『僕と彼女の青い空⑥』
僕は動けなくなった音羽をバイクから引きはがし、駐車所の隅に設置されていたベンチへ座らせて宿へと入った。やはり相当に無理をしていたらしい……。
「あの、先程、電話を入れた白波です」受付で声を掛ける。
「ようこそ、おいで下さいました。当旅館の女将です。まあ! ずぶ濡れになって」
「いやー、あの先に荷物持って来ていいですか」
「はい、どうぞ」
僕はバイクのところに行き二人の荷物を宿へと運び込んだ。音羽にも肩を貸し宿へと入る。
「では、早速お部屋へ案内します」
僕達はレインウエアを玄関で脱ぎ、荷物を抱え女将の後へと付いて行く。窓の外には豊かな水を湛える吉野川。山々の緑も美しい静かな山間の温泉宿と言った感じだ。普段のゴールデンウイークならここが家族連れで込み合う事は間違いない。しかし、大雨注意報の出ている今は他の客のいる様子は殆ど無い。僕達は角にある二人部屋の和室へと通された。
「夜のお風呂は七時から十二時まで。朝食は食堂で朝の七時からやっております」
「あの、この近くで食事をできる場所はありますか」
「でしたら……」
僕は女将に近くのドライブインを教えて貰いそこで夕食を取る事にした。四国はお遍路さんの関係か当日予約でも素泊まりできる宿が非常に多い。しかし、その場合は自分たちで食事の用意はしなくてはいけない。最悪、宿で弁当を食べることもある。ドライブインが近くにあって助かった。
お風呂にはまだ時間がある。部屋でお茶を飲んでから宿で傘を借り、ドライブインまで二人で歩いた。しかし……。
「これがドライブイン……」
一応、看板にそう書いてある。しかし、どう見ても田舎によくある商店だった……。
食料品に衣料品。農機具だって売っている。その横に申し訳程度のイートインスペースとしてテーブルが設けてある。
僕は出しっぱなしのだるまストーブの横のテーブルに腰かけてメニューにある親子丼を大盛で注文した。音羽は山菜うどんのセットを注文する。ついでにビールと鳥串も追加で注文する。
先にビールと鳥串が運ばれてきた。
「今日はお疲れ様」
そう言って音羽とグラスで乾杯した。
「今日、走って見てどうだった」
「疲れたわ」そう言って音羽はこっちをジロリと睨む。
「え、えーと、幸い明日からは天気も回復に向かうみたいだし、今日はさっさとお風呂に入って早めに休もう」
「そうね」そう言いながら彼女は鳥串に齧り付きそっぽを向いた。
どうやらまだ怒ってらっしゃる様子だ……。
その後、運ばれてきた料理を食べて、おつまみとビールを買って宿へと帰った。部屋で先に浴衣に着替えお茶を飲みながらテレビを見てまったりとお風呂の時間を待つ。外の日も落ちて暗くなり始めた時間でお風呂の時間になった。
「お風呂行こうか」
「ええ」
お風呂は勿論混浴などではない。二十畳ほどのタイル張りの浴室に四畳半ほどの浴槽がある。大きな窓の外には吉野川が見下ろせる。平素であれば落ち着いた雰囲気の温泉なのだろうが、大雨の降り続いた今は川の流れにスペクタクルを感じる程だ。泉質は無色透明のカルシウム硫酸塩泉。効能は神経痛・うちみ・痔疾・冷え性・疲労回復・リウマチ・しっしん・腰痛・肩こりだそうである。
体を洗い湯に浸かる。「ふぃぃぃ~~~」ぬるめのお湯に疲れが解けていく感じがする。たまに湯船に腰かけて体を冷まし、また湯に浸かる。それを何度か繰り返し、身体の芯まで温める。十分に体が温まったら最後にシャワーを浴びて温泉の成分を流しておく。体を拭き、浴衣を着こんで浴室を出た。グデッと疲れを垂れ流しながらロビーのソファーでコーヒー牛乳を買い頂く。
「あら、良い物飲んでるのね」音羽も丁度風呂から上がった様だ。
「あっ!」飲みかけのコーヒー牛乳を奪われた。「自分で買えよな……」
「いいじゃない。少しくらい」
残り全部飲まれてしまった……。
それからしばらく二人でロビーでくつろぎ部屋へと戻った。部屋を開けると既に二組の布団が敷かれていた。
布団の上でゴロゴロしながら音羽はテレビを見て、僕は買ってきたビールを開けた。
こう言う旅も良いものだ。何の気兼ねも無くゆったりとした時間を過ごす。煩わしい日常を離れてリラックスした時間を過ごすことには意味がある。疲れた心と体が癒される。
飽きたのか音羽がテレビを消した。
「もう寝る」
「うん」
二人で洗面台で歯を磨く。そして、部屋の明かりを消した。
「やる?」
「いらない」
「……そう」
一応、お約束なので聞いてみた。結果はやはり駄目だった。僕には決定的に何かが欠けている。そして、それは僕にはわからない……。
「ねえ、ケイ。貴方は何故走り続けるの」薄明りの中で音羽が聞いてきた。
「さあ、あまり考えたことないな……。でも、多分進まないと見えない景色があるからかな」
「それは、何?」
「さあ、行ってみないとわからない」
「そう……」そう言い残し彼女は黙りこくってしまった。
少しの時間が立った……。
突如ガサガサと音がする。ドサリと音羽が布団の上に載ってきた。両手を伸ばし僕の頬を挟み込む。
そして、彼女の熱い唇が僕の唇へと重なる――。
「おやすみなさい、ケイ」
そう言って薄明りの中、彼女はいたずらが成功した少女のような笑みを浮かべた。
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