 そう答えながら音羽はうどんの汁を啜った。うーん、何だろう……この微妙な態度は? 走ること自体は楽しいが僕が前を走る事が不満なのだろうか……解せぬ。


 食事を終えコーヒーを注文してゆったりと時間を過ごす。窓の外を見ると空はまだどんよりと曇っているが雨はどうやら上がった様だ。

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