『僕と彼女の青い空⑤』


 食事を終えた僕達は再び雨の中へと走り出した。海沿いの国道196号線を走り、先ずは今治市を目指す。


 失敗した……。晴れていればこのルートは景観も良く、車も少なくて走り易いルートなのだが、想像以上に雨と風が強かった。


 激しい雨が視界を遮る。海岸沿いの強い風で車体が揺れる。ヘルメットを打つ雨音で外の音が全く聞こえない。前方を走る車の上げる水飛沫でほとんど前も見ることも出来ないのだ。これまで経験したツーリングの中でも五番目くらいに厳しい状況である。

 信号で停止した隙に音羽に近づき声を掛ける。


「あと一時間走ったら休憩しよう」

「わかったわ」


 丁度、今治市を抜けたあたりで時間になった。バイクのまま路傍のバス停に逃げ込むように入った。


「音羽、大丈夫」

「ええ」


 音羽も僕も疲労している。雨の日のツーリングで最も辛いのは寒さである。と言っても今の季節は春。決して寒いほどの気温では無い。

 それでも長時間バイクに乗っているとレインウエアの僅かな隙間から水が少しずつ侵入してきて体温を奪い始める。少しでも寒さを感じると体に妙に力が入り疲労がたまりやすくなる。疲労して来るとさらに血流が悪くなり筋肉が固くなる。そして最悪、バイクに乗ったまま低体温症になってしまうのだ。なのでこういう時は頻繁に休憩が必要になって来る。


「何か飲む。あったかいやつ」

「ロイヤルミルクティーをお願い」


 僕はバス停に併設された自動販売機でコーヒーを買った。二人でベンチに腰掛け缶を開けて飲む。ほんの僅かに音羽の指が揺れている。

 これは思った以上に距離を稼げそうにない。勿論、二人ともこんなことを想定して保温対策はばっちりしている。それでも音羽は初心者である分疲労が早い様だ。

 僕はおもむろに携帯を取り出した。


 今日の予定では祖谷渓かずら橋のキャンプ場に泊まるつもりだった。だが音羽のこの様子では細い山道を進むのは無理だと判断した。ここから距離にして約百キロ。三好市周辺の宿を探すことにした。


「宿、探すよ」そう言ってから僕はメモを見ながら電話を掛けた。

 宿は三件目で見つかった。場所は三好市池田。やまびこ打線で有名な池田高校のすぐ近くの川沿いの温泉宿。本来は素泊まりのつもりだったが、雨でキャンセルがあった為か簡単な朝食も付けてくれるそうである。その事を音羽に伝え僕達はバス停を後にした。


 国道196号線から国道11号線へ入る。対向二車線の普通の道路なのに大型車が非常に多い。すれ違うたびに風に煽られハンドルがふらつき、水飛沫で視界がスクリーンアウトする。僕達は耐えるように、降りしきる激しい雨の中ひたすらに東へと向け走った。昼を過ぎ、さらに雨は激しさを増した。道路に設置された掲示板にも大雨注意の文字が表示されている。

 西条市を越え新居浜市のドライブインで小休止。外に設置されたテントの下で休憩する。僕も音羽も疲労が溜まり始めている。

 僕はバッグを開き乾いたタオルを手渡した。


「これ、首に巻いておけば風の侵入を少し防げるから」

「ありがと……」そう言って彼女は服の上からタオルを首に巻いた。


 ここからだと残り七十キロぐらい。走りにくさを考えると、あと三時間程度は掛かるだろう。大丈夫だろうか。


「無理なようならすぐにホーンを鳴らして」

「わかったわ……」


 暫くの休憩の後、再度僕達は雨の中へと走り出した。すぐにクラッチを握る左手がおっくうになってきた。アクセルワークを使いミッションを変える走りへ変更する。やはり雨で前が見えにくいのが物凄く辛い。前を走る車のブレーキランプを頼りに走るので頻繁に変速の必要がある。その分クラッチやブレーキを握る回数が増えているのだ。とにかく前に集中しながら時折バックミラーで音羽の状態を確認する。


 四国中央市に入った。街の中心街を抜け国道192号線へと乗り換える。丁度良いドライブインを見つけバイクのままひさしの下へ横付けた。


「音羽、大丈夫」

「ええ……」答える声に覇気が無い。


 寒さと疲労で相当に参っている様だ。


「ねえ、もし無理な様子なら……「大丈夫よ!」……そう……」怒られた。


 これくらい元気があるならまだ大丈夫そうだ。距離にして残り三十キロ程。一時間もあれば辿り着ける。

 低体温症であるならば先ずは意識が混濁して来る。まともな受け答えが出来なくなる。今の彼女の状態は疲労が蓄積されて不機嫌になっているのだろう。こうやって意地を張るのも彼女らしい。まだ大丈夫。


 ホットコーヒーを飲み暫くの時間をおいて僕達はまた雨の中を走りだした。


「この山を越えれば宿に着くから頑張って」

「ええ……」


 道が対向二車線の上り坂になる。

 ――まずいな……。雨風はピークを過ぎて随分と弱くなってきた。しかし、夕刻に差し掛かったのと標高が上がった事で気温が下がり始めてしまった。雨で濡れた身体が一気に冷えだした。

 僕はまだ良い。雪降る五月の北海道を走った事も、積雪の残る真冬の山陰地方も走った事もある。ツーリングが決して楽しいだけの物で無いことは十分承知している。だが、音羽の運転が見るからにラフになり始めた。


 ハンドサインを送り音羽の横へ付けてみる。指でOKサインを作り聞いてみる。音羽はうなずいた後、前方を指さした。大丈夫、早くいけのサインだ……。


 濡れたTシャツが体を冷やす。風を切る指がかじかむ。エンジンにピッタリとくっつけた足だけが温かい。まずい、この状態だと次第に眠くなってくる……。意識の集中が保てない。

 道路が下りになりそろそろ休憩を入れた方が良いのか……と思い始めた時、ようやく町が見えてきた。よかった。一気に緊張がゆるむ。

 町に入るとすぐに目的の宿が見えてきた。由緒あると言うよりはひなびたと言う表現がぴったりな温泉宿がそこには建っていた。僕は駐車場の片隅の空きスペースにバイクを止めた。



「お疲れ様、音羽」僕は彼女のバイクに駆け寄った。

「……」


 彼女はバイクに乗ったままタンクの上に突っ伏した。

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