第五章⑤

「はぁぁぁあああっ!」

 気合一閃。アタシの飛び蹴りが、《死に至る病》の患者を吹き飛ばす。吹き飛んだ患者の向こうから、成美が別の患者へと清流を放ち、レギーネはアタシたちが飛ぶ更に上空から光の十字を《死に至る病》に罹った患者たちへと降らせていた。

 聖白百合総合病院が設立されて以来、初めてかかる全看護隊が緊急出動。しかし、浮足立つような《純白の天使》は、アタシたち看護隊には存在していない。煌の協力もあってか《白妙服》の性能は彼が合流する前と比べて九パーセントも上昇している。今や一対一で患者と向き合ってもかつての様な無様を晒す事はないと言い切れるし、隊を組んでいれば負ける気は全くしない。だが、それはあくまでアタシたちの体力が続く限り、《白妙服》の輝きが灯りと《湧き上がる希望》が駆動し続けている限りという前提条件が付く。

「……きりが、ない」

「これでは、治療した方の収容も、ままなりませんわね」

 成美もレギーネも、そしてアタシも、緊急出動の要請を受けて戦い続けている。もちろん他の看護隊も同じ状況だが、アタシのウェアラブルデバイスに映る地図は紅一色となっていた。

『じょーほーきせーは、流石に今回はきびしーか』

「もう、そんな事言ってるような場合じゃないですよ、美郷先生」

 他の二人と同じく、アタシも肩で息をしながら言葉を紡ぐ。《死に至る病》の存在を隠蔽するため、関係各所への箝口令だけでなく、出撃後は治療時に似た映像を量産してネット上にばらまいたり、ウェアラブルデバイスへ似たような画像加工を行えるアプリの配布をしたりと《白翼医療師団》が画策していた。が、この規模での集団感染は世界的にも初めての事例だ。少なくともこの街に住む人たちにその存在を伝えないわけにはいかなくなるだろう。しかしこの心配は、この状況を無事乗り越えられてからすべきものだ。この街全てが《死に至る病》の病魔に侵されているような状況を、先に解決しなければならない。だがこの状況は、まるで――

「誰かが意図的に、この街を狙っているって言うの?」

「おや? 気づいたか。ではお前たちにしよう。それがルールだ」

 その声が聞こえたのは、頭上の月明かりが遮られたのと全く同じタイミングだった。振り返り、仰ぎ見れば、その陰はまるで、太古の時代から蘇った翼竜が夜空を飛んでいると思えない程巨大な形をしている。いや、あれは竜などではない。あの闇に墨を溶かしたような色合いと、背中から生えた二枚一対の漆黒の翼を持つその姿は、御伽噺に出てくるような、まさに悪魔と呼ぶのに相応しい造形をしていた。

《悪魔堕ち》。しかもその背からは禍々しい二つの《黒翼》が存在している。《黒翼》一枚の《悪魔堕ち》相手に苦戦した過去が、アタシの脳裏を過った。ウェアラブルデバイスから、かつてない程の警告音が発せられる。緊急退避のアイコンも見えるが、誰しもが頭上の《悪魔堕ち》から目が離せなかった。

『ゆねー。逃げれないならー、あの《悪魔堕ち》に話かけてみろー』

 美郷先生の突然の言葉に、アタシはハッと我に返る。

「どういう事ですか?」

『さっき、あいつはゆねーの言葉に反応した。かーやまの例もある。ひょっとしたら、会話が出来るかもしれん』

 美郷先生の言葉に、アタシは両目を見開いた。そうだ。煌の様に理性が残っているのなら、交渉だって行えるはずだ。先程あの《悪魔堕ち》はアタシの言葉に反応した。つまり、この集団感染の元凶の可能性もある。何かしら目的をもってこうした行動に出ているのだとすれば、それを突き止める事で今の状況を打破できるかもしれない。アタシは大きく頷くと、宙に浮かぶ悪魔に向かって問いかけた。

「今、アタシに話しかけたの?」

「俺はお前の言葉に返答した。それが俺の賭けに必要だからだ。必要なのは、賭けのルールと説明だ」

 一対二枚の《悪魔堕ち》が、アタシの言葉に反応する。

「この状況は、あなたが原因なの? 何故死に至る病の集団感染を起こしたの?」

「俺にとって重要なのは、全ての事柄が賭けになるか否かだ」

「……どういう事?」

 成美が疑問を呈する。その疑問は最もなもので、悪魔は何の回答もアタシたちにしてくれてはいない。

「《死に至る病》に罹った者は少数派だ。しかし、俺の《黒翼》は人の絶望を増幅させることが出来る。俺の手にかかれば人は《死に至る病》に罹りやすくなり、少数派という構図は崩れる事になるだろう」

「では、あなたは《死に至る病》の患者を増やすことで、あなたの仲間を増やそうとしているのですか?」

 レギーネが疑問を投げかけた。まさかこの悪魔は、《死に至る病》に罹った患者や《悪魔堕ち》の権利でも主張しようとしているのだろうか?

「だから俺は多数派になれると賭けた。《死に至る病》を患った者は多数派になれると! 故に俺は全力でそれを狙いに行く! それが、その方法が、俺が人生で幸せに生きていられると感じられる瞬間なのだからっ!」

『……お前たち、もういい。もー下がれ』

「でも、美郷先生! まだ何も情報を引き出せて――」

『いーや、もうじゅーぶん引き出せた。あの患者は、りせーが残っていない』

 アタシの言葉を遮って発せられる美郷先生の言葉に、アタシたちは息を飲む。

『いーか? 順番に思い出してみろー。あいつはなーぜゆねーに話しかけたー? お前であるひつよーがあったのかー?』

 アタシは、《悪魔堕ち》の言葉を思い出す。

『おや? 気づいたか。ではお前たちにしよう。それがルールだ』

 最初はそう、アタシの言葉をあの患者が聞きつけた時がきっかけだ。ん?

「きっかけ? ルール?」

『そーだ。あの《悪魔堕ち》は、自分の中でいちばーん最初にじぶーんの思惑に気づいた奴へ話かけるよーに決めていただけだ』

 美郷先生の言わんとしている事が、アタシにも朧気ながらに見えてきた。決めていただけ。何かのきっかけがあったら動き出す。それはまるで予め定められていたルール通りに?

 アタシの中に生まれた違和感は、あの《悪魔堕ち》の言葉を思い出す毎に強くなる。

 

『俺はお前の言葉に返答した。それが俺の賭けに必要だからだ。必要なのは、賭けのルールと説明だ』

『俺にとって重要なのは、全ての事柄が賭けになるか否かだ』

『《死に至る病》に罹った者は少数派だ。しかし、俺の《黒翼》は人の絶望を増幅させることが出来る。俺の手に罹れば人は《死に至る病》に罹りやすくなり、少数派という構図は崩れる事になるだろう』

『だから俺は多数派になれると賭けた。《死に至る病》を患った者は多数派になれると! 故に俺は全力でそれを狙いに行く! それが、その方法が、俺が人生で幸せに生きていられると感じられる瞬間なのだからっ!』

 

「まさ、か……」

『そーだ。あの《悪魔堕ち》は、お前たちと会話をしていたわけじゃない。奴の理論(ルール)に則って、好きかって一人でくっちゃべってるだけだ。ルールさえ満たされたのなら、きっとあいつは―犬のとーぼえにもはんのーして話かけるだろーよ』

 美郷先生が言った言葉の意味を理解し、アタシの全身を悪寒が駆け抜ける。それを見越したかのように、いや、自身の定めたルールに従って、《悪魔堕ち》は両の《黒翼》を広げ、狂ったように独り言をつぶやいた。

「さぁ、賭け(ギャンブル)の時間だ!」

《黒翼》が暴力的なまでの風圧を撒き散らし、アタシたちも《死に至る病》に罹った患者たちも巻き込まれる。それでも《悪魔堕ち》の《黒翼》の力か、吹かれれば吹かれるほど《死に至る病》を患った患者たちの病状は悪化し、新たに《死に至る病》に発病した患者が増えていく。更なる《悪魔堕ち》を生まないためにアタシたちも駆けずり回るが、治したら治しただけ患者が増え続ける。こんな人海戦術、見たことも聞いたこともない。まさに地獄の様な光景に、アタシたちはじわりじわりと追い詰められていく。

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