第61話 君と呼び方

「亮介君、お願いがあるんだ」階段を降りるとリビングのソファーに小野寺社長が待機していた。仕事帰りなのか、紺色のスーツにタイトのスカート。足を組んでいる。


「なんですか・・・・・・・、また。仕事ですか?」最近は少しずつ感覚が麻痺したようで、スタントの仕事もバイト感覚のようになってきた。体力づくりも必要だなと感じるようになり毎晩家の近くを走る事を欠かさないようになった。なにを隠そう今も、夜の日課となったランニングに出かけるところであった。


「ああ、そんなところだ・・・・・・、明日はスーツを着て駅の改札で待っていてくれ。そうだな昼の12時にしよう。迎えにいくから・・・・・・、ね!」最後だけなんだか乙女のような口調であった。


「燃えたりは嫌ですからね・・・・・・・、ちゃんと事前に内容は教えてくださいよ」カウンターキッチンの内側にあるウォーターサーバーの水をコップに注ぎ一口飲む。走る前に若干の水分を補給するのがルーティーンになっている。


「明日はそんなに大したことはないよ。燃えたり、飛び降りたりじゃないから安心して・・・・・・」彼女のその言葉に頷きながら俺は玄関で運動靴に履き替えた。


「了解です。それじゃあ、俺走ってきますんで!」言い残し俺は家を飛び出した。


        ★       ★        ★


 待ち合わせの駅の改札口に到着した。しかし夏場にスーツはさすがにこたえる。さすがにネクタイを締めるのは酷なのでクールビズ対応させてもらうことにする。


「おまたせ・・・・・・!」小野寺社長の声がしたので振り返る。


「えっ!?」そこに現れた彼女の姿を見て俺は目を見開いた。そこに立つ彼女は白の肩出しのトップスに膝上の軽いフレアのスカートに赤いハイヒール。手には小さなポーチのようなカバンを持っている。普段は無頓着に見える長い髪にも丁寧に櫛を通したように整っている。いつもより少し赤い唇。また彼女がこんなにスタイルが良かったことには全く気がつかなかった。彼女を女性として意識したことが無かったからだ。と言っても俺は色欲をもよおしている訳では無い。念のため・・・・・・。


「そんなに・・・・・・ジロジロ見ないでよ・・・・・・」彼女は恥ずかしそうに顔を赤らめた。その仕草からはいつもの敏腕社長の姿は垣間見えない。いや、あの旅行で酒を飲んで大虎に変身した人物とは思えなかった。あの後の社長の大暴れっぷりは思い出したくない記憶として俺の胸に刻まれた。


「あ・・・・・・・、すいません・・・・・・・、でも、どうしたもですか?その恰好は・・・・・・・」


「おかしいか・・・・・・、やっぱり・・・・・・」彼女が少し悲しそうな顔をした。


「い、いや、すいません!!素敵、素敵ですよ!凄く・・・・・・・!」なぜ俺は全力で褒めないといけないのか、解らなかった。


「本当に・・・・・・?」下を向いたまま上目使いで俺の顔を見た。あんた一体誰やねん・・・・・。


「ところで今日の仕事は・・・・・・、なんなのですか?」俺は少し話題を変えるつもりで問いかけた。それに今日この場所に来たのはその為にきたのだから・・・・・・。


「あ、あの、私とデートしてほしゅいの・・・・・・。それで・・・・・・・私のお母さんに合って・・・・・・くらはい・・・・・・」時折、彼女は言葉尻がおかしくなることがある。少し薬でもやっているのではないかと心配になったりする。


「えっ!?」状況を理解できない。


「見合いを・・・・・・、母が私にお見合いをさせようとしているんだが・・・・・・・、私には結婚する気など無い・・・・・・、だから君に・・・・・・・、私の恋人の振りをしてほしゅいの・・・・・・」また恥ずかしそうな顔をした。


「恋人!?俺が社長の!」思いもよらない依頼に俺の体は固まってしまう。


「だって・・・・・・、どうせなら・・・・・・・、亮介君が良いかなって・・・・・・」なにがどうせならなのかは解らない。


「でも、そんなお母さんを騙すような事をしていいのですか?」


「私はまだ、結婚するわけにはいかない。昌子、桃子、そしてMIONを見捨てる訳にはいかないんだ」彼女達の名前を口にした途端、彼女がいつもの社長の顔を見せた。


「社長・・・・・・、解りました。今日、俺は社長の恋人になります」


「ありがとう!!・・・・・・でも、今日は社長じゃなくて名前で呼んでほしいな・・・・・・・」なぜかおねだりでもするような顔を見せる。


「えっ、なんて呼べばいいのですか?」今まで彼女の事を社長としか呼んだ事が無かった。


「えーとね・・・・・・、綾って呼んで・・・・・・・、ね!」今まで見せたことのないような可愛らしい顔をして綾は首を傾げた。

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