『僕と彼女の青い空⑦』


 その後、結局朝まで何も無かった。と言うか疲れ切っていた僕達はすぐに朝までぐっすりと寝てしまった……。

 もう少し何かあっても良いと思うのだが、これが今の僕と彼女の関係だ。仕方ない。

 

 僕の方は夜が明けてすぐに目が覚めた。時刻はまだ六時半になってないようだ。新聞でも読もうと思いロビーへ向かった。

 その時、ロビーの向こう側にある食堂で既に食事の準備が出来ているのが見えた。給仕のおばちゃんに声を掛けてみる。


「あの、もう朝食出来てますか」

「ああ、出来てるよ」恰幅の良いおばちゃんが鯔背いなせな声でそう答えた。


 朝食は七時からと聞いていたが準備が出来ているなら早く済ませてしまおう……。

 急いで部屋へと引き返し、音羽を優しく叩き起こす。布団の上から彼女に跨り両手で頬を挟む。恨めしそうに音羽が目を開けた。


「何……」

「もう食事出来てるって」

「ん……今、何時」

「六時半」

「ん……」


 相変わらず朝の音羽は惨い。放って置くといつ動き出すかわからない。なので手を引き食堂へ引っ張って行った。

 ご飯とみそ汁を自分で注ぎ、納豆と生卵と塩鮭をお盆に乗せて席に着く。二人で手を合わせ〝頂きます〟。

 外の雨は小雨の様だがまだ降り続いている。日も少しあるので昨日程の寒さではなさそうだ。

 早々に食事を済ませ部屋へ戻って身支度を整える。


「これ、お腹のところに入れておくと暖かいから」そう言って食堂で貰って来た古新聞を手渡した。

「わかった……」


 布団を畳み荷物をまとめレインウエアを着込む。七時には宿に宿泊料を払いバイクに荷物を積み込んだ。


 さあ、出発だ!


 空はどんよりと曇っている。雨量は雨と言うよりは霧雨に近い。走っているとじっとりとウエアの表面が濡れて来る。まるで雲の中を走っている様だ。しかし、今日は風が無いので昨日より断然走り易い。


 祖谷口から吉野川を渡り県道32号線へと入り、先ずはかずら橋を目指す。道はすぐに車では離合の難しい一車線の山道になった。切り立った崖にへばりつくようなワインディングが続く。

 暫く走っていると崖にせり出す様に立った小便小僧像が見えてきた。


 バイクを止めて崖を見下ろす。何でもその昔、近隣の子供たちがここから放尿して度胸試しをした場所なのだそうである。ほぼ真下に見える祖谷渓が絶景である。しばし景色を楽しみ再出発。


 細い山道をひたすら走る。時折現れる対向車を道の端で避ける。このルートは注意をしなくてはいけない。こんなに細い道なのにたまにボンネットバスが走っているのだ。場合によってはバイクでも離合できる場所まで引き返さなくてはいけない。前方を注意して走る必要がある。


 細くうねった道を進むと突如山の中に不釣り合いな大きな建物が見えてきた。ホテルかずら橋である。その前を通り過ぎさらに山道を進んでいると谷間にある集落が見えてくる。ここがかずら橋のある徳島県三好市の西祖谷地区である。

 山間に並ぶお土産物屋を通り過ぎて道を下ると祖谷渓を渡る橋が見えてくる。この橋に並走するように架けられている木製の橋がかずら橋である。バイクを駐輪場に止め二人で歩いて橋へ向かう。


「蔦で編んだ橋なのね」

「うん、由来はいくつかある様だけど、平家の落人がもしもの時に追手から逃れるためにシラクチカズラで橋を作ったと言われているよ」

「ふーん。それでこんなに荒い造りなの、風が吹くたび揺れてるわね」

「有料だけど渡ってみる?」

「遠慮しておくわ」


 周囲にアユを焼く匂いと味噌を焼く匂いが漂っている。味噌はここの名物の『でこまわし』。じゃがいも・豆腐・蒟蒻を串に刺し味噌を付けて焼いたものだ。うまそうだ。漂う匂いに逆らいながら僕達は少し奥にある琵琶の滝の近くの店で缶コーヒーを買って飲んだ。二人で仲良く写真を撮り案内板を見ながら観光を楽しんだ。

 時刻も九時を過ぎ観光客が増えてきた。込み合う前にバイクに乗り込み出発することにした。


 まだ雨は残っている。だが気温はずいぶんと上がってきた。山間の細い道を慎重に駆け抜ける。

 県道32号線から国道439号線に乗り換えて東に進む。ちなみに四国の三桁の国道は地元民からも〝酷道〟と呼ばれ恐れられている。深い谷の渓谷の山肌にへばり付くような細い道が続いている。しかもその道が地元の人たちの生活道路になっているのだ。コーナーから不意に現れる自家用車。道を塞ぐように走るダンプやバス。何も考えずに道を飛ばす観光客の車。休日は事故が多いという話も聞く。

 ただ僕はこの雰囲気は好きなのだ。こんなにも深い山間なのに人々が普通に生活をしている。その生きざまを考えると何だか楽しくなってくる。

 黙々と次のコーナーを目指して走る。道なりに約一時間程走っていると奥祖谷二重かずら橋の看板が見えてきた。


 バイクを駐車場へ止め入場料を払って橋へと降りてみる。ここはお金を払わないと近くで橋を見ることは出来ない。表のかずら橋とは違いここには商店らしきは見当たらない。男橋と女橋と手動で動かす野猿と言うロープウエイが掛かっているだけである。

 坂道を下り先ずは男橋。高さ十二メートル、長さ四十二メートル、幅約二メートルの風で揺れる橋である。


「……」


 無言の彼女がウエアの後ろに掴まっている。これが本当の吊り橋効果と言う奴だろう。結構な見栄っ張りの彼女にしては珍しい。

 ちなみに音羽は別に高所恐怖症ではないが慎重な性格である。一歩進むごとにぎちぎちと音を立てるこの橋は僕も少し恐怖を感じる。足場の隙間から見える雨で増水した濁流がさらに恐怖を煽っている。ゆっくりと歩み渡り切る。

 少し歩いて次は女橋。橋の長さも高さも左程ないので恐怖心を感じない。二人で一旦渡って引き返す。

 お次は野猿。自分でロープを引っ張って進む方式のロープウエイだ。先ずはロープを引っ張り籠を対岸からこちら側に引き寄せる。二人で籠に乗り込みロープを引いて川を越えていく。ちょっと力が要るが結構面白い。もし公園などに設置されていたらきっと人気遊具になっていただろう。


「もう一度乗る?」音羽に聞いてみる。

「いらない」


 もしかして本当は彼女、単に高い所が苦手なのだろうか……。


 僕達はここで小一時間程遊んでから再度バイクに乗り走り出した。

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